「公共性の法哲学」批判的解読
少ない時間で本を読むのは難しいところであるが、井上達夫編「公共性の法哲学」を拝読したので所感を少々書き留めておく。
一つ目、ご高説は承るが、どうして東京大学出版会が請け負わなかったのか、という疑問が残る。売れる本売れない本があり、今はその時節ではないとUTPは、判断したのでしょうか。ナカニシヤ出版が、西の方の、さる筋からの助言もあって請け負ったのではないかと推察したくなる。
二つ目、亡くなられた行政法の室井教授とその系譜の民科系の公共性議論に比して、現実に即して考察しており、分析用具も切れ味は鋭い点を痛感しながらも、いささか違和感を覚える点がある。
権利基底的公共性のよって立つ理論的根拠を、各論者たちが、説明し切れていないのではないのかという疑念を抱いて仕方がない。記述方法や各論文の体裁の統一を編者が意図的に心がけずに、出版したのではないかという好意的見解はともかく、個別の思想家の公共性を要約し、それに対する独自の見解を止揚するという学問的な超克をあまり感じない。橋本努さんのようにウェーバー論争での新進気鋭の経済思想学者が、ハーバーマスやアーレントは開かれた議論を許容しないと書きつつ、その詳細の論理展開を論文集だから割愛してしまうことはいかがなものかと感じてしまう。末尾の引用文献における古典の比率は大きくなく、近現代の英米系の法哲学・経済哲学者に偏っているような印象を覚える。ルーマンとも対峙して批判するぐらいの勢いを感じたかったところですが、それをやると村上淳一名誉教授とも対決することになるのかと感じました。
三つ目、思想家の引用やテキスト解釈に当たり、実証主義的なスタンスでの学問アプローチをどのへんにおいて記述しているのか見えない点が感じられる。
法哲学で無理に現代を分析することを回避した恩師の研究スタンスはよく分かる気分になりました。
少ない時間で本を読むのは難しいところであるが、井上達夫編「公共性の法哲学」を拝読したので所感を少々書き留めておく。
一つ目、ご高説は承るが、どうして東京大学出版会が請け負わなかったのか、という疑問が残る。売れる本売れない本があり、今はその時節ではないとUTPは、判断したのでしょうか。ナカニシヤ出版が、西の方の、さる筋からの助言もあって請け負ったのではないかと推察したくなる。
二つ目、亡くなられた行政法の室井教授とその系譜の民科系の公共性議論に比して、現実に即して考察しており、分析用具も切れ味は鋭い点を痛感しながらも、いささか違和感を覚える点がある。
権利基底的公共性のよって立つ理論的根拠を、各論者たちが、説明し切れていないのではないのかという疑念を抱いて仕方がない。記述方法や各論文の体裁の統一を編者が意図的に心がけずに、出版したのではないかという好意的見解はともかく、個別の思想家の公共性を要約し、それに対する独自の見解を止揚するという学問的な超克をあまり感じない。橋本努さんのようにウェーバー論争での新進気鋭の経済思想学者が、ハーバーマスやアーレントは開かれた議論を許容しないと書きつつ、その詳細の論理展開を論文集だから割愛してしまうことはいかがなものかと感じてしまう。末尾の引用文献における古典の比率は大きくなく、近現代の英米系の法哲学・経済哲学者に偏っているような印象を覚える。ルーマンとも対峙して批判するぐらいの勢いを感じたかったところですが、それをやると村上淳一名誉教授とも対決することになるのかと感じました。
三つ目、思想家の引用やテキスト解釈に当たり、実証主義的なスタンスでの学問アプローチをどのへんにおいて記述しているのか見えない点が感じられる。
法哲学で無理に現代を分析することを回避した恩師の研究スタンスはよく分かる気分になりました。