今朝からテレビ情報番組では、 今日で『3.11』の震災から8年経過の特集を遣ってますね。
8年…早いものです。その日は夫とワタシは仕事休みでした。二人で居たので心強かったです。長女と次女は職場にいて帰宅難民になりました。三女は水戸で被災し、音信不通が4日間、JRと常磐道が不通で帰宅したのが10日後でした。
仙台の実家の母と
なかなか連絡がつかなかったので、mixiの東日本地震災害コミュニティに書き込みました。「母を探しています!」と。すると見ず知らずの新潟の方からその方のご自分のお母様に聞いてくださって、ワタシの母が小学校の避難所に居たことがわかりました!
小学校の掲示板にその人のお母様に書いてもらい、町内会の人が電話をくれました。携帯は食器棚の下敷きになり壊れて使い物にならなかったんです!
母は小学校に避難していたのですが、過労で倒れて救急搬送されてました。倒れたせいで腰を骨折して自宅で一人で寝ていました。弟は関東で働いていましたが、車で帰ってきたのも何日も経ってからでした。その間母は町内の人に食料とお水などを届けてもらい凌ぎ、家の中の倒れた家具やぐちゃぐちゃになったへやを片付けてもらったようです。
ワタシが実家に行けたのが震災から14日目でした。東北新幹線も東北道も不通。東北道がなんとか通れるようになり、震災復興支援バスが走行を始めたのを知り、下着やウェットティッシュやホッカイロをリュックに詰めて行きました。着いたら仙台駅は真っ暗、歩く人たちもリュックを背負ったりして、オシャレな街は彩りがなくなり暗かったです。
母の所は電気は比較的早く回復したようでしたが、水はなかなか出ませんでした。給水車に貰いに行く日々が何日も続きました。ワタシは3週近く居ましたが、ガスが通ったのがワタシが帰ってくる2日前。それまでこの地域の皆さんは1ヶ月以上自宅のガス風呂に入れませんでした。
母はやっと起きている時間も増えました。ので、
ウェットティッシュで体を拭いた毎日は、温泉旅館が被災者のために温泉施設を解放してくれたお陰で終わりました。ワタシも母が銭湯とかに入れなかったから付き合って3週間近くキチャナイまま!(笑)なんとかなるものです!(笑)
でも忘れません、あの湯船の縁で沢山の人と並んで入浴待ちをしたのを(笑)
だから、水とウェットティッシュと食器を洗わないために使うラップとホッカイロは常備品です!それからお米と卓上コンロとカセットガスや缶詰め。あとレトルトのお粥も。あ、そうそう捨てても良い下着は取って置くことにしています。
来ないことを祈りますが、災害はこの日本の何処で起きるか分からないことです。
地震だけではなく水害や天災等、他人事ではなく自分にも起こりうることと常日頃思いながら、今日も無事に過ごせたことに感謝しなければとおもいました。
午前中は☁たり☀たりしてました。今は☀でお部屋の中はエアコンも床暖房もつけなくとも暖かいです。
豆苗を切って料理に使った後の裸ん坊の苗を、鍋に水を張って窓際に置いておいたら、ボーボーと生えてきました!
昨夜までは数本背が高く延びていたっきりで、それ以上他のはダメかなどと期待していなかったので、こんなことでも嬉しくなります✨
こういう小さなことを大切に思いながら行きたいです…
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。