リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

川を下る

2005-07-20 22:43:15 | 全長良川流下行 2005
札幌からの飛行機は御嶽山の南を飛んだ。

 ちょうど、23日に宿泊する美並村付近で長良川上空に差し掛かる。
川の蛇行がよく見える。河原が広いということは、水が少ないと言うことだ。

 長良川流下行の案内を送った方々からの激励が届いている。

現実的な心配ごとしての体力。これは、それなりに何とかなると思う。

そして、釣り人とのトラブル。
17年前ほど多くの釣り人はいないのだが、アユが釣れない分、いらついている釣り人が多いのでは、という忠告を頂いた。

 22日については、水もあまり無いことなので、釣り人の近くはカヤックを引きずって行くことにしている。
 23,24日は、東京から村山くんが加勢にくるので、釣り場では細かなコース取りも出来るだろう。それに、今長良川には、ラフティング、カヌー下りの会社が10社もあるので、やばいところは、そいつらについていこう。
 25日以降は川幅が広がり、釣り人とのトラブルはない。

 友人からのメールを紹介したい。

Tさん
 なんでだか知らないけど、とても悲しい気持ちになった。
新村さんはずいぶんたくさんのものを失ったんだなと思って。

 何もないのが人の原点なんだろう。だから奥深いところから
の力も感じるんだけど、その一方で失ったもの、失うであろう
ものの重さを秤にかける新村さんの姿が浮かぶ。

 「ぼくはここにいる」と新村さんが言う。
ぼくもここにいますよ、とぼくも応えたいと思う。

ボク
> 確かに、失ったものは多いのだけど、多くのものを貰ったのだと思っています。
> 長良川河口堰についても、本来は、起こらない着工時の反対運動でした。
>  そして、また、運用から10年、新たな動きも始まっています。
> モリノのことは、残念でしたが、ボクは彼女についても、失ったものだけではないと
> 思っています。

Tさん
 それはもちろんです。
 でも川を下りながら、以前よりさらに悪化した姿ばかりを
見ることになりますね。
 変わっていないのは新村さん(歳はとりましたが)だけで。

 それが悲しい気持ちにさせるのかも知れません。前回の
レポートを読んだせいか。

 
 多分、今度の川下りでボクが理由付けにこだわったのは、そこの所だと思う。
 失ったものを確認する作業には、それらしい目的があってもいい。そうすることで、失ったことが埋め合わせられるのでは、そう考えていた。
 でも、もういいんだ。あるがままを見てみよう。しばらく、長良川を離れてみて、そう思った。

 ただ下る。潜る、見る、記録する。そこから始まるものもある。

 飛行機は、板取川の合流点を過ぎ、ボクの家の真上で、左に大きく進路をとった。
僕の住むところは、長良川が濃尾平野に下り、大きく南に曲がるところにある。
飛行機は、長良川の真上を飛んで、川は見えなくなった。
やがて、揖斐川が見えてきたと思ったら、長良川が見えた。
岐阜羽島を過ぎたあたり、上空からも川の広さがわかる。長良川河口堰の湛水域に達したのだ。
そして、木曽川越しに長良川を見ながら、飛行機は高度を下げる。

 長良川河口堰が見えてきた。

 哀しいとか、悔しいとか、そういった、激しい感情ではないのだが、むしろ、郷愁に近い感情かも知れないのだが。
 我知らず、熱いものがこみ上げてきた。

 ニイムラ




 
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