あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

慶讃法要で歌う

2024-10-21 | ライブレポ

20日(日)快晴。

広島県北西部の所属のお寺が集合。

我が町で大きな催しが行われた。

山頂から瀬戸内まで見渡せる

龍頭山が真正面に臨める

「どんぐり荘」大広間が会場。

親鸞聖人お誕生から850年

真宗が出来て・・かな

800年という節目の行事が

全国で行われている模様。

新屋まりが親鸞聖人の歌を

作っているとはね。

もう20年近くも前だが

アルバム「生かされて」は

親鸞聖人が亡くなられて

750回の大遠忌に合わせて

リリースした。

おかげ様で完売したが、

ほとんど知られていない。

ご町内のお寺のご住職が

私を推奨して下さり法要の後

新屋まりミニ・コンサートの

運びとなった。

関係者多数。

9時に集合して会場設営。

機材を搬入して繋ぐ。

ステージ周りが配線だらけに

なるのでテープで養生せねば。

髪の毛振り乱して腕まくりだ。

この段階で歌手とは程遠い

新屋まり。

法要の進行を全てリハーサル

してコンサートのリハに入る。

音響は大崎氏にお願いした。

ワイヤレス・マイクは

セットアップが楽な分、

他の機材と周波数が被ると

他所の音を拾うリスクも

あるわけで。

この日、まさかのそれだった

そうだ。

大崎氏がリカバリーできたと

リハ開始直前に聞いた。

喉と声の調子は良い。

新しいギター・メイトン君も

ご機嫌で良い音が出た。

出番までギリギリのギター練習。

前夜20時になってやっと

直前の一人リハをやったらば

選曲していた

「観音さまの光り」はこの場で

適当ではない気がした。

観音様の真言

「オンバラロ-キ テイシュワラ」

を盛り込んだ歌。

しかし立教から850年の催し。

「南無阿弥陀仏」が妥当だ。

一旦は反故にした親鸞聖人の

歌「光の海」をやはり歌うべき

と思い直した。

既に21時。

折しも台風並みの強風の中、

スタジオから帰宅して楽譜を

持って真っ暗な道を折り返した。

それからソロ・ギター用に

コードを書き直したら22時。

それから練習した経緯がある。

午後1時半法要が始まった。

ご講師は広島市内から

武田和上先生が来られた。

先だって武田先生の講和を

聴いて感銘を受けたので

今回も聞きたかった。

顔面とヘアスタイル調整に

やや手間取り後半しか

聞けなかった。

そして新屋まりコンサート。

いわば浄土真宗のプロが

ずらっとおられる席上で

親鸞聖人や阿弥陀様テーマの

オリジナルを披露するとは

相当に勇気がある。

で、コンサート冒頭に大事な

確認事項がありまして。

新屋まりは宗教がかっている

からもうコンサートには

行かないと言う人が居たと

聴いたことがある。

ふとそのことを思い出した。

以来、念には念を(笑)

「宗教がかった歌をここで

歌っても大丈夫でしょうか?」

と聞いた(笑)

拍手を頂いた。

心置きなく歌わせてもらった。

麻呂が亡くなった直後の

ライブだ。

歌そのものの練習よりも

今回はしゃべる内容に苦慮した。

運転しながらふと麻呂の

ことを思い出した。

このことをMCで伝えなくては

と思うこと度々。

愛犬の安楽死のことや両親のこと。

仏教発祥の地インドへの単独行、

そして私はどうやら平家に

縁がある身の上。

「源氏の出」の聖人の歌を

作る葛藤などなど。

持ち時間45分では

足りなくなった。

17時までに撤収と聞いていた。

気が急いたが赤光会の皆さんと

「生かされて」を合唱すれば

じわっと幸せな気持ちになった。

最後に「親鸞さま」を会場の

皆さんと合唱して閉会となった。

催しの多い日だったが

100人超の参加者だった。

関係者のご尽力の賜物。

皆さんとても熱心に聞いて

下さりかつ和やかな会だった。

「生かされて」の歌詞を

配布して下さり

役員の皆様のおかげ様で

CDもたくさんお買い上げ頂いた。

細々と配慮頂き歌手冥利に

つきる1日だった。

1曲目歌詞が飛んだのは

やや残念だった。

直前のひとりリハでは

するっと歌えたのにね。

2曲目ギターのシールドが

ちゃんと入っていなくて

アカペラ状態だったのは

私のミス。

またしても電気系統の

トラブルか?

ギターを買い替えたのに?

と歌いながら思った。

大崎氏も同じことを思った

そうだ。

舞台袖から

「ギターの線が入っていません」

と教えてもらって3曲目から

ちゃんと良い音が出て

気持ち良く歌えた♪

閉会してロビーでお見送りした。

いつになく好評だった。

「泣いた」という方が多かった。

「心が洗われた」

「元気になった」

「あなたを尊敬する」

「どうしてテレビに出ないの?」

「こういう人が全国に行って」

などなど激励してもらった。

浄土真宗との縁を聞かれたが、

大遠忌に向けて歌作りを

と言ってもらった以外に

覚えがない。

いつの間にか自分の血になり

肉になっているのを感じた。

そして歌の力を感じた。

意義あるコンサートをさせて

もらった。

今回のお話を頂戴したのは

20年ほど前にさかのぼる。

広島市内の野外イベントで

当時、高校の放送部顧問だった

精舎先生に声を掛けられた。

たしか「希望のメロディー」を

映像に使いたいとのことだった。

全国大会に出場するほど

活発な部活をされていた。

それから何度か声を

掛けてもらい映像の題材にも

取り上げてもらった。

定年退職後、ご出身である

我が町の住職になられた。

私が仏教の歌を作るに

至ったのはそれからだいぶ

後のことだが、

あのイベントに出ていなければ・・

あの日偶然お会いしなければ・・

この催しで歌うこともなかった。

20年の時の早いこと。

そして縁とは本当に不思議だ。

 


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