このブログを始めてから早、2ヶ月が、たとうとしています。
巷では、春の兆しが、みられるようになってきましたが、
まだ、まだ、私の身辺には、冷たい、貧乏風が、吹いております。
手術の日程は、五月の連休明けと、決まったのですが、
いかんせん、手術費が、ないことには、眼が治るぞ! なんて手放しに喜ぶことも、
できやしない。
そんな苦しい日々が、続くなか、今日も、また役所の生活保護課に
行ってみることにした。
相変わらず、人を見下すような目つきで、相談員が、私に、話しかけてくる。
”猫山さんねえー。生活、大変なのは、分かるんですけど、ちょっとですね、
状況的に、難しいんですよ。”
いや、だから、状況的に難しいから、ここにきてるんだよー!
と言ってやりたかった。でも、そんなこと、言えやしない。
それでも、なんとか、反論してやろうと、考えてると、
今度は、奥のほうから、別の相談員が、ニコニコして出てきた。
”猫山さんですね?いやー、ちょっと、調べさせていただいたんですけど、
猫山さん、お姉さんが、東京のほうにいますよね。”
あまりにも、唐突すぎて、言葉に、詰まったが、確かに、姉家族が、
東京で、暮らしている。
”ええ、まあ” と、適当に答えた。
すると、相談員は、なぜか、にやりと笑って、
”だったら、お姉さんに助けてもらったら、いいじゃないですか。
お姉さんも、生活保護受けてるとか、じゃないですよね?”
そうか、、、、。結局、親身になって、聞いてくれる奴はいないのか。
相談員のニコニコ顔の意味が、やっと分かった瞬間であった。
確かに、姉に頼み込めば、今回の手術費は、なんとかなる
かもしれない。
でも、長い眼で、みたとき、手術が終わっても、治療を続けていかなければ、
ならないし、仕事だって、すぐにみつかるか分からない。
本当に、困っていて、苦しい状況だから、ここに足を運んでいるのに!
こいつらは、人の痛みとか、悲しみとか、ぜんぜん分かっちゃいないんだ。
役所の案内書には、
私たちは、だれでも人間として生きる権利(生存権)を持っています。
国として、国民が食うや食わずやの生活の危機に瀕している時には
その世帯を保護する義務があるということです。
なんて、もっともらしいことが、書いてあるが、実際には、救いの手など
差し伸べてくれないらしい。
正直、国の行政のやり方に問題があるように、思えてならないのだ。
人間、誰しも、人生の中で、浮き沈みがあって、金の羽振りがいいときも
あれば、私のように、困窮して、苦しい時代が、やってくる時も
あるのだと思う。
実際、いままで、コツコツと真面目に働き、税金もきちんと払ってきたのに、突然のリストラに見舞われ、
一家離散なんて話も、ドラマや映画の中の出来事ではないのだ。
苦しんでる人たちは、沢山いる。
金がない。
ただ、それだけのことで、人は、皆、苦しむ。
金なんて、今の世の中で、生きてくためのツールにすぎないし、
実際、タダの紙切れでしかない。
ただ、それだけのことなのに、なぜか、 みんな 金に振り回されて生きている。
人間のよしあしや、能力のあるなしに関係なく、
たくさん金を持ち、金で、人を動かせる人間が、尊敬される。
それが、現実なのだ。
確かに、金は生きていくのに必要だ、
でも、それさえあれば、人は、皆、幸せなのだろうか。
金を手に入れる、そのことに振り回されて生きていやしないだろうか。
なんだか、やりきれない気持ちで、いっぱいになった私は、役所を後にした。
今日は、ちょっと、哲学的な話になってしまったが、
極貧猫山、貧乏でも、金にだけは、負けたくない!
裏の意地悪婆さんの庭先をキッ!とにらみながら、
誓いをたててみました。
そんなこんなで、今日も、頑張ります。
巷では、春の兆しが、みられるようになってきましたが、
まだ、まだ、私の身辺には、冷たい、貧乏風が、吹いております。
手術の日程は、五月の連休明けと、決まったのですが、
いかんせん、手術費が、ないことには、眼が治るぞ! なんて手放しに喜ぶことも、
できやしない。
そんな苦しい日々が、続くなか、今日も、また役所の生活保護課に
行ってみることにした。
相変わらず、人を見下すような目つきで、相談員が、私に、話しかけてくる。
”猫山さんねえー。生活、大変なのは、分かるんですけど、ちょっとですね、
状況的に、難しいんですよ。”
いや、だから、状況的に難しいから、ここにきてるんだよー!
と言ってやりたかった。でも、そんなこと、言えやしない。
それでも、なんとか、反論してやろうと、考えてると、
今度は、奥のほうから、別の相談員が、ニコニコして出てきた。
”猫山さんですね?いやー、ちょっと、調べさせていただいたんですけど、
猫山さん、お姉さんが、東京のほうにいますよね。”
あまりにも、唐突すぎて、言葉に、詰まったが、確かに、姉家族が、
東京で、暮らしている。
”ええ、まあ” と、適当に答えた。
すると、相談員は、なぜか、にやりと笑って、
”だったら、お姉さんに助けてもらったら、いいじゃないですか。
お姉さんも、生活保護受けてるとか、じゃないですよね?”
そうか、、、、。結局、親身になって、聞いてくれる奴はいないのか。
相談員のニコニコ顔の意味が、やっと分かった瞬間であった。
確かに、姉に頼み込めば、今回の手術費は、なんとかなる
かもしれない。
でも、長い眼で、みたとき、手術が終わっても、治療を続けていかなければ、
ならないし、仕事だって、すぐにみつかるか分からない。
本当に、困っていて、苦しい状況だから、ここに足を運んでいるのに!
こいつらは、人の痛みとか、悲しみとか、ぜんぜん分かっちゃいないんだ。
役所の案内書には、
私たちは、だれでも人間として生きる権利(生存権)を持っています。
国として、国民が食うや食わずやの生活の危機に瀕している時には
その世帯を保護する義務があるということです。
なんて、もっともらしいことが、書いてあるが、実際には、救いの手など
差し伸べてくれないらしい。
正直、国の行政のやり方に問題があるように、思えてならないのだ。
人間、誰しも、人生の中で、浮き沈みがあって、金の羽振りがいいときも
あれば、私のように、困窮して、苦しい時代が、やってくる時も
あるのだと思う。
実際、いままで、コツコツと真面目に働き、税金もきちんと払ってきたのに、突然のリストラに見舞われ、
一家離散なんて話も、ドラマや映画の中の出来事ではないのだ。
苦しんでる人たちは、沢山いる。
金がない。
ただ、それだけのことで、人は、皆、苦しむ。
金なんて、今の世の中で、生きてくためのツールにすぎないし、
実際、タダの紙切れでしかない。
ただ、それだけのことなのに、なぜか、 みんな 金に振り回されて生きている。
人間のよしあしや、能力のあるなしに関係なく、
たくさん金を持ち、金で、人を動かせる人間が、尊敬される。
それが、現実なのだ。
確かに、金は生きていくのに必要だ、
でも、それさえあれば、人は、皆、幸せなのだろうか。
金を手に入れる、そのことに振り回されて生きていやしないだろうか。
なんだか、やりきれない気持ちで、いっぱいになった私は、役所を後にした。
今日は、ちょっと、哲学的な話になってしまったが、
極貧猫山、貧乏でも、金にだけは、負けたくない!
裏の意地悪婆さんの庭先をキッ!とにらみながら、
誓いをたててみました。
そんなこんなで、今日も、頑張ります。