新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

上水道施設

2023-08-05 19:42:56 | 旅行

  日常生活のためには生活用水が必要であるが、南大東島は亜熱帯海洋性気候で温暖なのだが降水量が少ない。年間降水量は、沖縄本島の2000ミリに対して南大東島は1600ミリである。また、島での降水は梅雨シーズンと台風シーズンに集中しており、台風の来島回数が少ないとたちまち干ばつになる。このため、島では開拓時代から飲料水や生活用水に悩まされていた。
 戦前は、飲料水の確保に苦労していたようで、屋根に降る雨水を集めた天水や掘った井戸から汲み上げた地下水を利用していた。トタン葺きの屋根で回収した天水は問題が無かったが、ビロウの葉(シロッパ)で葺いた屋根で回収した天水は色が付いて臭気があったという。島にはあちこちに池があり、湖水が溜まっているので、この湖水を飲料水にできるのではないかと考え易い。しかし、島の土壌は石灰岩で空洞が多く、池の底は太平洋の海水とつながっていて、湖水の底部は海水なのである。湖水の表面にだけ比重の関係で雨水が浮かんでいるのである。そして、各池の水面は海の満潮干潮により上下している。このことから、井戸水については島独特の問題があった。井戸を掘って真水を汲み上げようすると海水が混じるのである。
 天水を貯留した水は長期に保存すると衛生上の問題があり、井戸水は塩分が含まれていて健康上の問題がある。この問題は開拓時代から戦後まで長い間続いていた。
 このため、村では、阿弥陀池から取水し、濾過して各戸に給水する簡易水道を1976年に完成した。しかし、給水できたのは在所集落周辺までで、1986年の普及率は56%であった。他の集落は相変わらず天水と井戸水に生活用水を頼らざるを得なかった。
 1990年になって逆浸透膜を利用して海水を淡水化して飲料水として供給する海水淡水化施設が完成し、島内全戸に給水できる簡易水道が敷設された。その後、2023年に施設は沖縄県企業局に委譲され、本水道に昇格した。企業局による管理は、水道用水供給事業の拡大によるもので、本島と離島における水供給サービスの格差を解消するの目的であった。これにより、村が水道施設を管理していた時期に比べ水道使用料が大幅に減額されることになった。
 村が管理していた時期の水道料金は、基本の最初の6立方メートルまでは1812円で、追加使用の1立方メートル毎に425円であった。企業局の管理に変わって、水道料金は基本の最初の6立方メートルまでは1628円で、追加使用の1立方メートル毎に374円が加算されることになった(2023年現在)。
 しかし、これでも未だ本州の市町村に比べて高いものである。東京都23区の使用料金と比べてみよう。東京都での標準的な利用契約は呼び径20ミリで、基本の最初の5立方メートルまでは1170円で、それ以降の追加料金は使用量により段階的に上昇して加算されている(2023年現在、なお、この料金は2005年以降変更されていない)。
 東京都での4人家族の平均的な毎月の水道使用量は23.1立方メートルである。この使用量で東京での毎月の水道料金を計算すると3322円となる。同一の条件で南大東島での水道料金は8357円となり、2倍以上となる。離島での水道水がいかに高いかが理解される。
 一段目、二段目の写真は淡水化施設の外観である。三段目の写真は給水塔を撮影したもので、手前にあるのは簡易水道を設置した時に建てられたもので、1984年に竣工している。奥の給水塔は現在使用している新設されたものである。

 


天水タンクと井戸

2023-08-03 11:42:35 | 旅行

 前述したように、島の水道料金は非常に高い。運営費の高い逆浸透幕により海水を淡水化しているためで、料金が高くなるには仕方ない。このため、各家庭では出費を避けるための自衛手段を取っていた。それは、水道による給水は飲料とシャワーに極力限定し、洗濯や掃除などには天水か井戸水を利用することである。島の各戸に水道管が敷設され、水道水が自由に使用できるようになった現在でも天水タンクと井戸を利用している民家は多い。
 一段目の写真は在所集落にある民家の天水タンクである。腰の高さまである土台の上にコンクリート製のタンクが設置され、土台の前には流し台が設けてあった。タンクの底には蛇口が付けられていて、手作業するには便利なように設計されていた。左側にあるのは電気洗濯機で、この家庭は屋外で洗濯されてみえるようだ。
 二段目の写真はやはり在所集落で見かけた井戸である。井戸には電動ポンプが使用されているが、全島電化になる前は手押しポンプで汲み上げていた。電化の工事が完了したのは1968年であったが、この時は給電時間に制限があり、夜間だけだったらしい。全島24時間の電力供給は1971年になってからであった。こうしたことから、島では水の確保には長い間苦労させられていた。
 三段目の写真は、天水と井戸の両方を利用し、タンクに水を貯留している事例である。四段目の写真は巨大な天水タンクで、平屋の屋根とほぼ同じ高さまである。家庭で利用するには大きすぎるタンクなので、天水を何かの業務に使用するために設置したのであろうか。ただ、島内にはクリーニング店は無いので、クリーニング用ではなさそうである。

 


外国人労働者と季節労働者

2023-08-01 19:59:55 | 旅行

  県道を走行していると機械を使って除草している人を見かけた。聞いてみると、フィリピンから来島した技能実習生であった。島内には10人ほどのフィリピン労働者が居住している、とのことであった。しかし、夜間に飲み屋街で彼らと出会うことはなかったので、在所集落から離れた農家で集団生活をしているようである。この他に、ベトナム人、インドネシア人の労働者も島内で働いていると聞いたが、私は確認できなかった。沖縄の離島でも労働力を補充するため外国人を導入しなければならくなった、という日本の現実に驚かされた。
 昼間、島内の砂糖きび畑を観察していると、日本人が働いているのを見かけることは無かった。仕事をさぼっているのではなく、農家の人達は午前4時頃の日の出前から畑で作業を始め、暑くなってくる午前10時頃には戻ってくるからである。このため、午後2時頃の暑い盛りに農家の前を通ると、テレビの音や人声が聞こえてきた。
 現在の南大東島にフィリピン人の労働者がいることは別に驚かされることではなく、島外からの労働力の導入は戦前からの歴史があった。砂糖きび栽培で一番忙しいのは12月から翌3月までの収穫期である。この時期には、農家の人手では砂糖きびを刈り取ることはできず、島外からの季節労働者を受け入れていた。砂糖きびから粗糖を生産する製糖工場も、この時期は24時間操業となり季節労働者を採用していた。戦前から1970年頃までは、沖縄本島や宮古島から季節労働者を導入していた。しかし、沖縄から内地に就職する人が増え、沖縄本島や宮古島からは労働力を導入するのは困難となってきた。同時に、南大東島の人口も減少し始めていて、島内だけでの労働力確保も難しくなった。
 このため、1966年には台湾からの労働者を招聘することになった。国内で実質的に外国人の単純労働者を採用できるようになったのは、「技能実習制度」が法制化された1993年からで、沖縄での外国人労働者の招聘は内地より早かった。これは当時の沖縄が米軍により統治されていて、外国労働力の導入は琉球政府が許可していたためであった。当時の内地では考えられない制度であった。台湾人は主に台湾彰化県の20歳前後の女性であり、毎年数百人が来島していた。40人前後の男性の台湾人も採用されていた。女性は砂糖きびの刈り取り作業に従事し、男性は砂糖工場で働いていた。台湾人にとって人件費の高い南大東島で働くことは収入が多くなり、農家にとっては大量の労働者を日本人より安く雇用できるので、両者にとってウインウインの関係であった。しかし、この良好な関係は1972年の日中国交回復により、日本と台湾とは断交し、台湾労働者の導入は断ち切られた。
 台湾人の労働力に頼っていた島の砂糖きび産業はたちまち行き詰まった。このため、韓国から労働者を招聘することになり、1974年には259名が、1975年には351名が来島した。しかし、台湾労働者に比べ韓国労働者は、募集費用がかかる割りには生産性が伴わず、韓国人の招聘は2年間で終了したようだ。
 前述した台湾女性による出稼ぎについては、台湾の南華大学の邱シュクブン氏(シュクは王偏に叔、ブンは雨かんむりに文)により聞き取り調査が行われ、2021年に「1960~70年代沖縄的台湾女工」とタイトルして出版された。しかし、日本語訳本が出版されていないので残念である。この邱氏による台湾労働者の研究成果については、2021年4月18日発行の琉球新報に詳しく掲載されている。また、戦後の外国人労働者については、下関市立大学名誉教授の平岡昭利氏が1975年に地質学会で発表した論文、琉球大学大学院に在籍していた呉俐君氏が2018年に琉球大学学術リポジトリに発表した論文が詳しい。
 その後に労働力不足はどのように解消したかと言えば、大型機械の導入であった。1972年以降、島では大型の刈取機の利用が盛んとなり、砂糖きびを刈り取るために大量の人員を動員する必要が無くなってきた。それでも、刈取機の操作や刈り取った砂糖きびを工場まで運搬する大型トラックの運転は、やはり季節労働者に頼らなければならない。現在、季節労働者は北海道の農業経験者が多く採用されているという。砂糖きびの刈り取りの時期は北海道では農閑期であり、北海道の農業従事者は大型農業機械の取り扱いに慣れていて、南大東島の農家にとって都合が良い。しかし、砂糖きびを栽培する他の離島も同じように、収穫期には労働力が不足していて、他県から人材を募集している。離島同士で労働力の奪い合いがあるようで、どの島でも季節労働者の労働条件を良くすることに力をいれているという。