朝7時前に家を出て、中国道~岡山道~山陽自動車道
着いたのは兵庫県の某市内。
行った時は、もう既にどなたかが参られていました…。
16年前、阪神・淡路大震災で私の幼なじみのJ子が亡くなりました。今日がその命日。毎年、今年は行かなければと思い思い、勝手をしていました。
小学校二年の時、私の田舎実家の近くに西宮から引っ越してきた同級生の彼女はバリバリの関西弁、勝ち気で男勝り。思ったことはズバッと言う裏表のない子でした。
彼女の家は小さな会社をしていたのですが、商売がうまく行かず苦労をしていました。しかしそんな内情は全然顔に見せず、明るく笑う姿に子どもながら何か光るものを見ていました。ある時、私が上級生にいじめられ、泣いていた時、
そばに来て「何を泣いとんねん、負けたらあかんがな、やり返したりぃ」
以来、一緒に宿題したり、田んぼでバドミントンをしたり、低学年から中学年を親しく遊んでいました。しかし中学生になり彼女のお父さんが急死され、都合で彼女は関西の方に引っ越してしまうことに。
その時に聞いた住所でしばらく年賀状のやりとりをしてました。
そして、京都の大学に進学した彼女に大阪や京都で何回か会いました。幼なじみ、家が近所だったため貴重な友人でよく二人で悩み事を相談したり、これからの人生の夢を語り合ってました。
彼女の口癖は
「負けたらあかんで」
その後、彼女はファッション関係会社に就職、その後は私も仕事が忙しく、疎遠になってました。
時は流れ、私の長女が生まれて二年ほどして、知人を介し、J子が結婚することを知り、お祝いをし次の年のお正月、神戸から年賀状が届きました。
幸せそうな笑顔を見せて微笑む彼女の写真を見て、やれやれと安心しました。
年賀状には「お祝いありがとう。お互い負けたらあかんな」
そう書かれてありました。
その矢先の出来事でした。
時々負けそうになる。けれどその時は背筋を伸ばし、しゃんとして、「負けたらあかん」彼女の分まで負けないようにしないと。そう思うとその気持ちはどこかにいくような気がします。質素ですが、今の生活や健康があるのも背中から「負けたらあかん」があるからかも知れない…そう思っています。
つい先日よりこのブログのタイトル下に「今日の一言」を作り、著名人が残した言葉を書いています。どれも含蓄があり心に響きます。
しかし、私の心の中に留めておきたいのは、古来からの格言でもなく、先人の処世訓や気の利いた言葉でもありません。
「負けたらあかんで」
市井の片隅で苦労をしながら、歯を食い縛り生きた、名もなき幼なじみの友のこの言葉であります。
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ken
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