ぬけヨガ神戸◎しちみのブログ ~猫とさかな通信~

神戸でヨガと畑、始めました♪
ヨガで深まる心地よさを共有したくてぬけヨガクラスやイベントしたり、畑で野菜を育てたり~◎

変化するもの、変わらないこと

2016-06-05 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです。

神戸市垂水区塩屋のflagさんで、
ぬけヨガを共有しています。
次回は6月15日(水)、14時30分~と16時30分~の2クラス。
梅雨時のむくみ対策をテーマに、
気持ちよ~く伸びて通していきましょう♪
詳しくは、アトリエfのFBサイトもしくはブログのこちらのページからどうぞ◎


先日、ヨガ友と話しているときに、
"流れる水"のような気持ちよさを感じました。

いつも新鮮で、
流れのままにいろんな場所へ現れて、
周りに養分をわけてまわって、
受け取って、
ゆたかな慈雨となり、
やさしく樹々や大地に染み込んで、
再び水となって流れていく。

そんなイメージを伝えると、アハハと笑い、
「だったら、しちみちゃんは"山"だね。
いろんな地層の積み重なっている感じ」
と言われました。

……へえ~、山かぁ。
意外な気もするし、なるほどなぁという気もします。

たとえばわたしは住む場所はどこでもよくて、
とは言え実際に住む家や土地は重視しますけれども(笑)、
いまはたまたま神戸市に住んでいて、
かなり気に入っています。
でもそのうち九州に引っ越すかもしれないし、
もしかしたら、次はインドネシアかもしれない。
たぶん「この土地に根を下ろす」という感覚は、
いまのわたしには薄いようです。

もっともっと知らない場所に行ってみたいし、
旅してまわりたいし、
住んでみたい。
知らない人たちと出会いたいし、
知らない話を聴いたり知らない習慣に触れてみたいし、
知らない美しさに満たされたい。
とにかく知らないことを知りたくて、
知らないことがあるということをもっともっと知りたかったりします。

だからきっと、わたしは
『フリーランスライター』という仕事を選んだのだろうなぁと思います。

と同時に、わたしは"日常"が大好きだったりもします。
いつもの暮らし、日々の営み。
ベランダの植物に水をやったり、
本を読んだり、
近所を散歩したり、
畑のことをしたり、
映画を観たり、
音楽を聴いたり、
食べたいものをつくって食べたり、
手を動かして何か生み出したり、
身近な暮らしのあれこれをいつものペースで楽しむのが大好き。
ついでに、ひとりでいる時間をこよなく愛してもいます。
静けさや沈黙のなかでこそ、わたしは落ち着ける。
すべてはここにあるなぁと感じます。

人それぞれにその配合やら内容やら濃度の異なるように、
わたしのなかにもいまのわたしの陰と陽があり、
混ざり合って一体となってひろがっています。



東京から神戸に引っ越して、
『暮らし方を変える』をそれなりに実践して、
2年が経ちました。
わたし自身にとっても"激震"だった
東日本大震災から6度目の夏が近づいています。

ヨガや仕事、新しく出会った人たち、
いま住んでいるあたりの地域性、
四季のめぐり、畑、
地元の人たち、生じる関係性。

ようやくいろんなことが落ち着き始め、
自分のペースもととのってきたところで、
必要な"変化"はじわじわと動き始めたようです。

たとえば、「ゆるい」とか、「スロー」ということば。
そられの表している、暮らしかたや、ありよう。

わたしは「おおらか」であることや、
「のんびり」している感じは大好きだけど、
「ゆるい」はどうだろう?
「ゆるむ」とか、「ゆるゆるする」のは好きだけど、
ゆるい状態そのものは、そんなに好みではないなぁとか(笑)。

ゆるゆるゆるんで、リラックスしたら、軽く引き締める。
そっちのほうが、性に合ってるなぁとか。

5分でできることを急がず丁寧に10分かけてするのはいいけれど、
ほかのことに気をとられて果てしなく時間がかかるのは、どうなんだろうとか(笑)。

野菜を買うのではなく育てる暮らしは、
案外、忙しいものだよ、とか。
それを楽しめているからこそ、続いているのだろうなとか。


誰にとってもそうであるように、
わたしにはわたしの時間の流れがあって、
そのときどきが"大切な時間"だったりします。
だからこそ、誰かといるときには、
ともに大切な時間をわかちあいたいなぁと思います。

誰かの時間をムダに消費したくないし、
誰かに時間を盗られたくないなぁと思う。

「これも何かの学びかも」とか、
「ご縁は大切」とか、
「すべてのことにムダはない」とかいったことも、
実感する機会は多いし、
それはそうなのだろうと思いつつ、
それを理由に自分のしたいことをあとまわしにしたり、
必要としていないものを受け取ったりする"時期"は、
そろそろ終わりなのかもしれないなと思ったり。

変わらないものと、
変化し続けること。

積み重なっていくものと、
流れゆくもの。


ここのところ、ごそっと脱いだり、
削ぎ落としたりしています。

脱いだり削ぎ落としたものは、
それらを必要としている人のもとへと循環していくのでしょう。

いまは、そんな"時期"なのかなと感じています。