会津太郎著『わが福島』
FB友達の会津太郎氏から氏の著作『わが福島』をご恵贈戴いた。氏は、神奈川県秦野市に在住する詩人であるが、福島県会津美里町出身との事で、故郷「福島」に対しては一入思い入れの深い土地であるように思われる。
2011年3月11に福島の原発事故が発生してから既に6年を経過している。今や人々の記憶の中からは、過去の出来事として消え去ろうとしている。たった6年前の出来事である。しかも、事故原発の後始末は、まだ緒についたばかりであり、この先何十年も続く日本国民全体にとっての大きな負債でもある。このような状況下で、政治は福島原発事故が恰も無かったかのように、各地で原発再稼働に向けた無責任な動きを始めている。日本人の健忘症や無反省な行動には呆れてしまうが、何処かで誰かが声を上げていく必要性を強く感じる。会津氏も述べているように、「福島原発事故はもはや日本だけの問題ではなくて、世界共通の普遍的な問題」でもある。会津氏は、本著作を日本語だけでなく、英語、フランス語でも記述し、世界に発信されている。氏の俳句 〈瓦礫から水仙の茎生まれけり〉 は、極めて印象的である。震災からの時間経過の速さを物語っている。
『わが福島(My Fukushima)』は、3.11事故以前(福島の四季)と以後の福島変貌の姿を5行詩と3行詩及び俳句、俳文等で編集されている。永年俳句のみに親しんで来た者にとっては、詩型の目新しさと共に、5-7-5の短詩型では伝えにくい情感を十分に読み込むことが出来る詩型に魅了された。特に感動を受けた詩を下記する。なお、本ブログへの転載については、会津氏よりお許しを戴いている。
「すみれ」
おじいさんとおばあさんが
道端にしゃがんで
すみれを眺めながら
おしゃべりしている
春の朝
「滝桜」
何本もの添え木に
支えられながらも
樹齢約千年
今うすくれないの
三春滝桜
「3.11以後」
2011年
3月10日
私の福島が
片仮名のフクシマに
突然変わった
「同上」
「避難しろ」と言われても
自分の老後を
自分の村で
平和に過ごしたい
フクシマの老人
(祈り)
「滝桜」
これから千年
あの滝桜が
三春の土地に
毎年毎年
咲き続けますように
「子供の未来」
福島だけではなく
チェルノブイリの子供達も
素朴な遺伝子を
セシウムに
汚されませんように
(俳句:会津太郎氏詠)
あの津波 何だったのか 春の海
墓石が 横たわっている 夏日かな
セシウムが ようやく減りし 米の粒
降る雪や 街をうろつく 牛の群れ
瓦礫から 水仙の茎 生まれけり
本書を読んでいてとても切なくなる。福島原発事故の後始末が終わるまでを見極めることが出来ない世代として、これからの子供たちに託さなければならない負の遺産の重さを感じる。
(3月10日呑舞詠)
福島の児等の嘆きや春愁ふ
奥州の空避けゆくや鳥帰る
鎮魂の祷を乗せて鳥帰る
芽吹きけり主今無き狭庭にも
現世の悩み尽きせぬ身なれども明日の我が身は弥陀に委ねん 呑舞
(平成29年5月6日記)