新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

宗教について

2023-08-25 19:29:46 | 旅行

 島には戦前の1919年に大東寺という浄土宗の寺院が建立された。それよりも以前の明治時代末には少数の天理教の信者もいたらしいが、大東寺の開基により島の住人のほとんどが浄土宗を信仰するようになった。葬儀や法事を執り行う本堂が島内にあり、住職が常駐していれば何かと便利なためであろう。大東寺は1945年に戦災で焼失してからは再建されなかったが、現在でも島民には浄土宗の信者が多いらしい。
 ただ、世界救世教(MOAインターナショナル)だけは在所集落に布教所を構えている。住所をたよりに布教所を尋ねてみると、そこは平凡な民家であった。無人であるが、家屋や庭は手入れされていて、空家ではなかった。沖縄本島のMOAインターナショナル沖縄に問い合わせてみると、この家は世界救世教の所有物であり、民家ではないとのことであった。月一回は本島からこの布教所に布教師(この表現が正しいかは後述する)が訪問し、信者を集めて感謝祭を開催しているとのこと。世界救世教は、健康療法や自然農法を伝授するために創設されたのであるが、その後は教団内で分裂が多くなった経緯がある。MOAインターナショナル沖縄は宗教法人ではなく、「一般社団法人」として登記されている。このことから、世界救世教では信者を指導をする人を布教師と呼ぶか、伝道師とか呼ぶのかは不明である。島の信者数を尋ねたが、回答してくれなかった。それほど多くの人数ではないようである。なお、沖縄県には南大東島と石垣島にだけは布教所が設置されているが、他の島には設置されていない。
 村誌によれば、戦後になって浄土宗以外の宗教活動が盛んになり、創価学会は1959年から布教が始まって信者が増えた、とある。前回の旅行の際に公明党のポスターを見かけたので、ある程度の信者は存在するようである。また、戦後の米軍の統治下によりキリスト教も布教を始め、1962年にパブテスト教会が設置された。しかし、各種の資料、電話帳を調べても現在はこの教会は見当たらない。


村営墓地

2023-08-23 11:54:12 | 旅行

 島の西港の上側には村営墓地がある。この墓地は、1902年に建設工事の事故で亡くなった製糖工場の従業員を弔うことから利用が始まった。玉置半右衛門が南大東島の開拓のために上陸したのが1900年であることから、この墓地は意外にも歴史の古いものである。
 一段目の写真は現在の墓地で、二段目の写真は11年前の墓地である。以前は墓地全体に白い砂(さんご礁による石灰岩)が敷かれ、荒涼たる侘しい風景であった。その後に墓地は整備されたようで、一面に芝生が敷かれ、内地と同じような明るい墓苑となっていた。墓地の整備と同時に古い墓石は建て直したようで、新しくなった墓石が並んでいた。
 二段目の写真で奥の方にある建物は旧火葬場(現在は使われていない)で、1981年に設置された。それ以前は薪の上に棺を置いで焼却する火葬であり、本当の野辺の送りであったらしい。火葬場の奥にある煙突のある建物は、ゴミ焼却場である。
 墓地にある墓石の形状は、八丈島出身者による石塔式と沖縄出身者による家形破風式が混在している。三段目の写真で右側が大和式であり、左側は沖縄式である。

 


島の駐在所

2023-08-21 14:27:43 | 旅行

 島にある駐在所は以前と同じ場所に、同じ姿で残っていた。変わったことと言えば、駐在する警察官の人数が2名から1名に減ったことと、パトカーが普通車から軽四のミニパトに変わったことである。
 村誌によれば、1946年に大東警察署が設置された時は署長を含めて10名が勤務していた。1951年に大東警察署が那覇警察署の管轄下になって大東派出所になると警察官は6名になり、1954年には4名に縮小され、さらに1978年には2名となった。駐在所員の人数が減っていったのは、島の人口が減っていったことと関係するようである。だが、二人勤務から一人勤務に縮小されたのは人口の減少とは無関係のようだ。前回に旅行した時の2012年の人口は1260名で、2023年では1190名になり、それほと大きく人口が減っているとは思われない。島では大きな事件も発生せず、治安が良いことから、那覇警察署は経費削減のために駐在所を一人勤務体制に移行したのではなかろうか。
 なお、那覇警察署は那覇市内を管轄するが、南大東島、北大東島、久米島、粟国島、渡名喜島、渡嘉敷島、座間味島も管轄しており、管轄範囲は極めて広い。
 駐在所の中には視力を検査する装置が置いてあり、ここで視力検査をして運転免許証の更新をしていた。ただ、ここで免許証を発行するのではなく、更新申請書類を那覇に送ると折り返し更新した免許証が返送されてくるようになっている。通常の免許更新はこの方法で良いのだが、高齢者が更新するときはどうするのだろうか。満70歳以上の高齢者が免許を更新する場合には、高齢者講習と実車運転試験が必要となるが、島にはそのような設備はない。もしかしたら那覇まで出掛けなければならないかもしれない。
 現在、島には高等学校が無いため、中学校を卒業するとほぼ全員が那覇の高等学校に進学する。卒業する直前には全員が自動車免許を取得して帰ってくるそうです。その昔、1970年代から暫くの間は、那覇の警察署から担当者が出張し、島内で自動車免許の試験を実施していたらしい。路上で運転試験したとは思われないので、中学校の校庭で実施していたのかもしれない。どんな試験方法であったか、知りたいものである。
 三段目の写真は、駐在所内に貼られている指名手配のポスターで、内地と同じものでした。しかし、島に住んでいる人達はほぼ顔なじみであり、見かけない人が歩いていれば直ぐ判ってしまう。危ない恰好をした人がいたら、すぐ通報されるでしょう。指名手配のポスターを貼っても、島ではあまり役に立たないのではないかと思われますが。
 以前の駐在所では2人勤務であったため、上司と部下の2人が隣り合わせた官舎に住んでいた。このような住環境では、毎日家族同士が顔を突き合わせることになり、上司も部下も気苦労があったと思われる。それが一人勤務ということになると、人を管理することも管理されることも無く、精神的には気楽なものである。しかし、一人で島の治安を担うのは大変なことある。四段目の写真は南大東島空港で搭乗客を監視している警察官である。毎日2便ある定期便の離陸の際には必ず立ち会わなければならない。365日24時間働いているようなもので、コンビニストアーの店長のようなものある。病気などで体調が不良な時はどうするのか、と尋ねたところ、「余程の大病でない限り、多少の熱が出た程度では頑張って警備するために出動しています」とのことだった。
 南大東島の駐在所に派遣される警察官は2年から3年で交代するようである。しかし、警察官によっては離島への転勤を希望し、人生の大半を離島の駐在所で過ごす人もいるらしい。不便であるがノンビリとした離島の生活に憧れ、出世は望まずに気楽に生きていこう、という人である。広い日本では、そんな生きかたをする人がいてもいいでしょう。

 


交通事故

2023-08-19 17:18:10 | 旅行

 駐在所の前庭には証拠保全のためか、事故にあった自動車が保管されていた。島では人身事故は少ないようだが、自損事故は多いようだ。その原因は農地の土壌にある。農地から流れ出た土により自動車のタイヤがスリップし、事故を起こすらしい。
 南大東島の農地は石灰岩に腐食土が混じったもので、粒子が非常に細かい。石灰岩はセメントの材料になるものであり、島の土がセメントの粉と同じ大きさの粒子と考えればいかに細いかが判るはず。内地の粘土よりも細かいのではないかと思われる。また、石灰岩による土は結合力が弱く、水と混合しても粘土のように固まらない。あたかも重油のようにドロッとした半流動性の状態を維持している。二段目の写真は県道に接近した農地を写したものである。雨が降ると、農地の土に雨水が混じって水泥状となって県道に流れ出る。固いアスファルトの上を水と混じった石灰質の土が覆うと、アスファルトには滑りやすい皮膜が形成されたことになる。ここを自動車が走行すると、あたかもグリースの上を走行するようにハンドル操作ができず、車体が流されて衝突することになる。島では、このスリップ事故が一番多いようだ。
 私もバイクを運転中、水泥状となったアスファルトの上を走行しているときスリップし、危うく転倒しそうになったことがあった。島の観光協会が発行しているパンフレットには、「バイクは滑らないようにご注意!」と印刷されていた。これは、観光客がバイクで転倒する事故がいかに多いのか、という証左であろう。

 


デジタル社会化

2023-08-17 15:59:28 | 旅行

  今回の旅行で、島の貨幣経済が大きく変わったと感じられたのは、電子マネーが使用できるようになったことである。一段目の写真はスーパーミナミ、二段目の写真はJA南大東のレジであり、カウンターには使用できるカードの種類が表示されていた。nanaco、waon、Edyなどのほぼ全ての電子マネーに対応していた。一部のクレジットカードにも対応できるようである。
 私は東日本旅客のSUICAを使用したが、これが何と使えてしまった。沖縄県には鉄道が無いため、鉄道系のカードは対応できないのでは、と考えていた。ただ、那覇にはモノレールが運行していて、モノレールではSUICAが使用できる。このため南大東島でも利用することができるようになったのかもしれない。
 前回の旅行では、島内のどこの店に行っても現金払いであった。電子マネーが利用できるようになったのは、島に高速光ファイバー通信回線が敷設されたからであった。本島と南大東島の間に海底ケーブルが施設されたの2011年であり、私が最初に島を訪問した前年のことであった。この海底ケーブルにより本島との間で高速で大容量のデータ通信が可能となった。それまでの島の通信手段は衛星通信に頼っていたので、データの通信速度は64Kbps程度であったらしい。それが光ファイバーによる通信網が完成したので、高速通信が可能になった。
 私が2012年9月にホテルよしざとのWifiに接続して計測した記録では、下り速度は1.02Mbpsであった。この計測値はデジタル機器の性能により変わるため、高性能のWifi端末を使用したならもっと高速になっていたかもしれない。しかし、この速度では電子マネーを決裁するには遅い。それから11年が経過した今回の旅行では、プチホテル・サザンクロスのWifiを利用して通信速度を測定すると、下り速度は113Mbps、上りは56.8Mbpsとなり、格段に向上した。これは2022年より、超高速光ブローバンドサービスが開始されたからである。これだけの通信速度が確保できたので、スーパーなどでは電子マネーの決裁が可能となった。
 現在、島では、下り速度が1Gbit以上になる高速光ファイバー回線の契約(いわゆる1ギガプラン)が実施されていて、既にこの超高速回線を使用している人もいるらしい。全国各地の通信速度を公開している「みんなのネット回線速度」というホームページには、南大東島在住のネット回線利用者からの測定速度の投稿がある。この投稿によれば、2024年6月25日にOCNのプロバイダーの光回線で速度計測したところ、下り速度は842Mbps、上り速度は560Mbpsを記録している。こうなると、通信環境は内地とほぼ変わらなくなっている。
 なお、島内で電子マネーが利用できる店舗は数店に止まっているらしい。島内の飲食店はどこに行っても現金での支払いを要求された。電子マネーを処理する装置の導入費用がかかることと、電子マネーを利用する顧客がこれから増えていくことが想定できないからであろう。