来週SOS子ども村へ再びチロ基金の活動としてビタペクトTを子どもたちに渡す予定でした。しかし今回は行かなくてもいいことになりました。
SOS子ども村の担当職員の方が子どもたちの体内放射能値の測定結果を電話で知らせてくれたのですが、ほんとんどの子どもが0ベクレル(不検出)だったのです。
これは珍しい、と話を詳しくききました。
今回保養に来ているのはモギリョフ州にあるキーロフスク市(チェルノブイリ原発から約160キロ)とその郊外にあるムィシコビッチ村から来た2家族。合計13人の子どもが保養に来ています。
このうち一つの家族のうち一人が体重1キロ当たり16ベクレル、もう一つの家族のうち一人が10ベクレルだっただけで、あとは母親2人も0ベクレルでした。
一人のお母さんはチェルノブイリ事故当時11歳。もう一人のお母さんは27歳でした。
年上のお母さんは14年間たくさんの養子を引き取って育てています。(家庭タイプ孤児院、とベラルーシでは呼んでいます。)
このお母さんの子どものうち一人が16ベクレルだったのですが、引き取ったのが3ヶ月前だそうです。
お母さんは2人ともモギリョフ州の別の町の出身でしたが、事故の後移住することになり、キーロフスク市へ引越ししたそうです。
お母さんたちはこのような体験があり
「放射能は危険。」
という強い認識があり、放射能のことをいろいろ知っている、と話しているそうです。
例えば2家族とも自分の子どもにいっさい牛乳を飲ませていないそうです。代わりにヤギを飼っていて、そのヤギの乳だけ子どもに飲ませています。野菜なども全て自分たちが自分の畑で作ったものです。
また「このベリーは汚染されやすい。こっちのベリーは汚染されにくい。」などいろいろなことを知っているそうです。
きっとこの家族の畑がある地区は放射能汚染されておらず、その草を食べるヤギの乳も安全なのでしょう。
「店で牛乳を買ったことがない。」とも話していました。
確かに牛乳は検査をして1リットルあたり100ベクレル以下なら出荷されてしまいます。出荷されている、販売されている、イコール放射能ゼロという保障はありません。
いやあ、すばらしい! この調子で生活を続けてください、とSOS子ども村の担当職員の方に伝えておきました。
悲惨な事故が起きて、移住させられながらも、移住先でちゃんと体内被曝のない子供を育てている立派なお母さんたちもいるんですね。
今回はチロ基金の活動ができなくて、うれしかったです。
SOS子ども村の担当職員の方が子どもたちの体内放射能値の測定結果を電話で知らせてくれたのですが、ほんとんどの子どもが0ベクレル(不検出)だったのです。
これは珍しい、と話を詳しくききました。
今回保養に来ているのはモギリョフ州にあるキーロフスク市(チェルノブイリ原発から約160キロ)とその郊外にあるムィシコビッチ村から来た2家族。合計13人の子どもが保養に来ています。
このうち一つの家族のうち一人が体重1キロ当たり16ベクレル、もう一つの家族のうち一人が10ベクレルだっただけで、あとは母親2人も0ベクレルでした。
一人のお母さんはチェルノブイリ事故当時11歳。もう一人のお母さんは27歳でした。
年上のお母さんは14年間たくさんの養子を引き取って育てています。(家庭タイプ孤児院、とベラルーシでは呼んでいます。)
このお母さんの子どものうち一人が16ベクレルだったのですが、引き取ったのが3ヶ月前だそうです。
お母さんは2人ともモギリョフ州の別の町の出身でしたが、事故の後移住することになり、キーロフスク市へ引越ししたそうです。
お母さんたちはこのような体験があり
「放射能は危険。」
という強い認識があり、放射能のことをいろいろ知っている、と話しているそうです。
例えば2家族とも自分の子どもにいっさい牛乳を飲ませていないそうです。代わりにヤギを飼っていて、そのヤギの乳だけ子どもに飲ませています。野菜なども全て自分たちが自分の畑で作ったものです。
また「このベリーは汚染されやすい。こっちのベリーは汚染されにくい。」などいろいろなことを知っているそうです。
きっとこの家族の畑がある地区は放射能汚染されておらず、その草を食べるヤギの乳も安全なのでしょう。
「店で牛乳を買ったことがない。」とも話していました。
確かに牛乳は検査をして1リットルあたり100ベクレル以下なら出荷されてしまいます。出荷されている、販売されている、イコール放射能ゼロという保障はありません。
いやあ、すばらしい! この調子で生活を続けてください、とSOS子ども村の担当職員の方に伝えておきました。
悲惨な事故が起きて、移住させられながらも、移住先でちゃんと体内被曝のない子供を育てている立派なお母さんたちもいるんですね。
今回はチロ基金の活動ができなくて、うれしかったです。