気まぐれな一匹狼のブログ

ただの一匹狼が書き綴るくだらない雑記

つぶやき

2014年12月14日 13時33分00秒 | 日記


僕が世界を認識するとき、そこには僕と世界の二つしか存在していない。主体と客体があるだけで、両者の間には何の媒介も存在しない。なぜなら主体である僕は世界を認識する能力くらいは持っているだろうから。もし、僕が世界を認識する際に、おそらくその人自身世界に対して主体である他人に僕が助けられる状況に置かれたとしても、僕にとって彼/彼女もまた世界の一部にすぎないのだから、つまるところ僕は世界と対面しているにすぎない。僕は徹頭徹尾この世界と死ぬまで向き合い続けるのだ。

しかし奇妙なことに、僕の物理的側面はこの世界と密接不可分ときている。では僕が最初に述べたことは誤りだろうか? 僕がもし純粋に一個の物質にすぎず、今こうやってくだらない文章を書くような精神的活動すらもが単なる電気刺激とその受容みたいなものだとすれば、主体と客体という認識は誤りかもしれない。しかし仮に人の精神の働きを物理的な観点から説明可能であったとしても、それがそのまま精神というものの最後的説明となるだろうか。そのうえそのようにして説明された精神なるものは、結局のところ僕たちの感覚(おそらくは視覚がメイン)の知覚の描写ではないのか。だとすれば、物理的な観測から得られるものは、僕たちの知覚体系の範囲内に限定されているのだから、その範囲を越えたところに存在するものを説明することが可能なのか疑問だ。

物理的側面からの説明をとりあえず脇に置いておくとして、では最初に僕が述べた命題はいったい何に依拠しているのだろうか? 読み返してみると、僕は二項対立を前提としているが、その世界観をそのまま受け入れるなら僕が僕自身を乗り越えて僕を見つめることはできない。したがって僕は自分が世界を認識する主体と言う時、僕自身の感覚に依存していることになる。ならば物理的説明に対して抱いた疑義が、ここでもまた僕に突きつけられるのではないか。それに物理的観点より一層たちが悪いのは、僕は専ら気紛れな思弁のみで世界を云々しようとするところだ。したがって、僕は自分が最初に提出した命題を破棄しなくてはならない。

結論: 僕は何も論じてない。



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