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京橋

2007-03-11 21:33:57 | 江戸由縁東京旧聞
日本橋から京橋、芝にかけての道は江戸時代の主要道路です。
神田から芝に抜ける道を通町と呼び、言わば江戸のメーンストリー
トですね。中でも日本橋は大きな商家が多く裕福な商人の目立つと
ころでした。京橋は、逆に、職人や小規模な商人たちが多く、すこし
生活層が違っておりました。鞘や桶や竹職人、材木商などでそのま
ま町名として後々までこのあたりに残っていきます。

京橋には竹河岸があり名前だけは戦後まで残っていたと、あの辺
に住んでいた大正生まれの叔父さんが良く話していました。江戸時
代には房総あたりから竹が運ばれて来たのだとか。

炭町とか白魚河岸とかは、江戸から明治、大正と来て昭和まで
何とか存在しても、堀や川の埋め立てで様変りしちゃえば面影は
絵か写真でしか残りません。由緒ある町名くらいは残さなきゃ。
何でもかんでもお上の言うことに従ってちゃあね。江戸時代の方が
よっぽど住民パワーがあったような気がするけど。

このあたりはもともと海に近い城下町でした。従って船のための
水路や掘割が多く、その分橋の類も多いことになります。
楓川、京橋川、桜川、三十間堀, これらに架かる京橋、白魚橋、
弾正橋などがそうです。(弾正橋については後日取り上げてみま
す。)

このあたりの大鋸町、南鞘町、常盤町、因幡町、柳町、炭町などが
昭和に入り宝町として統合される。ところが今度は住居表示変更で
京橋に組み入れられることになり、宝町の名前は町名から消えてし
まう羽目に。 一説によれば、室町と読み間違えるためだとも言わ
れています。確かにくずして書かれたら判らないかも知れないね。

京橋はその名前からしても、京の都からの京の字を取ったものじ
ゃないでしょうかね。ちょうど室町がそうであるように。シンプル
だけど良い響きを持っていますよ。初めに日本橋と来て、次に京橋
と来る。響きが良いこと。どこか品の良さがある。

京橋は、日本橋と同様欄干に擬宝珠がついていた橋です。それだけ
格が高いということでしょうか。今でもこの擬宝珠、地下鉄京橋駅
を上がったところの高速下に記念としておいてあります。木造じゃ
ありませんけどね。昔テアトル東京があったビルの前あたりの植え
込みの中にあります。そういえば、ここでベンハーを見たんだっけ。



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