10月25日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第110回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト2を3個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2は合計1738個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1490部となりました。
今回で通算120回目のビタペクト2の配布となりました。
のべ人数になりますが、現時点で1738人分のビタペクト2、そして1490家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)
http://www.belrad.nsys.by
今回は3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。
(家族A)
ミンスク州のマリナ・ゴールカ(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た親子。この家族にもビタペクト2を1個渡しました。
母親(事故発生時12歳)の胎内放射能値は10ベクレル。2歳の長男は33ベクレルでした。
本当はビタペクト2は3歳以下の子どもにはあげないことになっています。(まれに下痢を起こすことがあるため。)しかしまだお母さんが母乳が出ている、ということだったので、お母さんがビタペクト2を飲み、その母乳を長男に飲ませることになりました。
母親から放射能が母乳を通じて子どもに行くことは十分ありえます。ただそんなに大きな値ではないそうです。とにかく、母乳を与えている場合は母親がビタペクト2を飲むほうがいいのではないか、と思いました。
この男の子は現在、比較的健康だそうです。
(家族B)
モギリョフ州にある町クリチェフ(チェルノブイリ原発から約240キロ)から来た家族。お母さんが2人の子どもと保養滞在していました。
この家族には1個のビタペクト2を渡しました。
残念なことに体内放射能測定の日に、4歳の長女が風邪で熱を出してしまい、お母さんはSOS子ども村で看病していました。そのため8歳の長男だけが測定をしました。その結果は22ベクレルでした。この長男にだけビタペクト2を渡しましたが、結果的には飲ませないことになりました。
長男は生まれつき心臓の壁に穴が開いています。さらに子どもが2人とも遺伝子病フェニルケトン尿症にかかっています。これは大変珍しい病気だそうです。両親が偶然、この病気の遺伝子を持っている場合、子どもに発病します。子どもも保因者になります。
食べ物により湿疹のようなアレルギー反応が出るそうで、食事に気をつけないといけません。そのための特殊な栄養ミルクも売られていますが、ベラルーシでこの病気を発症している患者自体が少ないので、なかなか手に入れられないそうです。
年齢が上がるとともに発症の度合いも軽くなっていくそうですが、治療の方法はありません。ちなみにクリチェフ市にはこの病気の子どもはこの兄妹を入れて3人しか患者がいないそうです。
食事内容に気をつけないといけない、ということで、ビタペクト2を飲んでもいいものかどうか調べてみることにしました。その結果、やめておいたほうがいいということになりました。お母さんはがっかりしていました。
同じ病気の長女にもあげられないし、かと言って、一度あげる、と渡したものを返してほしい、と言うのもなんだったので、ビタペクト2は母親が飲むことになりました。
測定はしていないので、母親の放射能値がどれぐらいなのか分からないのですが、おそらく0ベクレルということはないでしょう、ということで、ビタペクト2を飲んでもらうことになりました。
(家族C)
モギリョフ州クリチェフ市の近くにあるコスチュシコビッチから来た家族。お母さんが4人の子どもを連れてきていました。やはり体内放射能測定の日に4歳の三男をお母さんがミンスクの専門病院に連れて行っていたので、この2人は測定を行っていません。
測定をした3人の子どもたちの体内放射能値の結果は、長男(15歳)が17ベクレル、次男(11歳)22ベクレル、長女(8歳)が9ベクレルでした。
次男にだけビタペクト2を1個渡しました。
お母さんは弱視です。遺伝なのか長女も弱視で目薬をずっとさしているそうです。
三男は小児麻痺のため、ほとんど自力で動けず、視神経にも異常があり、光があるかないかしか分からないそうです。このような障害を持っている子どもたちのための特別養護学校があり、治療プログラムを受けることになっています。
とにかくお母さん方のご苦労には、驚くばかりです。さらにクリチェフの病院に子どもを連れて行ったら、とにかく待ち時間が長くて、5時間も待たされた、とか、食中毒で入院したのに、インフルエンザの患者が入れられている病室に入れられた、とか、入院中食事が出ず、ミネラルウオーターだけ与えられた、とか、信じがたい話をお母さんたちはしていました。
でもSOS子ども村に来て、自分たちの地元の病院への苦情を愚痴ったところで、何も改善しません。地域住民が団結して、しかるべき場所へ訴えるしかないのでは、と話しました。あきらめたらダメですよね。自分や自分の家族の健康のためなのですから。
今回もいつものように子どもたちに折り紙やぬりえ、折鶴などをプレゼントしました。きれいな一筆箋もあったので、1枚1枚に筆ペンで子どもたちの名前を日本語で書きました。
日本語を書くと、どういうわけかすごくベラルーシ人の子どもに受けますね。なぜだろう?
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
今回はビタペクト2を3個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2は合計1738個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1490部となりました。
今回で通算120回目のビタペクト2の配布となりました。
のべ人数になりますが、現時点で1738人分のビタペクト2、そして1490家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)
http://www.belrad.nsys.by
今回は3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。
(家族A)
ミンスク州のマリナ・ゴールカ(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た親子。この家族にもビタペクト2を1個渡しました。
母親(事故発生時12歳)の胎内放射能値は10ベクレル。2歳の長男は33ベクレルでした。
本当はビタペクト2は3歳以下の子どもにはあげないことになっています。(まれに下痢を起こすことがあるため。)しかしまだお母さんが母乳が出ている、ということだったので、お母さんがビタペクト2を飲み、その母乳を長男に飲ませることになりました。
母親から放射能が母乳を通じて子どもに行くことは十分ありえます。ただそんなに大きな値ではないそうです。とにかく、母乳を与えている場合は母親がビタペクト2を飲むほうがいいのではないか、と思いました。
この男の子は現在、比較的健康だそうです。
(家族B)
モギリョフ州にある町クリチェフ(チェルノブイリ原発から約240キロ)から来た家族。お母さんが2人の子どもと保養滞在していました。
この家族には1個のビタペクト2を渡しました。
残念なことに体内放射能測定の日に、4歳の長女が風邪で熱を出してしまい、お母さんはSOS子ども村で看病していました。そのため8歳の長男だけが測定をしました。その結果は22ベクレルでした。この長男にだけビタペクト2を渡しましたが、結果的には飲ませないことになりました。
長男は生まれつき心臓の壁に穴が開いています。さらに子どもが2人とも遺伝子病フェニルケトン尿症にかかっています。これは大変珍しい病気だそうです。両親が偶然、この病気の遺伝子を持っている場合、子どもに発病します。子どもも保因者になります。
食べ物により湿疹のようなアレルギー反応が出るそうで、食事に気をつけないといけません。そのための特殊な栄養ミルクも売られていますが、ベラルーシでこの病気を発症している患者自体が少ないので、なかなか手に入れられないそうです。
年齢が上がるとともに発症の度合いも軽くなっていくそうですが、治療の方法はありません。ちなみにクリチェフ市にはこの病気の子どもはこの兄妹を入れて3人しか患者がいないそうです。
食事内容に気をつけないといけない、ということで、ビタペクト2を飲んでもいいものかどうか調べてみることにしました。その結果、やめておいたほうがいいということになりました。お母さんはがっかりしていました。
同じ病気の長女にもあげられないし、かと言って、一度あげる、と渡したものを返してほしい、と言うのもなんだったので、ビタペクト2は母親が飲むことになりました。
測定はしていないので、母親の放射能値がどれぐらいなのか分からないのですが、おそらく0ベクレルということはないでしょう、ということで、ビタペクト2を飲んでもらうことになりました。
(家族C)
モギリョフ州クリチェフ市の近くにあるコスチュシコビッチから来た家族。お母さんが4人の子どもを連れてきていました。やはり体内放射能測定の日に4歳の三男をお母さんがミンスクの専門病院に連れて行っていたので、この2人は測定を行っていません。
測定をした3人の子どもたちの体内放射能値の結果は、長男(15歳)が17ベクレル、次男(11歳)22ベクレル、長女(8歳)が9ベクレルでした。
次男にだけビタペクト2を1個渡しました。
お母さんは弱視です。遺伝なのか長女も弱視で目薬をずっとさしているそうです。
三男は小児麻痺のため、ほとんど自力で動けず、視神経にも異常があり、光があるかないかしか分からないそうです。このような障害を持っている子どもたちのための特別養護学校があり、治療プログラムを受けることになっています。
とにかくお母さん方のご苦労には、驚くばかりです。さらにクリチェフの病院に子どもを連れて行ったら、とにかく待ち時間が長くて、5時間も待たされた、とか、食中毒で入院したのに、インフルエンザの患者が入れられている病室に入れられた、とか、入院中食事が出ず、ミネラルウオーターだけ与えられた、とか、信じがたい話をお母さんたちはしていました。
でもSOS子ども村に来て、自分たちの地元の病院への苦情を愚痴ったところで、何も改善しません。地域住民が団結して、しかるべき場所へ訴えるしかないのでは、と話しました。あきらめたらダメですよね。自分や自分の家族の健康のためなのですから。
今回もいつものように子どもたちに折り紙やぬりえ、折鶴などをプレゼントしました。きれいな一筆箋もあったので、1枚1枚に筆ペンで子どもたちの名前を日本語で書きました。
日本語を書くと、どういうわけかすごくベラルーシ人の子どもに受けますね。なぜだろう?
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。