「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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ザ・お受験 その2 「国立小学校における抽選」

2010年12月20日 18時51分37秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話
こんばんは。

まぁ、我が家、次男も長男も国立の小学校に向けて、準備をしたわけですが、実は、長男に関しては、受けるという考えの前に、幼稚園での延長保育が、たまたま、「幼児塾」だったという事で、幼児塾に入ったんですね。講師の先生方は、私自身が目黒サレジオにいた頃に、教師としていらっしゃった方ばかりなんです。もう、園長先生のお名前覚えている?と聞かれて、即座に、そう ともこ先生ですって答えたんですね。

何で覚えていたかって言うと、不遜な事に、私、年長の時に、園長室に窓から入り、先生にこう言ったんですね。「先生、ともこって言うのね。あたしもそうなの。」「あら、朋ちゃん。朋ちゃんと私は漢字が違うのよ。」「知ってるよ。あたしは月が二つある朋で、先生は智徳の智って聞いたよ。でも、呼び方一緒なのね。」

そんな感じで、長男は預かり保育のように、幼児塾に入り、最後には系列校への推薦を得るかどうするか聞かれます。自分自身が、目黒サレジオから、是非に系列校へと望まれ、母親が宗教教育を嫌った為に、行った事がないんですが、推薦枠は知っていました。けれど、主人と話をして、そこもさ、実力で受からないんなら、国立メインにしようよと。

まぁ、そんな感じで、国立の抽選に挑んだ親子なのですが、長男次男、全部、外しました。長男の時は主人が、次男の時は、私が行ったのですが、いい線まで行くんですが、一番違いや、その桁数はやたら多いけれど、肝心の自分の番号に照準が定まる前に終わったとか、主人に行かせて遠隔をもくろんだら、遠隔の前に、その時、地震があってですね。自分はそっちに夢中になって、阿梵でしたわ。

結局、両方とも、神に押し切られたように、道が広がって、公立となりました。まぁ、元々富裕層が多い公立なので、熱心ですが、熱心すぎて踏み外す人が多いです。けれど、付き合っていくには、悪くありません。という事で、ちょっと国立のことを考えたんです。

受けさせてみて、出来のいい子供を取って、それを抽選で?それとも、最初から抽選で、素質を見て、最後も公平さに、抽選で?と考えると、何となく浮かび上がるものがあったんですね。

要は、1次の抽選を当たったけれど、2次の試験に合格しない人は多いわけですよ。準備してきている人、準備していない人、その準備の仕方で明暗は分かれます。おおよそ、分かっているような状態です。そして、その中で、あえて、無作為に選ぶわけですよね。だから、あんまり準備していなかったけれど、ラストスパートと、運のよさで通る人もいる訳ですよ。反対に、仕込まれすぎて、出来ることしか行えないようになると、柔軟性もない。

けれど、それでも、最後は無作為ですから。

無作為の抽出って、結構、心理学上では意味があるんです。基本的に合格したい人ばかり選ぶと、ある程度結果にバイアスがかかるんですよ。心理統計をしている面で考えるのですが、優秀な生徒を取ろうと思うより、ある一定のバイアスのかからない状態での、抽出ってのは、先に、全ての門戸を広げておき、その後、無作為で選ぶ。そして、ある程度素質を見て、最後無作為で選ぶ。これは、統計学の統計の取り方の、お手本的なものです。

まず、受ける人ってのは、必ず、教育してきた人や、教育熱心な人ばかりです。そこでバイアスがかかります。ある程度子供は訓練すると、行動観察が一位、お話の記憶一位、図形一位とはなれるもんなんですよ。製作に関しては、家の中で、好きこそモノの上手なれですからね。そういう教育を行っておけば、幼児塾に教わることは、結果的に最終的なノウハウであると考えられるんですね。けれど、私立向きの教育と、国立向きの教育は全く違います。

そういう中で、門戸を広くし、興味がある人は誰でも安価にて申し込める抽選は、無作為な集団を最初に作るのに適している。そして、素質を見て、その子が、お話の記憶から、「想像力として、情景をきちんと思い浮かべられるのか」、まるで、「自分の前にそういう子たちがいるように、想像できるのか」、そういう「発想力と記憶力、関連付け」を見て、結局は、図形にて、「2Dの紙面から、3Dへとを脳内で組み立てられるのかどうか」、そして、最後には、「運動能力で、きちんとバランスよく手足が動くかどうか、失敗しても諦めないでやれるかどうか、失態を犯さず早くて確実か」を見ているだけだと思います。

そして、あんまり問題が私立向きに向くとそれまた、母集団にバイアスがかかる。だから、そこの中で、あえてまた、無作為に選ぶわけですよ。

そうなると、既に、無作為が何度か入っているので、「親は教育熱心で子供はそれなりにバランスよくできたお子さん」方を選ぶことが出来るわけですね。教育熱心ってのも、色々あるんで、そういう色々さを弾くためにあるんだと思うんですね。子供を小学校から入れて、自分が楽をしたい親、子供は中学から入れないから、小学校の煩くないうちにと思う親、見栄で、受ける親、様々な親はいるわけですけれど、ここまで無作為の抽出を行えば、基本的にそれなりのバイアスの少ない母集団が出来るわけですね。

ちなみに、自分が心理統計を取る時はやはり無作為を考えてしまいます。結局自分の回りしかいないので、自分の周りをと考えるのですが、そうなると、結局、ある程度の収入がある人等のバイアスは簡単にかかるんです。そういう面、成程、無作為の抽出は、こうやって行って、尚且つ、こうやって抽出を繰り返していくんだなと感心したわけです。

さて、人間と言うのは、実は集団になると、自分の意見が通しにくくなるという性質を持っています。自分ひとりでは、色々なものを頼みたくても、人と一緒の時は、不本意でも歩調を合わせることもありますし、歩調を合わせないアンケートに関しても、「よく思われたい」という顕示欲が実は無意識に動くので、「精神的に病んでいると思いますか?」と言う質問項目があったら、まず、12345の中で、5が一番そう思う人になっていたとしたら、5につける人は殆ど普通に抽出してもいないです。

まぁ、そういう事ですので、来年受験の方に関しては、学校の求めるものは、訓練されたことが画一的に出来るより、ある程度柔軟性があること、そして、2次元を3次元に起こせる発想力、何かを聞いた時、それを想像できて、関連付けできるようになっていれば、運さえあれば、受かります。

そうですね。小吉ばかり引いていたんで、もう、その時に諦めたんですけれど、先祖供養とか墓参りとか、そういうの、全く普通に行って、それで駄目でしたし、逆に三河屋さんに行ったがために、却って、来年の講座を持つ方向性が決まってしまったりと、結局、そういうものに作用されるのではなく、きっと運命ってのがあるんだと思います。

入って苦労するのも運命。入らずに苦労するのも運命。けれど、最後は、社会で通用するのは小学校の学歴ではなく、大学の学歴です。およそ、そういうところを受けようと思うご家庭は、大学を考えると思うのですが、学校でトップを走り続けていくのも、深海魚と呼ばれる、学校でいるのか、いないのか分からない人になるのか、そういうリスクも含めて、大学がどうなるのかが大事なんだと思います。

大学は、結局そこで、思春期に、きついストレスを耐えていかなければ、将来ろくな大人には育ちません。何度もストレスを耐え続け、私の子供時代はへとへとでしたが、必ず大学には、ストレスありで挑むこととなります。そんな時、それを超えられないようじゃ、社会で生き抜くことも出来ません。外資系など、さばさばしているように見えますが、もっといじめがひどいです。

さて、皆さん、合否を含めて、新春に向けて、頭を切り替えて行きましょう。



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