バラのキャンピングカー BLUE1

初めてのキャンピングカーでの出来事や旅行、日常生活などを綴って行きます!

介護になる過程

2016年06月01日 | 介護

もう一度、初心に戻り

介護についての色々な我が家の問題点を考えて見た。

 

・最初は主に妹任せにしていた。

・私が積極的に最初は動かなかった。

・金銭的問題

・父との衝突や入院により、信頼して貰えなくなった。

・家族みんな不の渦の中に入り込んでしまった。

・父の病状の進行が早く、対応しきれなくなる

・自宅での介護が困難になる

・事前の準備などしていなかった。

 

 

数えると切りがなく出てきます。

今思えば家族での話し合いや、打ち合わせなど漠然としていて

何もせずに自分達の買い物や支払に追われた日々を費やしていたと思う

それが一変、天国から地獄へと転がり込んだ様です・・・

 

このブログを見て何か思い当たる所があれば

早めに対処して下さいね!

 

{私の場合}

私と父とは考え方の違いから意見の衝突になりがちで、私達が

きずかないうちに認知症の病が忍び寄り

病状が出始めてから あれ?どうしたのかな?何かおかしい!

最初は年をとると物忘れも多くなるし、私でも物や言葉が出てこなかったりする為

さほど気にも留めずに過していました。

まさか私の両親が認知症になるとは思いもせず

後10年は大丈夫かな~と考えていたので対策などしていなかった。

 

しかし、4年前に母の様子が少し変わり出して来ていたがきずかずにいました。

しばらく様子を見ていましたが、甥や姪からの話や

周りからの連絡で初めて普通ではない事にきずかされました。

 

病院で見て貰った結果

認知症と判定され、要介護1の認定をもらいました。

この時点で要支援1・2を飛び越えてしっまていました。

先生から介護や認知症についての資料などをもらいデイサービスを勧められました。

ただ、母が父をのこして自分だけでは行けないと話します。

父は頑固で今まで大きな病気もせずに過してきていたので、むろん

病院への受診は当然 拒絶です!

あの手この手を使いましたがうまく行かず・・・

ケアマネージャーさんより母の普段の様子を先生に話して欲しいので

一緒に来て欲しい事をはなし、納得してもらい病院へ

母を診たついでに父も診ましょうと診断

結果、やはり認知症を発症していました。

ここで、夫婦でデイサービスに通いましょうと言う事で

周2回行く事になりました。

 

 

今思えば、その時までは、父の性格だと私は思っていました。

 

母がまだ認知症を発症する前

私や母など言葉の暴力を受け続けていたので良く口論しました。

私がいない時は姪への言葉の暴力が行き

たえていた姪も うつ病を発症して1年程 仕事が出来なくなりました!

それでも父は知らん顔、謝る事などしません 

自分が間違っていても認めないし、減らず口も聞きます 

*この時から発症していたのでしょう ・・・ ? 

 

実家に甥と姪が居候 ?同居かな~

月に3~4万入れて貰っていて助かると話していました(母が)

でも母が金銭管理が出来なくなると父が管理しだしました。

この時に成人後見人の話をしてあとの事を決めていればよかった様ですが

その当時は後見人の事も詳しく知りません

只お金がかかると思っていました。

 

続きはまた今度