あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

叔母の生き方に習う

2024-07-02 | 心の栄養

先週叔母が亡くなった。

叔母さんは父の弟の奥さん。

独り暮らしでたくさん野菜を

作っていた。

90歳を目前に斜面の

草刈りもされていた。

体調が悪いとは聞いていた。

桜の時期に母と妹とで

訪ねたのが最後になった。

急変して入院された。

痛みが酷かったが

関東から従妹が到着するのを

待って最後の別れをしてから

モルヒネを打ったそうだ。

その従妹から聞いた。

「お母さん痛いから、

もう逝って」と言ったそうだ(涙)

叔母さん一家の生き様を

的確に表していて流石だと

心底思った。

余談だが叔母と母は同じ日に

結婚式を挙げた。

叔父と叔母は大恋愛の末、

我が父と母はお見合いだった。

母は若干22歳。

父の名前さえ知らずに嫁いで

来た。

従妹の一人と弟とは同日に

生まれた。

(当時両家の住まいは

数十メートルしか離れて

いなかった。)

通夜に駆けつけた関西の

叔父からその日のドタバタ話を

みんなで聴いたそうだ。

葬儀に「命かがやいて」が

BGMで流された。

亡き父の時は「生かされて」。

あれは葬儀にぴったりだったな。

「命・・」はイントロが長い。

「まあ、まりさんの思いが

あるんでしょうね」と

ピアニストの方が不信そう

だったしさらに編曲を

別の方に長尺で依頼した。

1曲分と同じくらい大変だった

と後に聞いた。

でもインロトが流れて来たら

とたんに涙がこぼれた。

「ここで聞く為の編曲だった」

と勝手に腑に落ちた。

叔母は農業が大好きだった。

「農業」とは我が母のように

その家に生まれた人間や

嫁いだ人間がイヤイヤやるもの

と思っていたので印象に残った。

開拓した広大な農地を叔父と

守って来られた。

叔父がおばさんに

「僕はかあちゃんを愛しとる

んで」と公言して憚らず。

4人の子供たちはそれぞれに

優秀でその子供たちにも

恵まれた。

間違いなく夫婦で地上に

お浄土をうちたてたんだ、

お葬式の最中に思った。

晩年まで野菜をたくさん

上手に育てておられた。

野菜づくりはこまめでなくては

ならない。

私は玉ねぎを300本植えた

収獲はたったの30個(爆)

じゃがいもは大不作だった。

今年は全体的にこの2つは

不作らしいが母が作って

収穫を手伝った頃は

(もはや10年前だが)

苗を植えればイージーに育った。

収穫量はあの頃の50分の1。

葉っぱが黒くなって小さな

芋が土の上にころがっている。

芋掘りというより芋拾い(笑)

掌サイズのは植えたのではない。

昨年取り残された芋から

芽が出て育った。

売られている野菜見ると

上手に育ったな、凄いなと思う。

種を撒けば芽は出るけれど

そこから育てるには

知識と経験と手間が必要で

きゅうりとトマトは

出て来る芽をつまないと

茎自体がだめになる。

どこの芽を摘むかを

ユーチューブでちらっと見た

がよく分からない。

昨年はトマトの根元から

太い茎が何本も伸びて来て

育つに従って茎の途中から

また茎が出てきてトマトの

重みで茎がボキボキと折れた。

去年、叔母さんにそれを言うと

「芽をとるんよ」と教えて

もらった。

畠仕事は晴れても曇っていても

妙に暑い。

ダラダラの汗をかきながら

芽を摘むたびに

おばさんのことを思い出す。

「芽を摘むんだよね」と

ひとりごちる。

ああ、暑い。

ああ、面倒くさいと思った後で

「おばさんはそれでも

農業が大好きだった」と

今日も思うのだった。

叔母さんは孫の結婚式が

滞りなく終わるまで生きられた。

万事の都合が良いように、

タイミングをご自身で決めて

地上を離れて行かれた。

流されるように生まれ出て

流されるように去るのが常。

誰にでもできる生き様では

ないと改めて思う

心よりご冥福をお祈りします。

 


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