リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

第17回  アユの生まれるところ 「アユの産卵を見る会」とモリノヤスコ

2015-11-16 11:41:44 | ”川に生きる”中日/東京新聞掲載

今年で26回目となった「アユの産卵を見る会」始まりは一人の女性のふとした疑問だった。長良川は惜しみなく与え、そして奪い、また…。


 「長良川のアユはどこで生まれるの」と彼女が聞いた。一九九〇(平成二)年秋のことだった。

 森野康子は岐阜市内で生まれ育ったコピーライターで、市の広報や地方紙の編集などもしていた。当時、岐阜では全国的に広がった長良川河口堰(ぜき)反対運動を受けて、地元での野外コンサートの企画準備が進められていた。彼女はそのコンサートの事務局長。そのころの私は川崎市に住んでいたが、たまたま参加した準備会議の後の飲み会でのことだった。
 アユは川の下流域、市街地に近いところで産卵する。私は、長良川の場合、アユの産卵場は岐阜市内にあること、鵜飼いで全国的に知られたアユは岐阜市の生まれなのだと話した。
 アユは緩やかな瀬の部分で産卵する。水面から見ただけでは、表面が波打って群れが動くくらいしかわからない。私は小型監視カメラを水中用に改造してサツキマスの水中撮影をしていた。その小型カメラでアユの産卵を撮影して、モニター画面で中継したら陸上でも見られるのではないか。
 仲間を募り、発電機やテレビを川原に持ち込んで準備した。初めて見たアユの産卵の瞬間。なによりも彼女が驚いたのは、アユが岐阜市内の交通量も多い街中で産卵しているということだったようだ。
 「岐阜の人は、アユがどこで生まれとるか知らんと思う」
 岐阜の人に産卵の瞬間を見せたい。彼女の発案から始まったのが今年二十六回目となった「アユの産卵を見る会」だ。
 それからの私は、彼女にひかれ長良川で共に暮らすことを選んだ。その彼女は河口堰の本格運用が始まった年に病を得、九八(平成十)年夏に不帰の客となった。
 彼女が逝った秋も、私は仲間たちと「産卵を見る会」を行っていた。産卵を終え、一年で一生を終えるアユの姿を、その命の最後のきらめきを見届けていた。 (魚類生態写真家)
 
 
 
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