高齢者になると体や病気の話題が増えるのはしかたがない。なにしろそれが最大の関心事だから当然そうなる。何かや誰かのファンやマニアやオタクがそれについて語り出したら止まらないのと一緒と考えればわかると思う。その人達はそれに命を掛けているなんて言ったりするけれど高齢者の方はそこに命が掛かっているからより深刻なのだ。それは歳と共に増えていく。
24-1-21
昨日の『ひとこと』に関して嬉しかったことがある。昼頃にふとネタが思い浮かんだはずなのに、いざ書こうとしたらまったく思い出せなくなっていたのだ。メモの忘れを悔いてももう遅い。集中しても出ないしあえてぼーっとしてもダメだった。普段ならそこであきらめるところをもうひと頑張りしていたらふっと『体』が出てきて『病気』に繋がった。メモの大切さを忘れたくない。
24-1-22
若者を煽り戦争をしたがる過激な輩。国を守るとは人々の命と生活を守ることなのにこれでは破滅を望んでいるとしか思えない。若者はすでに生活を守るため過酷な最前線で日々闘っている。その生活の安定が国を強くするのであって武器を持って人を殺すことではない。先の短い年寄りが若者の自由と未来を奪ってどうする。前線が望みなら尖閣に住まいを移してみては。
24-1-23
1月もあと1週間となり月日の流れの早さを痛感している。パソコンに向かう作業の繰り返しと大雪は一度だけと変化の少なさも影響してるのだろう。今晩辺りから大雪になる予報は出ているが、2月を過ぎれば山を越すわけで雪の苦労もあと1ヶ月と少しの辛抱になる。そう考えるとそんなに長いとは思えない。雪からの解放は待ち遠しいとはいえ2月も逃げられてはこまる。
24-1-24
お正月からやり始めたパソコンへの文書の書き込みは高校修学旅行から、入院、大学受験、1968自転車旅行、1971〜1984、1974ヨーロッパ旅行まで進みまだまだあるけれどとりあえずここで一区切りにした。A4サイズに78枚書き込んだわけだがとにかく目が疲れた。こうしてみて改めて気付くのは旅の文書の多いこと。この後もいろいろな旅のまとめが続く。
24-1-25
続き。かなりの量の文書をまとめられたのは嬉しいけれど身軽になりたいという意味ではあまり成果が見えず物足りない気持ちになっている。パソコンに入れると同時にプリントもしたので紙の量としては同じになってしまうのだ。しかし、これまでバラバラだったものが一冊にまとめられたのはよかった。量の方はほとんど変わりはないけれど気持ちのうえでは少し身軽に。
24-1-26
12年振りの再会。偶然新聞欄に懐かしい顔を見つけて是非会いたいと思っていたのがようやく叶った。彼は6年前から親から引き継いだ場所で喫茶店をやっていたという。親の代に個展をしたのが縁で彼とも知り合い別の所での個展の手伝いを何度もしてもらい随分世話になっていたのだ。当時は20代で今は40とのこと。その頃よりずっと生き生きしていて嬉しかった。
24-1-27
札幌市の人口が3年連続減で今後もその傾向は続くようだ。その大きな理由は死亡者数が出生者数を上回る自然減が加速するため。そこには自分達の世代つまり団塊の世代が関わっている。この世代は時代ごとに社会的変化に多大な影響を与えてきたがついにこんな形で終わりを迎えるとは。予測はできたはずなのに考えていなかった。その歳になってわかることもある。
24-1-28
めったに使わないけれどないとこまるものを発見。代わりのものでもできるけどいまいち
スッキリしない。それは孫の手。しょっちゅう使うなら忘れもしないだろうに、片付けの流れで置き場所を変えていたためすっかり忘れていた。生活をしやくするために整理をしたのに探し物になってしまうとは何とも情けない。とにかく、届かぬところに手が届くようになり一安心。
24-1-29
ほぼ月4回の卓球の効用。もともとスポーツは大好きなので体のみならず精神的にもいい方向に導いてくれる。楽しみながら思いっきり運動すると心身ともにスッキリさっぱりするのだ。そして、夕御飯をおいしくしてくれ、心地よい疲れが深い眠りに誘ってくれる。卓球のおかげで昨晩は久し振りに一度も目覚めず、トイレなしで朝を迎えられた。これもかなり嬉しい副産物。
24-1-30
今季は明らかに暖冬になっている。マイナス8度は覚えているが10度以下はなかった気がする。水道凍結の心配をしないで済むのは助かるがこれも気候変動の内と考えると喜んでもいられない。去年の猛暑に続いて暖冬となれば農業だけでなく漁業にも多大な影響が出て来るはずだ。かつては大漁だったサンマも鮭もすでに姿を消してしまった。もう北の海ではないのか。
24-1-31