「だーるまさんが、ムキムキだッ!」
お久しぶりです。
いや、本当に久しぶりですな、こうやって記事を書くのは。
前回はgooにテンプレートを強制変更されちゃったので、なんだかよくわからないけれど、とりあえず記事をぶっ込んだ感じです。だから実際にこうやって更新するというのは本当に久しぶり。
さて、今日はですね……。最近読んだ本でも紹介しようかなって思います。(実は以前から紹介したい本がたくさんあったんです)
『遊戯の終わり』 コルタサル作/木村榮一[訳](岩波文庫)
これはアルゼンチンの作家フリオ・コルタサル(1914~1984)の短編集です。多分、ピンと来る人はそんなにいないんじゃないかと推測します。だって僕自身、初めに抱いた感想が「アルゼンチンのサッカー? メッシ?」でしたから。
まだ読み残してる作品が結構あるけれど、実際に読んでみた感想としては、基本的に奇妙な感じの作品が多いですね(あと暗い)。いくつか紹介してみたいと思います。
一番最初の「続いている公園」という作品はかなり奇妙ですね。しかもこの話はめっちゃ短いです(3ページ!)。話は、書斎のひじ掛け椅子に腰を下ろして小説を読んでる男の元へ、小説の中の男がナイフを手にやって来るというもの。……とまぁ、筋だけ言ってしまえばそれだけの話なんですけれど(笑)。まぁ、実際に読んでもらえると面白いはず!こういう物語で重要なのは細かい設定(例えば主人公の書斎は樫の木の公園に面している)と、描写だと思います。
この作品では「現実」と「非現実」の境界が取っ払われていきます。主人公が小説を読み始めた時にこんな言葉があります。「(中略)たちまち小説の架空の世界に引き込まれた。読み進むうちに、まわりの現実が遠のいてゆく。」主人公は単に小説を読んでいてそう感じたわけですけど、まさかそれが「本当に」起こっている事だとは気付いていません。
本来ならば「観客席」としての安全な日常から、小説という「舞台」で繰り広げられる非日常を眺めることができたのに、しばらくして辺りを見てみると座っていたはずの席がなくなって、気付けば自分は舞台上に座っているような。あるいは、そもそも観客席というのも実は単なる舞台のセットであって、観客は気付かずにそこに腰掛けてしまっているみたいな(この場合、観客は自分を観客と思い込んでいただけなのか?)。そういう感じで、「現実って何だろう? 意外と不確かなものなんじゃないか?」と考えさせられます。(ドラえもんとか画面から出てきたら嬉しいんですけどね……)
と、ここまで書いてみて、思いのほか一作品だけで長くなってしまった。あんまりだらだら書いてしまうと面白くないと思いますので、後は本当に簡単に。
「旧 友」
これは他の作品(「続いている公園」「誰も悪くはない」「河」とか)とは雰囲気が違ってる。奇妙というよりも、運命のいたずらに翻弄されて可哀想だなという感じを受けた。反社会組織のNo.3が、上からの指令で、チンピラ時代の旧友を暗殺するはめになるっていう物語。
「誰も悪くはない」
結婚祝いの品を買おうと、先に店に妻を待たせていたけれど、約束の時間に間に合いそうにない。焦ってピッチピチのセーターと格闘しているうちに十二階の窓から飛び降りてしまう男の話。
以上です。他にもいろんな作品が収録されています。もしよかったら読んでみてください。
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