《『般若心経は間違い?』の間違い》という、以前の記事を、もう一度読みたいのに、すぐに見つからない、というご指摘があり、
内容はそのままですが、スマホで読み易く編集しました。
2018-08-20
近頃、10年余りも前に出たスマサーラ長老の本を真似して、「般若心経は間違い」という主張をしている論者がいるそうです。
それに対して何の反論もできない日本仏教は情けないものですが、自分たちも「般若心経」を理解していなかった、つまり「空」を理解していなかったのですから、仕方がありません。
以下の記事を読めば、スマナサーラ長老の主張の間違いや正しいところも理解でき、『般若心経』の正しい理解、つまりは「空」の正しい理解に達することができます。
2007.09.11 Tuesday
『般若心経は間違い?』の間違い (一)
アルボムッレ・スマナサーラ長老が『般若心経は間違い?』(宝島社新書)という本を出されました。
スマナサーラ氏は以前にも『仏弟子の世間話』という本のなかで「色即是空」は正しいが「空即是色は間違い」と述べ、
当ブログでは“エッ!「空即是色」は間違い?”という記事で、その内容に反論を加えました。
このときスマナサーラ氏が「空即是色は間違い」であるとして揚げた比喩が、「人はみな死ぬ」が「死ぬものはみな人」ではないという奇妙なもので、今回も、「リンゴは果物である」というのは正しいが「したがって、果物はリンゴである」というのは間違い、などと“玄奘訳”『般若心経』には当てはまらないことを言っています(中村元さんの訳文については当てはまるかも知れませんが)
『般若心経』で「色即是空、空即是色」というのは、「A=B、B=A」と言っているのであり、どうしても比喩にしたいなら「生き物はみな死ぬ、死ぬものはみな生き物である」と言わなければなりません。
このときスマナサーラ氏が「空即是色は間違い」であるとして揚げた比喩が、「人はみな死ぬ」が「死ぬものはみな人」ではないという奇妙なもので、今回も、「リンゴは果物である」というのは正しいが「したがって、果物はリンゴである」というのは間違い、などと“玄奘訳”『般若心経』には当てはまらないことを言っています(中村元さんの訳文については当てはまるかも知れませんが)
『般若心経』で「色即是空、空即是色」というのは、「A=B、B=A」と言っているのであり、どうしても比喩にしたいなら「生き物はみな死ぬ、死ぬものはみな生き物である」と言わなければなりません。
さらに今回スマナサーラ氏は、「色」を「肉体」と訳しています。ここで言う「色」とは「肉体を通じて感知しうるあらゆる存在と現象」のことであり、「肉体」と訳しても間違いとは言い切れませんが、文脈から見たら、「あらゆる存在と現象」のほうを取らないと意味が通じません。
岩波文庫の中村元さんの訳でも「物質的現象」としており、「肉体」とは言っていません。だいいちスマナサーラ氏自身も『仏弟子の世間話』のなかでは「物質的現象」と言っておられます。
このように、文脈的に通じない訳語を選んでおいて、意味が通じないから「間違っている」と言うのはいかがなものでしょうか。
しかし「色即是空」を「存在や現象(の感知)はすなわち関係(を認識すること)である」と訳せば、色と空は完全にイコールですから、当然「空即是色」も成り立ちます。つまり、A=BならB=Aという関係になります。
岩波文庫の中村元さんの訳でも「物質的現象」としており、「肉体」とは言っていません。だいいちスマナサーラ氏自身も『仏弟子の世間話』のなかでは「物質的現象」と言っておられます。
このように、文脈的に通じない訳語を選んでおいて、意味が通じないから「間違っている」と言うのはいかがなものでしょうか。
しかし「色即是空」を「存在や現象(の感知)はすなわち関係(を認識すること)である」と訳せば、色と空は完全にイコールですから、当然「空即是色」も成り立ちます。つまり、A=BならB=Aという関係になります。
(『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違いより)
『般若心経』の解釈については、“『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違い”、“続 『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違い”という、本ブログの二つの記事で説き尽くしていると思いますが、今度のスマナサーラ氏の本にそれが反映された様子はありません。
スマナサーラ氏自身が日本語が自由に読み書きできるかどうか分かりませんが、今回の本でも「『般若心経』について、いろいろな人が解説していますが、どれもイマイチ納得できません」(「はじめに」P.4)と述べておられ、この点は当ブログとしても、スマナサーラ氏と共通の認識を持っております。
であるならば当ブログの見解も読んだ上で『般若心経』を論じていただきたいものです。
とは言うものの、このブログのような不人気?ブログでは、もともと読む人も少ないし、無視されるのも仕方がありません。
そこで出来るだけ詳しく、この本『般若心経は間違い?』に反論を加え、『般若心経』のより正しい理解を少しでも広めることができればと思います。
「はじめに 般若心経は難しい?」(『般若心経は間違い?』P.3〜6)より
(引用開始)
じつは「般若心経」はわからなくて当たり前なのです。それはお釈迦様、正統覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。
(引用終わり)
ここを読むと、これは「信仰」であって、論理とか哲学とかいうようなものではありませんから、論争も批判もしようがないかも知れません。
しかし、“真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」”というのは、明らかに間違った認識です。それに、“ブッダ以外、完全に「普遍的で客観的な事実」を語れる人はいません”となると、ほかに語れる人がいない「普遍的な事実」とは成立しうるのか?という疑問も生じます。
それとも、「空即是色」のときと同じように、「真理」とはすなわち「普遍的で客観的な事実」であるが、「普遍的で客観的な事実」がすなわち「真理」とは限らない、とでも言うのでしょうか?
「空」とは、「どのような存在や現象も絶対的なものではない」という考え方を表すものですから、「普遍的で客観的な事実」と見えるものも、ただそう見えるだけのことで、それもまた「空」であり、絶対的なものではありえません。
スマナサーラ氏は「真理」と言いますが、たとえお釈迦さまの言葉だとしても「真理」と見えるものもまた「空」に過ぎません。
ならば「空」こそは「真理」ではないか?と思う人がいるかも知れませんが、「空」つまり「関係」だって絶対的なものではなく、「色」つまり肉体がそのように感知した結果として「受・想・行・識」が働き、何らかの「関係」として認識されるのですから、「空」もまた「色」に過ぎない、つまり「空即是色」であり、「真理」と言えるような絶対性はない、というべきです。
『般若心経』の解釈については、“『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違い”、“続 『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違い”という、本ブログの二つの記事で説き尽くしていると思いますが、今度のスマナサーラ氏の本にそれが反映された様子はありません。
スマナサーラ氏自身が日本語が自由に読み書きできるかどうか分かりませんが、今回の本でも「『般若心経』について、いろいろな人が解説していますが、どれもイマイチ納得できません」(「はじめに」P.4)と述べておられ、この点は当ブログとしても、スマナサーラ氏と共通の認識を持っております。
であるならば当ブログの見解も読んだ上で『般若心経』を論じていただきたいものです。
とは言うものの、このブログのような不人気?ブログでは、もともと読む人も少ないし、無視されるのも仕方がありません。
そこで出来るだけ詳しく、この本『般若心経は間違い?』に反論を加え、『般若心経』のより正しい理解を少しでも広めることができればと思います。
「はじめに 般若心経は難しい?」(『般若心経は間違い?』P.3〜6)より
(引用開始)
じつは「般若心経」はわからなくて当たり前なのです。それはお釈迦様、正統覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。
(引用終わり)
ここを読むと、これは「信仰」であって、論理とか哲学とかいうようなものではありませんから、論争も批判もしようがないかも知れません。
しかし、“真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」”というのは、明らかに間違った認識です。それに、“ブッダ以外、完全に「普遍的で客観的な事実」を語れる人はいません”となると、ほかに語れる人がいない「普遍的な事実」とは成立しうるのか?という疑問も生じます。
それとも、「空即是色」のときと同じように、「真理」とはすなわち「普遍的で客観的な事実」であるが、「普遍的で客観的な事実」がすなわち「真理」とは限らない、とでも言うのでしょうか?
「空」とは、「どのような存在や現象も絶対的なものではない」という考え方を表すものですから、「普遍的で客観的な事実」と見えるものも、ただそう見えるだけのことで、それもまた「空」であり、絶対的なものではありえません。
スマナサーラ氏は「真理」と言いますが、たとえお釈迦さまの言葉だとしても「真理」と見えるものもまた「空」に過ぎません。
ならば「空」こそは「真理」ではないか?と思う人がいるかも知れませんが、「空」つまり「関係」だって絶対的なものではなく、「色」つまり肉体がそのように感知した結果として「受・想・行・識」が働き、何らかの「関係」として認識されるのですから、「空」もまた「色」に過ぎない、つまり「空即是色」であり、「真理」と言えるような絶対性はない、というべきです。
当時はコメントを書いてくれる人が多く、ちょっとした論争も起こりました。まだ残っているものもありますので、興味のある方はお読みください。
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