
残念なことにイオシフ・ゴシケーヴィチの父が神父をしていたミハイロフスキー教会は残っていません。
18世紀末に建てられたその場所は野原になっています。
ところで神父とその家族は教会のそばに建てた家屋で暮らすことが多かったのですが、その家自体も残っていません。しかし、この家屋があった場所に現在、別の名前の教会が建てられています。
建物自体は20世紀初頭に建てられたそうなのですでに築100年は経過していますね。
画像はその教会の写真なのですが、かなり古くて、ボランティアでいいからペンキ塗りをさせてください、と言いそうになりました。
ストレリチェヴォ村の人口が800人ぐらいに減少しており、常に教会に神父様がいるわけではなく、隣村の教会の神父様が定期的にミサをしに回ってきてくれているそうです。教会には堂守りの方が数人おられて、教会の敷地内の庭仕事や教会所有の畑仕事をしていました。
ここでゴシケーヴィチ神父一家が200年前につつましく暮らしていたのか、と想像すると感慨深いものがありました。
18世紀末に建てられたその場所は野原になっています。
ところで神父とその家族は教会のそばに建てた家屋で暮らすことが多かったのですが、その家自体も残っていません。しかし、この家屋があった場所に現在、別の名前の教会が建てられています。
建物自体は20世紀初頭に建てられたそうなのですでに築100年は経過していますね。
画像はその教会の写真なのですが、かなり古くて、ボランティアでいいからペンキ塗りをさせてください、と言いそうになりました。
ストレリチェヴォ村の人口が800人ぐらいに減少しており、常に教会に神父様がいるわけではなく、隣村の教会の神父様が定期的にミサをしに回ってきてくれているそうです。教会には堂守りの方が数人おられて、教会の敷地内の庭仕事や教会所有の畑仕事をしていました。
ここでゴシケーヴィチ神父一家が200年前につつましく暮らしていたのか、と想像すると感慨深いものがありました。