日本のうまい

『日本のうまい』は厳選された日本産の食材で作る調味料屋です。近未来、世界から注目を浴びる新しい日本の名物を目指します。

歴史は繰り返す…福島原発被害はまさに過去の『水俣病』

2012-09-04 14:26:03 | 裏側

前回のブログ "選択ミスれば、生き地獄!?" では水俣病の患者は未だに苦痛を強いられていると書きました。そして、実際に水俣病と闘って来た本物の医師が今年、他界しました。
今回は現在も続く、『水俣病の真実』をネット記事から引用してお届けします。

NEWSポストセブン より引用 :

水俣病研究の原田正純氏「うわー、よか先生」と慕われていた

2012.6.11、水俣病研究の原田正純氏が77才でその生涯を終えた。水俣病研究の第一人者として知られる原田さんは、常に患者の思いや立場を考え、裁判では国・企業を相手に真っ向から闘ってきた。
発生当初から水俣病の取材を続けてきた作家の石牟礼道子さん(85才)は、当時、水俣の漁村でよく原田さんの姿を見かけたという。

「先生が集団検診に水俣に来られたときに、子供たちと遊んでいる姿を見ました。検診の最中も白衣に子供たちがしがみついて、まるで猫の子が甘えて人間のそばに寄ってくるような感じ。“うわー、よか先生”と思いました」(石牟礼さん)

 原田さんはある日、漁村での診察を終えた帰り道で、水俣病の症状がみられる幼い兄弟に出会う。しかし、兄弟の母親と話していると、兄は水俣病だが、弟は違うと診断されたという。「上の子は魚を食べたが、下の子はお腹の中にいたので魚を食べていない」からだと。続けて、母親は原田さんに真剣な表情で訴えた。

「でも、下の子も本当は水俣病だと思う。お腹の中にいるとき、私がいっぱい魚を食べたからいけんのよ。胎内にいたこの子が水銀を吸い取った。だから私の症状は軽いとよ」

 毒物は胎盤を通らないという当時の医学の常識からいえば、母の話は笑い飛ばされてしまうような“素人の発想”。だが、原田さんの心の中で何かがひっかかった。

 周辺地域の患者たちをくまなく歩いて調べると、同じような症状の子供が多く生まれていた。全員の症状を細かく分析し、ある共通項を発見。そして、母親の魚介摂取でお腹の子供が発症する「胎児性水俣病」を世界で初めて発見し、1968年に論文を発表した。
 このとき、原田さんは28才。水俣病研究の新境地を切り開く“世紀の発見”だった。

「いちばんの専門家は、医者じゃなくて患者さんだよ」

以来、原田さんは折に触れてこう口にするようになったという。
「お金を渡して終わりじゃない」

 政府は68年に、ようやく水俣病を公害と認定した。その後、水俣病患者と支援者らが次々と裁判を起こし、有機水銀を水俣の海に垂れ流した熊本市内の化学工業会社「チッソ」は、被害者3000人に多額の補償金を支払うことになった。

 1973年の患者側勝訴によって世の中には、「水俣病の問題はもう終わった」という空気も流れたが、原田さんは闘いを続けた。水俣病患者の支援を通じて親交があった評論家の佐高信さん(67才)がいう。
「“お金を渡して終わりじゃないでしょう”、原田さんはそう繰り返し口にしていましたね。
 というのも、水俣病被害があった不知火海岸には当時約20万人の人が住んでいた。しかし、当初認定されたのは3000人だけ。“被害の全容も解明していないのに、何が解決だ”と。これから先、患者さんがどう生きるかの自立支援も不足していると嘆いていました」

そんな原田さんが私たちに向けた遺言は何か――

 原田さんが最晩年に心を痛めたのが、2011年3月に起きた福島第一原発事故だった。事故後、原発から海に垂れ流された放射性物質について、専門家たちは、「海の水で薄まるから、環境への影響は少ない」と口をそろえた。そんな学者たちの解説を知った原田さんは、「日本は歴史から何も学んでいないのか」とため息をついていたという。

 というのも、水俣では、海で薄められたはずの有機水銀が食物連鎖に従って高濃度に蓄積する「生物濃縮」が発生し、その魚介類を食べた住民に被害が続出したからだ。
 原発事故後の5月、原田さんは病身をおして新聞のインタビューに答え、日本社会に強く警鐘を鳴らしていた。

<水俣の苦い経験を、今度こそ、学んでほしい>(朝日新聞2011年5月25日付)
 国や大企業にもひるまない反骨の精神で「水俣病は終わっていない」との信念を貫いて生きた原田さん。遺骨は本人の強い希望で、水俣の海に散骨される。

:引用 終わり

権威あるエリート医師達が信じて疑う事の無かった『毒物は胎盤を通らないという当時の医学の常識』はいとも簡単に崩れてしまう机上の空論的な定説でした。

今、常識だと思われてる理論や定説は完璧ではないのです。

歴史的に名を残した原田さんは『郷に入れば郷に従い』直接、現状に触れ合う事によって医学の常識がズレている事に気づいたのではないでしょうか?

そして、もちろん原田さんの才能である "医師の勘" で真実を暴き、弱き者を救う本物の名医となった事は今でも語り継がれています。

皆さん、今一度、『水俣病』の歴史を思い起こして、今回の福島原発による放射線被爆を考えてみませんか?

今現在も『陸・海・空』すべての領域が汚染されています。ただ単に恐れるのでは無く、過去に学び、忌避行為も生きるための大切な知恵として学んでいきましょう。

そのためにも私は被爆の恐ろしさに気づいてもらい、被爆を回避するための知恵をこれからも書き綴っていきます。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。