無くなっていくものが少しずつ増えていく。
そういうお年頃なのだから、仕方がない。
体力、気力、記憶力…
ワタシの方耳難聴のお陰で判断力も鈍くなった。
音が後ろからなのか、右からか左からなのか分からない時がある。
それはなかなか慣れないし、怖い。
後ろから来る車の音が分からなくて、ビックリすることがある。
こんなふうな場面で鈍感になってしまっているのに、人のクシャミや咳、金属音、突然の音に異常に反応して驚く。
一人だけビクついてしまう。
先日も住宅街の狭い道を歩いていた時、後方宅配トラックの存在に気が付くのが遅かった。
どこかで車の音がするなぁ、どこだろう?くらいに思って歩いていたのだ。
後ろを振り向いて気付いた時には、ワタシの真後ろをピタッと!ギョツとした!
きっと優しい運転手さんがワタシが気付くのを待っていたのではないか?
また社名を表示してるからか?
クラクションを鳴らさずにノロノロと着いてきていたのではないか?
ワタシが居るから追い越せないくらい狭い道なので、少し広くなったところまでワタシは急いだ。
なんだか、すごく申し訳ない気がして。
混んでいる通路などで、人とぶつかりそうになる。
左右の間隔が取れないときがあって、咄嗟にどっちに行けば良いのか迷う。
駅構内の喧騒に以前ならチャッチャと通り抜けられたのに。
今は緊張しながら、歩かないと怖い。
場所にもよるが、
話も聞こえているのに、理解まで直ぐに至らなくて、返事が遅かったり。
同じ音量なのはわかるのだけれど、低音の人の話が聞きとれないときがある。
一対一で話すのは大丈夫だけれど、人数が増えると聞き取れなくなる。
その中にいると、どうしていいか分からない表情になっていると思う。
親切な人がワタシが分かるようにもう一度話してくれる。
助けられる。
助けられる…
これも増えてきたもの。
嬉しいような悲しいような。
でも、ありがたい。
それは無くなったから得たものだ。
ありがたいと思う感情も。
いろんなものや人に、守られているということを、改めて知った。
来年は堂々とビクビクしないで暮らせるようになりたいな。
慣れてドーンと落ち着いて。