新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

借りたバイク

2023-08-15 18:55:42 | 旅行

  前回の旅行では奥山モータースでバイクを借り、3日間島中を走り回った。今回もバイクを借りよう奥山モータースに出掛けたが、生憎と豊年祭の間は休業で、バイクを借りることが出来なかった。狭い島内であるが、あちこちと飛び回るにはバイクが無いと何かと不便である。この窮状をホテルよしざとの社長に相談したところ、近所で空いているバイクを見つけてくれた。私の免許証も確かめず、無償で貸し出してくれたのはとても有り難いことであった。ただ、お借りしたバイクは大変なものであった。
 バイクには大手建機レンタル会社のシールが貼られていることから、地元の建設会社向けにレンタルしていたのであろう。購入してから時間が経過したので償却期間が過ぎ、レンタル会社では不要になったが、バイクを本島に持ち帰る費用が嵩むので地元の人に無償で譲渡したと思われた。かなり古いが、エンジンは一発で始動でき、馬力も出て運転するには何の支障もない。ただ、一番の問題はキーが抜けないのである。キーを回転させて、始動、停止はできるが、鍵の内部が壊れているのでキーを抜き取ることができない。
 もし、この状態のバイクを都内で駐車していたなら、たちまち盗難に会うことは間違いない。しかし、ここでは誰も盗まないのである。島内では、誰がどんなバイクに乗っているのか誰も知っている。無断でバイクを乗り回していれば直ぐにバレてしまう。これがキーが抜けないバイクが島に存在する理由である。それだけ南大東島は安全なのである。

 


星野洞

2023-08-13 17:38:46 | 旅行

  南大東島はさんご礁などが堆積した石灰岩が隆起した島である。石灰岩であることから、雨水がしみ込むと石灰岩が浸食されて鍾乳洞が出来上がる。島には鍾乳洞が120か所あると言われ、戦時中は防空壕に利用されたこともあった。島は米軍による激しい艦砲射撃を受けたが、意外に戦没者が少なかったのは軍民が島内の鍾乳洞に退避していたからであった、と言われている。
 島の鍾乳洞で一番大きいのが星野洞で、広さは1千坪、長さは375メートルある。星野さんという人の私有地にあることから、星野洞と名付けられた。入口から地下33メートルまでは防空壕のようなコンクリート製の通路が設えてあり、鍾乳洞内には金属製の階段と照明装置が設置されている。整備には相当な金額がかかったが、その費用は1988年の竹下内閣時代に交付された「ふるさと創世事業」の交付金で賄われた。この交付金は1地方自治体に1億円が交付され、南大東村にも交付された。この交付金を原資にして、星野洞を観光客向けに整備したのであった。当時はバルブ経済の最盛期であり、小さな島にもふんだんな税金が振る舞われた。
 なぜ、この小さな鍾乳洞に大金を投じて整備したかと言えば、島にはこの場所以外にこれと言った名所が無いからである。島に観光客を呼び込むためには目玉になるような名所がなければならない。しかし、開拓が始まってから百年の歴史しかない島では、魅力のある名所がない。展望台や海岸などに案内しても、そこで観光客が風景を一望すれば5分でお終いである。しかし、観光客が鍾乳洞を一通り廻れば、小1時間ほどは時間を過ごせる。島に観光客を呼び寄せるには、ある程度の時間を潰せるような名所が必要なのである。このような理由で星野洞には大金が投じられた。
 一段目の写真は村道から管理所の方向を写したもので、二段目の写真は新旧の管理所を写したものである。この管理所で大人1名当たり入場料8百円(2024年5月からは千円)を支払うと星野洞に入る鍵を貸してくれる。三段目の写真は星野洞の入口で、借りた鍵で観光客自らドアーを開け、地下の巨大な鍾乳洞を見学できる。私は鍾乳洞には関心が無かったので入場しませんでしたが。
 左側にある建物は旧の管理所で、現在は使われていない。右側は新の管理所で、中央には休憩所があり、左側が入場料を徴集する事務室、右側にトイレなどの設備がある。建物前にある駐車場は15台を収容できる広さがあり、立派に整備されていた。建物、駐車場は立派なのですが、ここまで整備する必要があるのか疑問です。年間の来場者数は約2千人程度(2023年度、観光協会調べ)と推測され、観光客の数に比べて設備が豪華過ぎるのです。観光客を乗せた自動車が一度に15台も駐車するとは思われません。離島支援の助成金が余ったので、整備費用に当てたのかもしれません。
 私が訪問した時、管理所には中年の女性が1人で留守番していた。年間の来場者が少ないので、もしかすると観光客が来ない日もあるかと思われます。それでも彼女は待ち続けるのです。それは島に職場が少ないからと思われます。役場(観光協会)では職場を作り、島の住人に働く場所を与え、生活できるように支援しているのです。島に住んでいただいて、人口の減少を防いでいるのです。島を守り、国土を確保するには、島に職場を作るのが一番なのです。

 


大東ゴルフ倶楽部

2023-08-11 13:36:59 | 旅行

  南大東島には小さいながらゴルフ場もあります。20年以上前には、月見橋の付近に打ちっぱなしのゴルフ練習場がありました。水に浮かぶゴルフボール(フロートボール)が開発されたことから、地元の業者が瓢箪池に向けてフロートボールを打ちっぱなしする練習場を開設したようです。しかし、フロートボールを打つだけでは変化が無く、飽きられるのが早く、比較的早い時期に閉鎖したようです。前回の旅行では、このゴルフ練習場の跡地を見ましたが、現在は月見公園に改修されていました。
 芝を貼った本格的なゴルフ場である「大東ゴルフ倶楽部」が開設されたのは2003年でした。コースはアウトが13ホール、インが9ホールで合計22ホール、パー67で開業しました。ただし、インのコースはアウトと共通していて、ホールの位置が相違するだけとなります。現在、アウトの10番ホールから13番ホールは閉鎖しているため、アウト、インがそれぞれ9ホールでラウンドすることになります。
 グリーンフィーは、アウトの9ホールで2千円、インの9ホールを回ると千円の追加となり、18ホールを回ると3千円になります。会員権は販売していませんが、年会費3万円を支払うと9ホールのグリーンフィーが千円の割り引きになる特典があります。一段目の写真は1番ホールのコースを撮影したもので、比較的フラットなコースです。元々は砂糖きび畑であった場所をゴルフ場に転用したからです。私はカリブ海の島にあるゴルフ場を巡ったことがありましたが、砂糖きび畑を転用したゴルフ場を数多く見かけました。世界的な砂糖価格の低下により、砂糖きびを栽培するより観光客相手にゴルフ場を運営した方が利益になると判断したからでした。このコースの風景を見ていると、カリブ海のゴルフ場が思い出されました。
 二段目の写真はクラブハウスです。一階の右側がクラブハウスとなっていました。建物の大部分は資材や保守機材の倉庫となっているようです。以前は一階に「食事処銀ちゃん」というレストランもあったのですが、利用者が少なかったためか現在は閉鎖されています。クラブハウスの外観は何となく建築現場に設置される建物を連想させますが、ゴルフ場の親会社が地元の大智という建設会社のためでしょう。
 三段目の写真はクラブハウスの受け付けで、マネージャーがテレビを鑑賞しながらノンビリと待機されていました。南国にある離島独特の、ゆるやかな時間が流れていく雰囲気が伝わってくるようです。

 


ゴミ焼却場

2023-08-09 11:55:28 | 旅行

 

  島内は一種の消費社会であり、本島から運ばれてくる多種多様の消費財を購入し、使い終わったなら廃棄する。小さな島なので、廃棄したゴミをそのままにしたら島中がゴミだらけになってしまう。かっては衣類、パッケージなどの紙類、プラスチック類などは野焼きしていたらしい。燃えない金属類は穴を掘って埋めていたようだ。また、大きな家具などは海岸付近のゴミ捨て場に放置していた。大型のゴミは台風の時に強風で太平洋に吹き飛ばされ、自然の力でゴミが清掃されていた。しかし、島での生活が近代化して日常生活用品の消費量が多くなると、穴埋めでは間に合わなくなると共に、野焼きが法律で禁止されるようになった。このため、島では近代的なゴミ処理を実施する必要となり、1983年に村営墓地の奥にゴミ焼却場が竣工した。その後、ゴミ焼却設備にはダイオキシンを排出しない対策を講ずる法律が施行され、2000年には新しいゴミ焼却場を完成した。一段目の写真で手前にあるのは旧のゴミ焼却場であり、奥にあるのが新しいゴミ焼却場である。
 二段目の写真は焼却場をゴミ投入口から撮影したもので、ここでは3台のパッカー車が運用されていた(もう1台は写真の背面に駐車してあった)。三段目の写真は焼却炉の制御室で、設備は小さいが一日に3トンの処理能力がある。また、瓶類、アルミ缶類などの不燃ゴミは仕分けされ、定期便で沖縄本島に搬送してリサイクルされていた。
 この焼却場で焼却されたゴミの残滓は、2009年に完成したエコセンターという廃棄物処分場で保管される。内地の廃棄物処理場と同じように、掘った穴に防水シートを敷き、その防水シート上に残滓を投入して管理していた。ただ、この方法による保管が何時まで続くのか問題となりそうです。東京都であれば、残滓を東京湾の沿岸に埋め立てることができるが、南大東島の海岸は断崖絶壁のため埋め立てすることができない。ゴミの残滓は毎年増え続けているのですから、何時かは満杯となるでしょう。計画では今後20年間は残滓の受け入れが可能ですが、ここが満杯になったら沖縄本島に移送して、本島での埋め立てに利用されるかもしれません。


廃棄物の処理

2023-08-07 15:18:24 | 旅行

  一般家庭ゴミや資源ゴミは、村役場のパッカー車や資源回収車で回収し、焼却するか素材別に分別してリサイクルしている。それ以外の焼却できない廃棄物は本州と同様に有料で処分されている。産業廃棄物は、金城重機土木、大成、丸憲が処分業者として指定されている。これらの企業は土木・建築会社であり、自社からも建築廃材などを廃出しているからである。
  家庭から廃棄される、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、テレビについては家電リサイクル法により有料で回収されている。南大東島でもこの法律に従い、一般家庭から出される家電4品目は全国共通の費用を支払って回収されている。島には2か所の集積場があり、そこに自ら持ち込むか指定された電気店(南大東島では奥山電気しかありませんが)に回収を依頼する。一段目の写真は在所集落にある集積場で、粗大ゴミが品種別に集められていた。ここで一定の数量まで粗大ゴミが溜まると、まとめてコンテナーで那覇に搬送している。島から那覇までは船で400キロメートルもあるため、内地と比べ運送費が嵩む。このため、地域による処分費用の平等化を図るため、家電4品目の回収手数料の徴集代行をしている家電製品協会では、離島対策事業協力として運搬費用を助成している。しかし、過去に事業協力が決定した対象の市町村で、南大東村は2017年度(平成29年度)に一度だけ助成金を受領しているだけである。同じ沖縄県の宮古島市では、毎年のように助成金を受領している。南大東村が支援の要請をしなかったのは、財政的に余裕があったためかもしれない。
 また、耐久年数が過ぎた廃車は、自動車リサイクル法により解体業者などに引き取ってもらい、分解して有用資源を回収している。しかし、島には解体業者が無いため、やはり船で那覇まで搬送する必要がある。大東海運を利用して軽四輪車を搬送すると5万円弱、普通自動車では6~7万円かかるらしい(重量、車種によって運送費が相違する)。これでは内地の消費者に比べて負担が大きくなるので、自動車リサイクル促進センターでは離島対策支援事業を実施している。この支援制度では、那覇までの運賃の最大8割を上限とした助成金が支給されている。
 二段目の写真は、業者に回収を依頼せず放置された廃車である。数多くは見かけられなかったが、島の所々で廃車を見かけた。私有地に置かれていることから放置車でないため、役場としては業者への引き渡しを強制する訳にもいかず困っているらしい。沖縄の離島の多くは公共交通機関が無いため自家用車の普及率が高く、放置車が多くなった時期があり、社会問題となった。このため、2007年には行政代執行により離島の放置車を一掃したこともあった。沖縄の離島によっては、自動車を持ち込む際に廃車保証金を徴集する自治体もあるらしいが、南大東島では実施されていない。
 さて、島内のあちこちを歩いて感じることは、どこも奇麗なことです。道路にはペットボトルは落ちておらず、集落には煙草の吸殻が見当たらない。島民の環境に対する意識が高く、常に清掃が行われているからと思われた。島民の意識が高くなったのは、2012年より始まった循環型社会形成計画の影響があるらしい。狭い島で全ての廃棄物を処理するには、排出量の抑制、ゴミの分別回収などを実施して環境の負荷を軽くする必要がある。このため、村では循環型社会へ移行するための啓蒙活動を実施し、ゴミ処理への意識を高めてきた。島が奇麗なのは、この啓蒙活動の成果であろう。
 各集落では、年に一回住民総出で清掃活動しているらしいが、その他に2023年には島外からボランティアを集め、美化活動を実施している。これは、清掃活動に賛同する島外の人を募集し、島までの旅行費用を支援しようというキャンペーンであった。旅行費用の6割を援助する、という大判振る舞いの事業で、主催したのは「島まーる」という離島を紹介する沖縄県企画部であった。
 三段目の写真は空港ロビーに設置された分別ゴミ箱である。都内の各駅からはほぼ全てのゴミ箱が撤去されたが、島では住民の協力により一般ゴミを分別して回収していた。