極貧糖尿生活始まる

極度の貧乏と、戦いながら、糖尿に打ち勝つことを決めた中年男の徒然日記

最近、いつも下をみてあるいています

2011-02-23 01:20:39 | 日記
といっても、落ち込んでいるとか、悲しいとか、そういうわけ
ではなく、ある日を境に、そんな習慣が、ついてしまったからなのです。

それは、忘れもしない、K駅の前でおきた出来事でした。
何気なく、歩いていた、私の目の前に飛び込んできたのは
なんと、眼に余るほどの札束

信じられないことに、そこには、長いことご無沙汰していた
5000円札の山が落ちていました。

”ああ、神様、こんな俺にも、ときには、幸運をくれるんですね。

あまりの嬉しさに飛び上がりそうになる気持ちをなんとか押さえ、
まずは、自分の心を落ち着かせるために深呼吸。

スッーハーッー

周りに誰もいないのをしっかりと確認した後、私は震える手で、
その札束を握り締めたのです。

そして、おもむろにズボンのポケットに入れようとした瞬間

んん??

飛び込んできた文字は、なんと、”こどもぎんこう

そうです。私が握り締めた5000円札たちには、しっかりと子供銀行
書かれていたのでした。

アハハハハハ、と笑うしかなく、再度、誰もいないのを確認し、私は
その場を離れたのでした。
天国から地獄へ一瞬にして、舞い落ちていったような感覚を覚えた
ものの、それと同時になんだか、とてもくやしい気持ちでいっぱいに
なったのでした。

それ以来、私は、散歩をするたびに血眼になって、探しているのです。
もしかしたら、今度こそ、偽者では、なく本物が
落ちているのではないかと。

でも、残念ながら、落ちているのは、1円ばかり。

人生とは過酷なものなんじゃ、と神様に言われているような気分で
今日も私は、下を向きながら歩いています。




こんにゃくと大根を食べ続けてみることにした

2011-02-22 10:19:12 | 糖尿メニュー
極貧でも、糖尿でも、なんとか、
”今日も一日、ご飯が食べれてよかったあ!”
と思うために、私が考えたメニューのひとつ。

栄養素は、取れないが、腹は、ふくれる。
こんにゃくは、知ってのとおりノンカロリーだし、大根だって
ほとんど、水だ。

まずは、こんにゃく1枚を8等分にする。
そして、それを薄く、2枚におろし、16枚にするのだ。
もっといけるぞお!と思って3枚におろそうとしたが、
すけすけになって貧乏度が増してしまったので、やめにした。

それと、大根はあく抜きがポイントだ。
やりすぎると味が悪くなるので要注意だが。

後は、塩とダシの素、醤油さえあれば、あっという間にセブンイレブンの
おでんの味になってしまうのだ。


これに、さつま揚げなんてあったら、
もう涙を流さずにはいられないだろう。


それぐらい、私の料理は何気に、うまい。
だが、糖尿で、さらに極貧の私は、さつま揚げなんて、雲の上の存在なのだ。

とりあえず、1日に2回ほど、この大根とこんにゃくを食べ続けること
約、3週間続けてみた。

これが、思った以上の効果だったのだ。
始める前は、560もあった血糖値が、(ほとんど、生きてるのが不思議)なんと、1日で、336に。
いや、336だって、やばいだろう!と普通は思うのだが、
私にとっては、大分下がったといえるのだ。

さらには、その3日後、その336が今度は223に、なったのだ。

だが、このときには、既に毎日、空腹との闘いであった。
それを制するべく、ひたすら、大根とこんにゃくの登場なのだ!

そして、1週間後、223から160台へ落ち着くことになった。それでも、まだまだ、正常値には、程遠い。

だだ、このメニューでは、まず、ビタミン、ミネラルなどの栄養素が
とれないこと、だからといって、サプリメントで補ってばかりでは、
今度は肝臓に毒素がたまっていくような気がする。

今しばらく、様子をみて、
今度は少しずつ、炭水化物やたんぱく質を加えていこうと思う。

なんだか、ちょっと糖尿生活闘病記みたくなってきたぞ。
単なる貧乏人日記では、ないのだ。

極貧の中で、少しでも糖尿を克服するための、ヒントをみつけていけたら
いいと思う。






馬券売り場でおきた悲劇

2011-02-20 19:40:43 | 日記
なぜか、極貧の私には、これでもかああーっつ!といいたくなるくらいに不幸なことが、よくおきる。

忘れもしない、馬券売り場で、おきた信じがたい出来事について
今日は、書こうと思う。

確か、それは、1年くらい前のことだった。

決して、余裕があるわけではないが、時々、私は、自分の運試しに
馬券を買いにいく。

そのときも、ちょっとばかし、手持ちの金を増やそうと、馬券売り場へ
向かった。

とりあえず、1000円分くらい買うかと、財布を開き、ちょっと、
油断をした、その瞬間に、つむじ風が私の前を横切った。

そして、私の財布から、1000円札がひらひらと舞い降りたのだった。

いかん、いかん、金は、大切にしなければ”なんて、言葉を発するまもなく、事件はおきた。

ハヤブサのように、一人の男が私の前にサササッツーと現れたかと
思うと、その男は、おもむろに、1000円札めがけて 足をつきだした。

んっ?なっ、なんだあ?何がおきたんだあ?

その男の右足は、なんと、さっきまで、私の財布に入っていた
1000円札を瞬間的にとらえてしまったのだ。

一瞬、何が起きたのか分からず、戸惑う私のほうを、
鬼のような形相で、にらみつけ、男は言った。
これは、俺のだあああっつ!!

”えっ? なっなんでですかああ?”と答える間もなく、男は、私の1000円札を奪い去り、
去っていってしまったのだ。


ほんの一瞬の出来事に、唖然とする以外なかったのだが。
男のあまりの気迫に、私は、一瞬、”もしかしたら、財布に入っていた
のが、勘違いだったのか??”と首をかしげた。


いや、いや、あれは確かに私の1000円札だったのだ。

それにしても、なぜに、こんなめに会わなければいけないのだろう。

ひどい!ひどすぎるっ!
こんなにも殺伐とした世の中になってしまったんだなあと
しみじみと思った。

それでも、
血まみれの中年男、1000円札をめぐり大乱闘の真実
などと、ワイドショーにとりあげられるような惨事が起きなかった
ので、よかったことにしようと思った。

またもや、貧乏神め、私を笑っているな、
でも、負けないからな。
いつか、お前たちを私は笑ってやるからな。



貧乏人が貧乏人を呼ぶ

2011-02-19 21:50:58 | 日記
貧乏人の周りには、貧乏人が集まってくるという法則があるらしい。

あるとき、私は、営業の帰りに公園で、くつろいでいた。
ふと、前を見ると、初老の男性が、私のもとへ近寄ってきて、
何か話しかけてきた。

”すいませんが、100円、もらえませんかね
タクシーに乗りたいんですけど、あと100円あれば、
乗れるんですよ”

100円くらいだったら、と思い”いいですよ、ちょっと待ってくださいね。”といいかけて、自分の財布を
とりだそうとした瞬間、私は思い出した。

実は、手持ち、163円しか、ないことを。

そんな、馬鹿なあー、ハハハ。家に帰れば、あるんでしょ?
なんて、言う人がいる。


いや、本当に、ないのだ。私は、この163円で、どうやって、
この1週間を生き抜こうか考えていたところなのだ。


そうもしているうちに、横にいる老人は、
あの、100円で、いいんです。もらえたら、本当に助かるんです、”と、けしかけてくる。

”爺さんよお。あげたいのは、山々なんだ、でも、俺も163円しか、
ないんだよ。もっと金のある奴に頼んでくれいっ!”(心の声)
なんて、いえるわけもなく、

”実はねー、今、持ち合わせが、ないんですよ。
ごめんなさいねえー。”とやんわりと断ろうとした瞬間、

その老人は、なんと 掌をひろげて、
私にみせてきた!

んんっ??水戸黄門かっ!?

”ほらっ、みてくださいよ、ここに、いち、にーさん、しいー.
100円玉が、あるでしょう。ほんとに、あと100円さえあれば、
タクシーに乗って、病院まで、いけるんです。”


私の目の前につきだしてきた、老人の掌を見た瞬間、
一瞬、言葉を失った。
それは、まぎれもない、ゲームセンターなどで、使われる、あれだ。
そう、ゲーム専用のコインだったのだ。

言いにくい気持ちもあったが、
”あのうーっこれゲームのコインですよ
これ100円じゃないですよ”
と老人に、いうと
一瞬、びっくりしたような表情をして、それから、まら、すぐに
懇願するような眼差しで、私に訴えてくる。

それでも、金のない私は、どうすることもできず、
老人は、がっくりと肩を落とし、去っていたのだ。

正直、100円くらいなら、はい、どうぞ!といえる、そんな自分だったら、
となんだか、とても、惨めな気持ちになってしまった。

一昔前だったら、知らない人間に、お金をください、なんていう人間を
みかけることは、ほとんど、なかったように思う。

だけど、今は、みんな困窮してるのだ。

こんな極貧生活をしている私にまで、すがろうとする人がいる。

でも、貧乏神にとりつかれた者同士が、助け合おうとしても、
どうすることも、できない。

本当に、悲しく、惨めなものだ。

もしも、金持ちになったら、そのときこそは
とは敢えて言わない。

次に貧乏神にとりつかれた人間が金を懇願してきたら、
そのときは、貧乏神を追い払えるだけの気迫と、そして充分な
財布の中身がほしいものだ。

そのとき、こそ、叫んでやる!
”貧乏神めっ!もう来るんじゃないぞ!これ以上、増えなくて
いいんだぞー!”と。





うちは、やってないんですよ。

2011-02-19 10:04:45 | 日記
今日、コンビ二に行ったら、アルバイトの親父から、そう言われた。

”お前の話は聞かないぞ!、でていけ!”
そう、いわんばかりに、ぶっちょう面で、こっちをみたのだ。

俺は客なのに、なんて扱いをするんだ、このやろう!
絶対にこんな店には、もうこないからな!
 (心の中で、私は大声で叫んでやった)

そそくさと店をでて、靴底が、ぱっかりと剥がれ素足がむき出しになった右足をみつめる。

なんってこったい。

今日は、血糖値をさげるため、1時間半のウォーキングを達成するべく、
家をでたっていうのに、この有様だ。

家を出て、1時間ほどして、右足が、スースーしたので、みてみると、
なんと、私の靴底は,外れていた。
正直、自分の眼を疑いそうになったが、本当の話だ。

こんなことが、起きるなんて、私は、どこまでも、ついていない。
あの、賞味期限切れの恵方巻を食べたつけが、回ってきたのか
涙の恵方巻をご覧ください)
貧乏神が、ついてるどころか、こうなったら、何か、悪霊にとりつかれてる
のでは、ないかと首をかしげたくなる。


壊れた靴をパカパカと鳴らし、半ば、足をひきずるようにして、
やっとの思いで、歩いているというのに 救いの手を差し伸べる心優しい
人間は一人もいない。皆、冷ややかな視線をこちらに向けるだけなのだ。

必死の思いで、やっと、ビニール袋がもらると、たどりついたコンビニでは、”2度とくるんじゃねえ!お前なんぞに、やれる袋なんぞ、ないわい!”と言わんばかりの態度で、ひどい扱いをうける。

まあ、いきなり、靴底の剥がれた靴を履いて、片足をむき出しにした客が
来たら、びっくりするのも、無理もない話だが。


こんな状況に陥る人間は、そう沢山いるもんじゃないといってしまえば、
それまでだが、自分がもしも、困った状況に陥ったら?ということをおそらく、奴らは考えたことも、ないのだろう。

当たり前に洋服を着て、靴を履いて、ご飯を食べて、、、
そういう生活になれすぎてしまってる奴らに、困ってる人間の痛みなぞ、
分かるはずがないのだ。

ただ、いつも、思うことがある。

たとえ、貧乏でも、どんなに人からみて、惨めな生活を送っていたとしても、人間としての誇りだけは、忘れたくないと思う。

自分が極貧の中で、苦しんでるからといって、、他の奴らなんて、どうでもいいとは、思いたくは、ないのだ。

困っている人がいたら、自分に出来る範囲で何かしてあげられないだろうか、そう思うのが、人間として、普通のことだろう。

残念ながら、最近は、そんな考え方を普通にできる人間が、ほとんど、
いなくなってしまった。
金がある、無しにかかわらず、自分のことだけを考える、

それが、今風の生き方なのならば、日本人なんて、民族は、いなくなってしまったほうが、いいのでは、ないかと思う。