「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

テュルク人 

2014年10月01日 17時43分11秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

 

わたしの祖母は、幼い時、グレーの瞳とグレーの髪そして、鷲鼻と、およそ「平たい顔族」とは違う容貌で生まれ、一時は村が騒然となったそうだと聞いたことがある。当人もその親も、きっと、「ロシアから来た民族がいてその先祖返りだろう」という話で片づけていたのだが、先日、仕事で、高名な方に会う機会があり、その方は、趣味で、民俗学も研究していると言う。

それで、たまたま、そんな話を聞いてみた。

すると、その人は、IPADを出してきて、こんな検索をした。「テュルク人」。

「ロシアの人は、南下しないんだよ。それで、交流があって関係があるとすると、こういう民族だと思う」と、その方は言った。そこには、祖母の若い頃の写真と同じ顔がいた。

それで、ちょっと話を聞いてみると、割と大陸でも、大陸の奥地からシルクロードの路線で移動してきた民族がいて、その血が混じっている人たちが、集まって住んでいるところがあるという。うちの祖母は、確かにテュルク人に似ているが、他の場所では、目が青かったり、異様に色が白かったり、そんな人が当たり前にいるんだそうだ。

この高名な方に再度お伺いしてみたら、大体、日本にシルクロードを辿ってきた系統が流れて住んでいるところが、幾つかあると言う。そのひとつが、山沿いに住む傾向があるとお話ししていた。

それで、それはコーカソイドかと聞いてみると、モンゴロイドの系統で、トルコから移動して久しい民族だそうだ。

しかし、祖母は先祖返りの顔だちであり、祖母と似た顔は、祖母の親戚や先祖で写真が残る人の中には、全然いなかった。

そこで、主人の祖母は色が白く目が青かったので、もしかして、秋田関係もそうなんですかね?と尋ねてみたら、確かに秋田美人という程、色が白くて目が青い人がいる、けれど、あれは年間の日照量のせいもあるだろう。でも、その人のDNAを見てみないと何とも言えないよねという話だった。

そんな訳で、本日、「エリーが出てくる朝のドラマ」では、「外国人は日本人になれない」という話をしていた。それを、昼間、他国の人と話をしていたが、その人は、「うちの国の人になれと言われて、どれだけ小心者の日本人がなれるものだろうか」そんなことを言っていたが、意外と、日本に帰化してずいぶん経っちゃうと、その人が今度は日本のルーツを作っていくのだろうと思う。

「日本人らしさってなんだろう」と思う事がある。

厳格な祖母や母に育てられながらも、わたしは、どうも日本人的心を持ったはずだったが、時折、NYが恋しくて、日本は祖国だけれど、NYは心のふるさとだと思う事がある。NYは、マンハッタンが効率的でかつ、合理的性を持ち合わせるのにも関わらず、郊外は、「昔の姿を高いお金を出して維持したがり、不便や歴史に、大金かけて住まう事がステイタス」のような癖がある。しかも、

どうして、そんな大変な金額をかけてまで、オールドトラディショナルを守りたがるのかと考えたら、きっと、ヨーロッパを出てきた人たちは、その異国暮らしで、望郷感が芽生えるのだろう。だから、きっと執拗なまでに、歴史にこだわるのだろうと思う。

わたしの実母の家は、兄が継ぎ、建て替えたら、わたしにとって実家ではなくなった。わたしの父も、亡くなる前に満州に出かけたが、変わりようにあまりに驚いたという。母の実家は、相変わらず、変わらないが、母が嫁に出て行って、凄く大きな家(わたしも覚えがある)を建て替えをしたので、母は、実家が無くなった感覚がしていたと話をしていた。

ところで、わたしは、東京育ちで、東京で殆どの暮らしをしているが、自分のおぼえている渋谷駅が面変わりをした時、あまりに悲しくてヒカリエを見に行く勇気がなかった。そして、昨年初めてヒカリエを見に行った。渋谷川が流れていた頃の面影はもうない。

勿論、一遍行ってみたかった目黒エンペラー(ラブホテルの老舗)も、倒産したのがバブルはじける前で、現在は同じ名前のホテルがあるが、どうも時々川沿いを走ると、城のような建物はない。HPを見たら、内装は、全然いやらしさがなかった。

正直、行ける時に、何でも見ておくんだったと後悔している。

きっと、これからそういう望郷感を感じる人が増えると思う。それは、金を払っても維持したいと思う、歴史だったりルーツだったりするのだろう。近代化されていく事は大変に有難いが、不便でも歴史があるところに、魅力を感じる理由は、「変わらない」ことにあるのかなと思う。

わたしにとって、初めてアメリカを踏んだ時、サンフランシスコだった。だけれど、サンフランシスコは、もう散々面変わりをしてしまい、うちに貼ってあるポスターのサンフランシスコは、オールドタウンのフォトグラフになった。だから、わたしは、変わらない何かを求めて、大金をかけて皆で維持し合ってたNY郊外を恋しく思うのかもしれない。

 

地方創生の声が幾久しいが、わたしは、大金払っても維持したい風景がある。きっと、そこから出て行った人たちには、共通して、「心のふるさと」の具現化を求めている気がする。

ただ、「変わらない」ものは、大変にその地に住む人間にとっては、「根掘り葉掘り」の「排他的」性質がある。勿論NY郊外でも、根掘り葉掘りのアメリカ人で、お互いの自己紹介の時に、どこ系のアメリカ人かを名乗り合う癖があった。なので、友人になり、名前を覚える前に、イタリア系、フランス系、イギリス系、デンマーク系等、そんなルーツで覚えていた気がする。

それをわたしはうっとおしいと、思ったと思う。でも、子供ができて、あんたどこの人?って尋ねられる生活を少し送った時、なんとなく、そういう根掘り葉掘りは、田舎の特権ではなく、逆に「排他的な性質」は、改革を無闇に叫ばせないからこそ、歴史の維持に必要だったのかと思う時がある。

できれば、田舎の懐かしい灯や、不便性を金で買って、時々不便な生活を体験するのも悪くないなと思う事がある。

わたしの心の情景は、どこにあるんだろうか。

 

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田舎 (ひな)
2014-10-01 21:36:43
転勤族なので、ばりばり排他的な土地に住んでました。そして今も田舎住まい。
うちは、祖母が割りと近代的な考え方の人だったので、はぁ?ロケットが飛ぶ時代に時代錯誤だ、下らない!とかなり改革してました…けど周りは考え方が古く、早く大人になって出て行きたかったですねー。 もぉ、嫌でしょうがなかったです。
今はどうか。嫌な所ありますよ。でも昔より、田舎も近代化が進んでます。じゃないと、若い人出て行きますからね。
だから昔より、苦しくないかな。そして私も年を経て 田舎住まいの方が落ち着くようになりました。 人は一人じゃ生きられないしね。うっとおしい程の介入や本家、新家の付き合いも受け入れられるようになりました。震災の影響もあるかな。
でも、 全然大人になってないけどねー。蔵とか壊して、顰蹙かってますけどねー。勿体ないとか関係ねー。維持管理は私がするんだっつーの! 金なんか無いんだよ。私の代でなんとかしないと、息子が潰れます。口出すなら、金出せ、ですわ。
すみません、結局愚痴になりました。
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コメントありがとう ()
2014-10-06 15:08:05
ひなさま

>周りは考え方が古く、早く大人になって出て行きたかった

これは、都会でも同じですよ。
わたしもそう思って過ごしていましたし、現に家を出ても、
同じ東京だと出た内にはいらないのだなと思いましたもん。

愚痴もたまにはいいもんですよ。

そうですね。倉の維持もお金かかりますものね。
ちょっと、本家の兄さんがたが、気の毒ですわ。

どうもありがとう。
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