『昭和』ってテレビがでかかったな、ブラウン管のテレビ、チャンネルもリモコンがないからガチガチ回してた。チャンネル争いしてたら回す部分が取れて大慌てした。
おやじが強かったし、躾が厳しかった、食事中に何かこぼしたらオイ!って怒られてました。
ラブレターも『昭和』は、よく書いたなあ。
象が踏んでもこわれない筆箱があった、友達がそれ持ってて、“おい、これ踏んでみぃっ”て言うから踏んだら、メリッと音がした。
小学生の時、学校で予防注射があって、並んでる時必ず終わって帰る友達に“痛かった、なぁ、痛くないって言うてや!”なんて声かけてた。
今は携帯の時代、『昭和』は家の黒電話か公衆電話。女の子の家にかける時お父さんが出ないように祈りながら電話を、もしお父さんならガチッで切ったな。いや、速攻で切られたことも・・・
実家のトイレが外にあって、夜暗いからトイレ行くの怖いよ、わざと“おるだろ、そこに、いるのわかっとんじゃ!”なんてボソボソ言いながら棒もって早足で行ってたなあ。
『昭和』はもっと近所付き合いもあった。それが当たり前、お隣からおかずのおすそ分けなんてあったな。どこどこの誰と屋号で呼んでいたな、今もぞれで通じるし。
頑固オジイチャンも必ず近所に、ステテコ・ラクダの腹巻姿で、悪いことしたらゲンコツくらった・・・。
台風で電気が停電して、なかなか復旧しなくて、みんなでローソクの灯を囲んだ。夏は蚊帳の中に入っていたら何故か安心した。
昭和という時代は、不便さの中に温かさがあって、ゆっくりと時が流れていた。今から思うとそんな気がします。
レコード針落とす時の緊張感大好き、ビデオテープのベータとVHS戦争も懐しい。
青春時代の昭和50年代、通勤時車の中で一番聴いた曲は「アリス」その頃はカセットテープ。
谷村新司さん、チンペイさんの訃報、青天の霹靂で驚きました。アリスの全国ツアーを噂で耳にしていたのに、とても残念です。
備前焼がお好きで、10年ほど前、岡山市で加山雄三さんとの作陶展を開かれてました。
音楽に国境もないし、谷村さんの歌は時代を超えて愛唱され続けると確信します。
衷心よりお悔やみ申し上げます。