こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです◎
いつもの冬よりあたたかいので、
あまりそんな気がしませんが、
それでもやっぱり大晦日です(笑)。
ことし1年、
自分も身近な人たちも健康にすごせたこと、
たくさん笑いながら暮らせたこと、
いろんな方と出会えたこと、
大切なものを受け取れたこと……
ありがたいなぁと思います。
ここ数年、ヨガ界隈では煩悩の数にかけて
"108回の太陽礼拝"がはやっているそうなのですが、
わたしもいちど挑戦してみたいような、
けどマラソン苦手だなぁ…みたいな(笑)。
で!
というわけでもないのですけれど〜(笑)。
わたしは昨日、
「108分ヨガ」というイベントに参加しました。
先生おふたりが2パートずつ受け持って、
計4パート、108分間ヨガをするという企画で、
おふたりの先生のうちおひとりが、
ことし初めて出会い、
わたしにおおきな"気づき"をもたらしてくれた
数珠孝さんだったのです☆
何度か受ける機会をいただいた数珠さんのアウトサイドヨガ(外でするヨガ)は、
それはもう気持ちがよくて、
開放的で、
ああわたしはこういうヨガが好きなんだっ!!!
と、見あげる空に、太陽に、
おおきく包み込まれながら、
思いっきりハグし返しながら、
全身で感じます。
その数珠さんの、インドアでのヨガ。
初めての場所で、
初めましてのみなさんと共有した108分。
しかも最後のパートは数珠さんが担当で、
たまたまわたしが学びたいなぁと思っていた
「メッター瞑想」というものでした。
メッター瞑想……
慈悲の瞑想と言われていて、
インドに古くから伝わるヴィパッサナー瞑想の一環、なのだそうです。
ヴィパッサナー瞑想については、
こちらをどうぞ。
静かに座り、目を閉じ、
数珠さんは、言います。
「自分にラクな呼吸をしてください」
「自分を苦しめるような呼吸は手放して、
自分がラクになる呼吸をして」
「自分のからだに、
よう知ってるで〜と言ってあげてください」
「ようがんばってるの知ってるで、
ほかの誰より自分が知ってるで〜と、
やさしく、自分を大切にしてあげてください」
そして、慈悲の瞑想……メッター瞑想が始まる。
数珠さんのリードする声が、
こころに、
からだに響いてくる。
「わたしが、しあわせでありますように。
わたしが、しあわせでありますように」
「わたしの悩みや苦しみが、なくなりますように」
「わたしの願いごとが、かなえられますように」
「わたしに、悟りの光があらわれますように」
「わたしが、しあわせでありますように。
わたしが、しあわせでありますように」
そして、「わたし」の部分が変化していく。
まずは、「わたしの親しい人たちが…」に。
次に、「生きとし生けるものが…」
さらに、「わたしの嫌いな人たちが…」へ。
こころのなかで同じことばを復唱するように感じながら、
いろんな人の顔が思い浮かぶ。
いろんな場面が去来する。
数珠さんは、続ける。
「わたしを嫌っている人たちが、しあわせでありますように」
……ハッとする。
「わたしを嫌っている人たちの悩みや苦しみが、なくなりますように」
「わたしを嫌っている人たちの望みが、かないますように」
「わたしを嫌っている人たちに、悟りの光があらわれますように」
「わたしを嫌っている人たちが、しあわせでありますように」
再び、「生きとし生けるものが…」に戻り、
最後は「わたしが、しあわせでありますように」で終わる。
「わたしが」「わたしの親しい人たちが」は、
こころから、そう望める。
不意に「わたしの嫌いな人たちが…」に変わり、
はっきりと浮かびあがる顔があり、
そのうしろに、ちらちらとたくさんの顔が見え隠れする。
むぅ…。
思いの外、多いじゃあないか…。。
苦笑しつつ、
「そうだな、あの人も、
イヤな想いを何度も味わったけどあの人も、
しあわせでいてくれたらいいのかもね」
「うんうん、
年末だしね……」
それで精一杯。
いまのわたしのできる限りは、
どうやらそのあたりらしく…。。
まぁ、嫌いのまま放っておかずにすみそうでよかった〜
なんて思っていたら。
「わたしを嫌っている人たちが…」
ときたわけですよ。
うん。
わたし、誰に嫌われてるのかな。
ああ、あの人はわたしが嫌いかもな。
だからあんなこと、わたしにしたのかな。
わたし、あの人に嫌われるようなこと、何したんだっけ。
ああ、そういえば…。
ああ、ああ、ああ……。
ええいっ、みんなしあわせであれ〜っ!!
ふだんは、おそらくこころの奥の方に隠れている
「とげ」が、見えてきました。
それも、けっこう、たくさん…(笑)。
ふむふむ。
わたしはそうなのか。
そうだよな。
そうそう…。。
初めてのメッター瞑想は、
わたし自身のこころのなかを照らし出し、
「とげ」のまだまだある自分を受け入れるための
"慈悲"をもたらしてくれました。
2015年の晦日に、
たいへんなギフトをいただいちゃった。
いままでイヤな想いを何度もした人や、
わたしの大切な人はもちろん、
知らない誰かをひどい目にあわせた人、
自分の欲だけに忠実に見える一部の政治家や企業家、
あるいは宗教家、科学者などを含む専門家……
そしてわたしを嫌っているであろう人たちのしあわせ、
その人たちの望みがかなうこと、
その人たちに悟りの光があらわれることを心の底から本当に願うのは、
いまのわたしには、
まだ、ムリがあるかもしれない。
仮に願うことはできたとしても、
その人たちが目の前に現れイヤな想いをさせられたら、
その人たちが自分の富のために環境を破壊し、
他人を踏みつけにし、
動植物を痛めつけたら、
また、
わたしはその人たちのことをイヤだなと思うかもしれない。
願うことと実践の間には、
わたしの場合、
まだまだ距離があります。
頭のなかで思い描くことと、
実際に相手に接したときの、
咄嗟のときの、
甘えがあるときの、
自分が勝手にぴりぴりしているときの、
イヤな想いやことばや態度を受け取ったときの、
ひどい現実を知ったときの、
実践との間にあるリアルな乖離。
だけどね、
それでもね、
と思います。
その距離に、
実践の難しさに気づいたからには、
きっと、
できるようになる可能性が自分にはある。
数珠さんは、
そう気づかせてくれるヨガの先生です。
ヨガは、数珠さんを通し、
わたしにそう気づかせてくれます。
わたしは、わたしの可能性を信頼している。
すごいギフトだなぁと思います。
そして、
わたし自身やわたしの親しい人たち、
わたしの好きな人たち、
わたしの苦手な人たち、
わたしの嫌いな人たち、
わたしを苦手だと感じている人たち、
わたしを嫌っている人たち……
耳を澄ませば、
ああそうかと思うのです。
だれもがみんな、
「生きとし生けるもの」
わたしのしあわせを願うのは、
あなたのしあわせを願うこと。
あの人の望みがかなうことを心から望むのは、
わたしの望みがかなうことを心から望むこと。
ふははっ…☆
ほらほら、頭のなかのことと、
実践の間の距離(笑)。
気づいた、気づいた♪
種は蒔かれた〜◎
変化と実りとギフトの1年。
たくさんの種を蒔いた1年。
たくさんの種をもらった1年。
いままで、わたしを耕してくれてありがとう。
ありがとう。
心の底からありがとう〜◎
ブログを始めて間もありませんけれども、
ことしも1年、
ありがとうございました。
2016年が、
あなたにとって、
よい年となりますように。
生きとし生けるものすべてが、
満たされる世の中になりますように。
よいお年をおむかえくださいませ〜♪
来年も、
ぬけヨガ神戸のしちみ、
そして『アトリエf』を
どうぞよろしくお願いします◎
ぬけヨガ神戸の、しちみです◎
いつもの冬よりあたたかいので、
あまりそんな気がしませんが、
それでもやっぱり大晦日です(笑)。
ことし1年、
自分も身近な人たちも健康にすごせたこと、
たくさん笑いながら暮らせたこと、
いろんな方と出会えたこと、
大切なものを受け取れたこと……
ありがたいなぁと思います。
ここ数年、ヨガ界隈では煩悩の数にかけて
"108回の太陽礼拝"がはやっているそうなのですが、
わたしもいちど挑戦してみたいような、
けどマラソン苦手だなぁ…みたいな(笑)。
で!
というわけでもないのですけれど〜(笑)。
わたしは昨日、
「108分ヨガ」というイベントに参加しました。
先生おふたりが2パートずつ受け持って、
計4パート、108分間ヨガをするという企画で、
おふたりの先生のうちおひとりが、
ことし初めて出会い、
わたしにおおきな"気づき"をもたらしてくれた
数珠孝さんだったのです☆
何度か受ける機会をいただいた数珠さんのアウトサイドヨガ(外でするヨガ)は、
それはもう気持ちがよくて、
開放的で、
ああわたしはこういうヨガが好きなんだっ!!!
と、見あげる空に、太陽に、
おおきく包み込まれながら、
思いっきりハグし返しながら、
全身で感じます。
その数珠さんの、インドアでのヨガ。
初めての場所で、
初めましてのみなさんと共有した108分。
しかも最後のパートは数珠さんが担当で、
たまたまわたしが学びたいなぁと思っていた
「メッター瞑想」というものでした。
メッター瞑想……
慈悲の瞑想と言われていて、
インドに古くから伝わるヴィパッサナー瞑想の一環、なのだそうです。
ヴィパッサナー瞑想については、
こちらをどうぞ。
静かに座り、目を閉じ、
数珠さんは、言います。
「自分にラクな呼吸をしてください」
「自分を苦しめるような呼吸は手放して、
自分がラクになる呼吸をして」
「自分のからだに、
よう知ってるで〜と言ってあげてください」
「ようがんばってるの知ってるで、
ほかの誰より自分が知ってるで〜と、
やさしく、自分を大切にしてあげてください」
そして、慈悲の瞑想……メッター瞑想が始まる。
数珠さんのリードする声が、
こころに、
からだに響いてくる。
「わたしが、しあわせでありますように。
わたしが、しあわせでありますように」
「わたしの悩みや苦しみが、なくなりますように」
「わたしの願いごとが、かなえられますように」
「わたしに、悟りの光があらわれますように」
「わたしが、しあわせでありますように。
わたしが、しあわせでありますように」
そして、「わたし」の部分が変化していく。
まずは、「わたしの親しい人たちが…」に。
次に、「生きとし生けるものが…」
さらに、「わたしの嫌いな人たちが…」へ。
こころのなかで同じことばを復唱するように感じながら、
いろんな人の顔が思い浮かぶ。
いろんな場面が去来する。
数珠さんは、続ける。
「わたしを嫌っている人たちが、しあわせでありますように」
……ハッとする。
「わたしを嫌っている人たちの悩みや苦しみが、なくなりますように」
「わたしを嫌っている人たちの望みが、かないますように」
「わたしを嫌っている人たちに、悟りの光があらわれますように」
「わたしを嫌っている人たちが、しあわせでありますように」
再び、「生きとし生けるものが…」に戻り、
最後は「わたしが、しあわせでありますように」で終わる。
「わたしが」「わたしの親しい人たちが」は、
こころから、そう望める。
不意に「わたしの嫌いな人たちが…」に変わり、
はっきりと浮かびあがる顔があり、
そのうしろに、ちらちらとたくさんの顔が見え隠れする。
むぅ…。
思いの外、多いじゃあないか…。。
苦笑しつつ、
「そうだな、あの人も、
イヤな想いを何度も味わったけどあの人も、
しあわせでいてくれたらいいのかもね」
「うんうん、
年末だしね……」
それで精一杯。
いまのわたしのできる限りは、
どうやらそのあたりらしく…。。
まぁ、嫌いのまま放っておかずにすみそうでよかった〜
なんて思っていたら。
「わたしを嫌っている人たちが…」
ときたわけですよ。
うん。
わたし、誰に嫌われてるのかな。
ああ、あの人はわたしが嫌いかもな。
だからあんなこと、わたしにしたのかな。
わたし、あの人に嫌われるようなこと、何したんだっけ。
ああ、そういえば…。
ああ、ああ、ああ……。
ええいっ、みんなしあわせであれ〜っ!!
ふだんは、おそらくこころの奥の方に隠れている
「とげ」が、見えてきました。
それも、けっこう、たくさん…(笑)。
ふむふむ。
わたしはそうなのか。
そうだよな。
そうそう…。。
初めてのメッター瞑想は、
わたし自身のこころのなかを照らし出し、
「とげ」のまだまだある自分を受け入れるための
"慈悲"をもたらしてくれました。
2015年の晦日に、
たいへんなギフトをいただいちゃった。
いままでイヤな想いを何度もした人や、
わたしの大切な人はもちろん、
知らない誰かをひどい目にあわせた人、
自分の欲だけに忠実に見える一部の政治家や企業家、
あるいは宗教家、科学者などを含む専門家……
そしてわたしを嫌っているであろう人たちのしあわせ、
その人たちの望みがかなうこと、
その人たちに悟りの光があらわれることを心の底から本当に願うのは、
いまのわたしには、
まだ、ムリがあるかもしれない。
仮に願うことはできたとしても、
その人たちが目の前に現れイヤな想いをさせられたら、
その人たちが自分の富のために環境を破壊し、
他人を踏みつけにし、
動植物を痛めつけたら、
また、
わたしはその人たちのことをイヤだなと思うかもしれない。
願うことと実践の間には、
わたしの場合、
まだまだ距離があります。
頭のなかで思い描くことと、
実際に相手に接したときの、
咄嗟のときの、
甘えがあるときの、
自分が勝手にぴりぴりしているときの、
イヤな想いやことばや態度を受け取ったときの、
ひどい現実を知ったときの、
実践との間にあるリアルな乖離。
だけどね、
それでもね、
と思います。
その距離に、
実践の難しさに気づいたからには、
きっと、
できるようになる可能性が自分にはある。
数珠さんは、
そう気づかせてくれるヨガの先生です。
ヨガは、数珠さんを通し、
わたしにそう気づかせてくれます。
わたしは、わたしの可能性を信頼している。
すごいギフトだなぁと思います。
そして、
わたし自身やわたしの親しい人たち、
わたしの好きな人たち、
わたしの苦手な人たち、
わたしの嫌いな人たち、
わたしを苦手だと感じている人たち、
わたしを嫌っている人たち……
耳を澄ませば、
ああそうかと思うのです。
だれもがみんな、
「生きとし生けるもの」
わたしのしあわせを願うのは、
あなたのしあわせを願うこと。
あの人の望みがかなうことを心から望むのは、
わたしの望みがかなうことを心から望むこと。
ふははっ…☆
ほらほら、頭のなかのことと、
実践の間の距離(笑)。
気づいた、気づいた♪
種は蒔かれた〜◎
変化と実りとギフトの1年。
たくさんの種を蒔いた1年。
たくさんの種をもらった1年。
いままで、わたしを耕してくれてありがとう。
ありがとう。
心の底からありがとう〜◎
ブログを始めて間もありませんけれども、
ことしも1年、
ありがとうございました。
2016年が、
あなたにとって、
よい年となりますように。
生きとし生けるものすべてが、
満たされる世の中になりますように。
よいお年をおむかえくださいませ〜♪
来年も、
ぬけヨガ神戸のしちみ、
そして『アトリエf』を
どうぞよろしくお願いします◎