その後の事をなかなか書けずにいたけれど、
母の病院から帰宅したら、ぽちがまーを看取った後だった。15歳の誕生日を迎えて4日後だった。身体は限界だったのに強制給餌したり、色々負担だったろうけど、そうするしかなかった。
最後は病院連れて行くのも抵抗出来ない位だったのに輸液やめれなかった。
あまり苦しまず息を引き取ったとぽちが言った
ぽちは目を真っ赤にし、鼻水すすりながらまーの側にいた。
私は声あげてわんわん泣きながらまーを抱き締め、ありがとうと沢山伝え、その後は自分が何してるか分からないと言いながらウロウロ歩き泣き、薬やオムツやらをもう見たくないと言って全部見えない場所に片付けた。
悲しみは深いけど、ようやく楽になれたなら自分が喪失感に襲われても寂しくても眠れなくても、まーの苦しみが続くよりは自分が辛い方がマシなんだと自分に言い聞かせた。
翌日も涙出そうなの堪えながら仕事をし、母の病院も行った。
母にまーの事は言わずにいたら
まーの体調はどうだ?って聞かれて、昨日亡くなった事言った
母は、そんな予感がしたと言い
可哀想に、水も飲めないのに1人でいて、まーが可哀想だ、可哀想だと
ベッドに顔埋めてしはらく号泣していた。
寿命だから仕方ないと言うような人なのに、こんなに泣くのかと少し驚いて、私もまた泣いた。
その翌日は従兄弟の告別式行って、母を退院させ
手術して貰える別の病院も自分で探して紹介状書いて貰って
1月に母の手術も無事に終わった。
ようやく平穏な日々が戻った。
母は、まーが病気見つけてくれて、まーに助けられたと言ってる。同じ腎臓だし、まーの事で泊まりに来てなければ手遅れになってたかもしれない。
まーは後から2にゃんこを迎えた時も面倒見が良くて優しいお兄ちゃんだった。
なのに、2にゃんこはまーがいな居なくなっても何も変わらない。