逍遥日記

経済・政治・哲学などに関する思索の跡や旅・グルメなどの随筆を書きます。

「勝者の世界分割~東西の冷戦はヤルタ会談から始まった~」(NHKBS『映像の世紀(7)』)を観て

2021-05-10 22:14:51 | 政治
勝者の世界分割~東西の冷戦はヤルタ会談から始まった~」(NHKBSテレビ『映像の世紀(7)』)を観て
                                                         山下景秋

 第2次大戦終戦(1945年8月)直前のヤルタ会談(1945年2月)は、戦後の国際秩序をどのように形成するかという、米国、英国、ソ連3か国の会議だった。しかし、米国のルーズベルト大統領が明確に述べたように、この3国が世界をどのように分割して支配するかを話し合う会議であった。
 ルーズベルトはソ連のスターリンと親和的であったため、米国はソ連に武器を供与した。これもありソ連はドイツ軍に対し反撃を加えて東側からドイツに攻め入って、ドイツのヒットラー政権打倒を(米英軍の西側からのドイツ侵攻とともに)可能にした。
 また東欧は、英国のチャーチルとスターリンの間のその地域の支配をめぐる協議があったこととソ連軍の侵攻によりソ連の支配下に入った。
 一方、米国は対日戦争で多数の米兵が亡くなった(特に硫黄島)ので、日本軍の勢力を太平洋とは反対方向にも割くため、ルーズベルトはスターリンとの間で、北方領土のソ連支配を認める代わりに、ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦し、ソ連軍が中国の満州に進軍するよう要請した。
 ソ連軍の東方進出は、原爆投下とともに日本を敗戦に追い込む大きな要因になった。
 またソ連軍の東方進出により朝鮮半島の北部が金日成傀儡政権の誕生を促したばかりか、1949年の中華人民共和国の成立にも大きくプラスした可能性がある。
こうして、米国ルーズベルトとソ連スターリンが親和的な関係であったところに、米国が対独、対日戦争を有利に運ぼうとするための、ソ連に対する武器供与とソ連軍の東アジア進出が、戦後のソ連、東欧、中国、北朝鮮という社会主義圏の拡大につながり、その拡大がその後のソ連と米国の間の緊張、すなわち冷戦の下地になったのである。
 
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