一歩ずつすすんで♪

どるふぃんは元気です!

コメントのお返事

2009-06-09 19:19:00 | ブログ
前記事「スクランブル交差点にて」にいただいたコメントへのお返事です{%ありがと(チカチカ)hdeco%}

この記事のコメント欄 一応開けてますが、スルーして下さってOKです{%グットハートhdeco%}


前記事につながるような こんな記事も書いていますので、よろしければ読んでみて下さ~い{%一言・ペコhdeco%}

   {%右矢印webry%} http://nico2life.at.webry.info/200707/article_33.html



takakoinochiさんへ

こんにちは{%笑いwebry%}
コメントを削除なんてとんでもない!
とても大事なことを指摘していただいたと思っています。
最近、障害を個性と考えようということを耳にしますよね。
障害も個性、それでいいような気もしますが、そうなると例えば歌が上手いという個性と障害という個性。
同列に並べて考えていいものか…という疑問も私の中にはあるのです。
私としては、障害はその人の「属性」と考えた方がしっくりくるような気がするのです。
個性と属性の違いなど考え出すと難しくなってくるのですが、このことについては私自身もっと学ばなければならないと思っています。
今回takakoinochiさんのコメントを読んで、そのことをまた強く思いました。
そのきっかけをtakakoinochiさんにいただきました。ありがとうございます。
またぜひご意見を聞かせてくださいね☆



junjunさんへ

こんにちは{%笑いwebry%}
頷きながら読んでもらえたと知って、とても嬉しいです。ありがとう{%クローバーwebry%}
障害は個性、私も初めて聞いた時は衝撃を受けました。
今の思いとしては、takakoinochiさんへのお返事に書いているので、このすぐ上を読んでもらえるとありがたいのですが、私としては、障害はその人の「属性」と考えた方がしっくりくるような気がするのです。
でも、まだまだ学ばなければと思っています。なので、junjunさんのご意見や思いもお聞きしたいなって思っています。
お時間のある時でいいので、ぜひぜひ綴ってください。
文章の抜粋等も全然OKですよ。楽しみにしています。

そして、私のGLAY初ライブのことや、いつか2人が会える日のことをjunjunさんも「夢」と思ってくれていること、すごく嬉しい。こちらこそ光栄です。
ホントにGLAYのライブ会場でお会いできたら素敵ですね☆
「その日」のことを思うとワクワクします♪
15周年を迎えたGLAY。楽曲はもちろんだけど、トークにもキレがありますね。
最近のメディア出演、サイコーに面白い!
TVの中のGLAYの笑顔を観ながら、TVの前でめっちゃ笑顔の私がいます{%表情ニコニコdeka%}



S子さんへ

こんにちは{%笑いwebry%}
コメント、ありがとうございます{%クローバーwebry%}
うちの家族はみんなよくしゃべるので、いつもうるさいくらいです。
そんな感じなので、素敵なんてお恥ずかしいです。
そうなんですよね。
世の中にはいろいろな人がいる
そのことを忘れずにいること、それが大切なのだと思います。
お母様、目がご不自由だったのですね。
でも、ごく自然にお暮らしになっていたのは、やはりS子さんはじめ、温かいご家族がおられたからこそではないでしょうか。
私も相手の立場になって考えられる人になりたいと思ってはいますが、なかなか…。
いろいろ考えさせられることが多いです。



よんちゃま!さんへ

こんにちは{%笑いwebry%}
コメント、ありがとうございます{%クローバーwebry%}
そうですよね。
人それぞれいろんな理由でトイレのことは気になりますよね。
私は和式でできないわけではないですが、洋式のトイレがないとなかなか大変です。
しかも、車イス用のトイレじゃないと、トイレの中まで車イスで入れませんし…。
少し前、当然あるだろうと思って出かけた建物に、エレベーターがなくて大変だったのを思い出しました。
周りの人の助けを借りて、階段を昇ったんですよ。
車イスを利用する者にとっては、外出先でのトイレとエレベーターのことは断然気になります。









スクランブル交差点にて

2009-06-07 16:46:00 | ブログ
前の記事へのみなさまからの温かいコメントに、すごく励まされました{%顔文字ファイトhdeco%}

本当にありがとうございます{%感謝(チカチカ)hdeco%}

マイペースに、「一歩ずつすすんで♪」を続けていきたいと思っています。

これからもよろしくお願いします{%一言・よろしくhdeco%}

リニューアルというわけではないのですが(気持ち的にはそんな感じがしないでもないですが)、トップページのブログ紹介を新しくしてみました{%NEWdocomo%}






  {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%} {%クラッカーwebry%} {%キラキラwebry%}






さて。



先日 友達との間で、次のような話になった。



足の不自由な人にとっての{%車椅子docomo%}車イスと、目の悪い人にとっての{%眼鏡docomo%}メガネ(コンタクト)は、その人の生活を助けるという意味で同じ意味をもつんじゃないか{%はてなwebry%}


どちらもその人にとってはなくてはならないものなのだから。


そんなふうに考えると、障害や障害者のことも特別なことではなく 日常の中にあるものとして考えられるのではないか、と。






その話を家族にしていた時のこと。



弟が「今の話で思い出してんけど…」と話しを切り出した。



その日、弟は一人で出かけていた。



目抜き通りにある某ファーストフード店{%ハンバーガー(チカチカ)hdeco%}で軽く食べていたら、何となくお腹の調子が良くない…



店内のトイレに行ったのだが、あいにく先客がいて使用中だった{%顔モジヒヤッ(シェイク)hdeco%}



しばらく待っていたが、空きそうにない。



そうこうしているうちに、お腹がだんだんヤバイ状況になっていったので、他の店でトイレを借りようと思い、その店を出た{%走る人docomo%}



大通りの向こう側にトイレを借りれそうな店を見つけ、慌てながら{%信号docomo%}スクランブル交差点を渡り、無事に用を済ますことができたそうである。






ここまできて、何の話~{%顔文字?hdeco%} と思われるかもしれない。



でも、ここからが本題である{%右矢印webry%}



弟はその時「目の不自由な人が自分と同じ状況になったらどうなんやろうな」と思ったというのである。


もし、目の不自由な人が一人でいたとして…



お腹はかなりヤバイ状態{%顔モジヒヤッ(シェイク)hdeco%}  早くトイレに行きたいっ{%汗(チカチカ)hdeco%}



でも、交差点には人がいっぱい。トイレの場所も不確か…{%シャボン玉webry%}



誰かに声をかけるとしても、立ちどまって話を聞いてくれる人に すぐに出会えるかどうか。



そこからまた、自分の今の状況を説明しなければならない。



トイレの場所も探してもらわなければ………



つまり弟は、そんな風にふと障害者のことを思ったというのだ。





まさしく、私が言いたいのはそういうことだ{%ひらめきdocomo%}{%ひらめきdocomo%}{%ひらめきdocomo%}



と同時に、私自身、「言われてみればそうだよな~{%恥ずかしい…(アセアセ)hdeco%}」と 目の不自由な人のことを改めて思ったのだ。



障害者に限らず いろんな立場にある人達のことを思うきっかけは身近な所にあるもの{%リサイクルdocomo%}



そんなことを思う今日この頃です{%イルカwebry%}