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時代の茶箱

2011-12-01 07:00:07 | その他
「東京市本所区」と来たよ。時代がかってます。
東京市なんてのは明治22年から昭和18年までで
35区ありました。当時ここは深川区です。


カミサンが大晦日に丸髷を地毛で結うってんでこちらも

和服を着なきゃまずいだろう、とちょっとばかり思案して

おりました。買うのも勿体無いし借りるのも嫌だし、どうした

ものかと悩んでいたところ、そうだ、階段下の空間を利用した

物置きの奥にしばらく開けていない茶箱が2つばかりある。

あの中に誂えた男物の和服がしまってあるはずだ、というのを

思い出して思い切って茶箱を引っ張り出してみました。


これがひとつめの茶箱。ナンだか大昔の子供の木乃伊でも
現れそうな雰囲気ですが、出て来たのは昭和34年の日付の
新聞でありました。


茶箱を出すには手前側にある山のようなガラクタを片付けな

ければならずまずこれで一苦労。

やっとの思いで出て来た何十年か振りの茶箱。

いやいや、懐かしい。


懐かしいね。白木屋デパート。28番の都電で「日本橋ィ~、
白木屋前で~す」なんて車掌の声を思い出す



蓋を開けると出て来たものは、亡くなった母親の着物が

どっさりと、羽織から始まり帯に長襦袢に雨コートと次から

次へと和服だらけ。全部広げたらひと部屋に一杯になりました。

よくもまあこんなに和服があるもんだ。

カミサンに似合いそうな羽織もありました。着られそうです。


今どきじゃ珍しい丸帯? 重たい。


肝心の男物も2着ばかり出て着ましたよ。ああ、良かった。

まだ良く見ていませんが、何故か帯だけ出て来ませんでした。

そういえば見覚えのある和服一式がありません。

帯も結構な値段ですが帯だけなら大した出費にならないで済みそう。


江戸褄ですね、どうも。


袴まで出て来たのにはビックリ。袴なんて誂えたのかな。

部屋の中は着物で溢れていて座る余地がありません。

中には仕付け糸がついたままの男物がありましたので

着なかったのかなあ。記憶にありません。羽織も出て来た

もののどこかに帯があったはずなんだけど見当たりません。

まあ何とか着物一式は買わないで済みそうですねえ。



ちょっと整理してからまた写真でも撮りましょう。どうにも

こうにもこう座敷が着物だらけじゃ動きが取れませんや。

不要な和服は和服専門の引き取り屋にでも持って行くか。


ついでにいろいろ要らないものを捨てたらポリ袋が6つも

出てしまった。さっぱりした。断・捨・離、断・捨・離!




しかし草臥れたな。





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2 コメント

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ありがとうございます。 (NN)
2011-12-04 11:17:26
今や茶箱すら珍しい時代になってしまいまし
たねえ。昔はどこの家庭にもあったものです。

季節が終るとその時の着物を仕舞い翌年に
なるとまた出してやがて来る新しい季節に
備えるというのは普通の家庭の出来事でした。

私の子供の頃は母親を始めとして回りにも
和服を着ていたひとはたくさんいましたし
洗い張りをして伸子張りをしている光景など
日常茶飯事でした。この竹ひごをそっと
持ってきては遊んだものです。もちろん
見つかると大目玉ですが。

子供でもお正月は和服を着て凧揚げをした
もので本来日本人の着物である和服を
着なくなるというのはちょっと淋しいものが
あります。ハレの日しか着ないのも何か
勿体無い気もするのです。


母親は昔のひとでしたから、どちらかという
と小柄ですが良い柄の着物をたくさん持って
いました。昔の柄の着物はなかなか味わいの
あるものですね。今ならこんな柄は着ない
だろうと思うけれども当時は洒落て斬新で
粋だったのかと想像します。また裏地に
結構良いものを使ってあります。見えない
ところに気を配るってところでしょうか。

日常的に着るものですから、今のように
ガチガチに着ることはなかったかと思います。
とは言うものの久しぶりに纏ってみると
やはりどこか畏まって固まってしまいそう
で疲れるかも知れません。

やはり帯は新たに買うようになりそうです。
黒系の長着と羽織ですので明るい色にしよう
かとも悩んでおります。まだ座敷に畳んだ
ままで、きちんと一度着てから足りないものを
補うつもりですが、手提げの袋物など小物類
も追加するとなると何だかんだと増えそうで
財布が心配です。物入りですねえ。

和モノは小物まで凝りだしたらキリがない
ですね。昔なら象牙なども使われていました
が今じゃご禁制になりました。

いつの世も南蛮渡来は貴重品です。

和服を着て、落語の若旦那じゃありませんが
商売を放ったらかしにして朝から芝居見物、
店へ戻ったら芝居好きの貞吉と一緒に二階
で芝居の真似事なんて、能天気なことでも
やって見たいものです。

はたまた上等な羽織でも着て猪牙舟で吉原
通い、かって知ったる土手八丁、なんて
気分で不夜城めぐり。花魁道中で心ここに
あらず、三日とあけずに入れあげて挙句
の果てはジャラジャラジャラと身請けの相談。

なんてことをやって見たいですねえ!

いけませんや、どうも。落語と芝居の世界
に入って行きそうで。
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茶箱ですか?お珍しい。 (光ちゃん)
2011-12-02 13:39:30
茶箱には驚きました。
以前には我が家にも茶箱が何箱かありましたが、母が指物大工さんをよんで、茶箱から本箱を沢山こさえて近所の子供に配ったのが最後の思いです。
昔の人はリサイクル好きでしたよね、偉いことです。
母もかなりの近年まで着物で過ごしていましたし、周りの人でもちょっと和服の人を見かけていましたが、今は少ないですね。この田舎町には粋筋の方々がいませんからねえ。
私なども結婚式とその後の二十年間のしかも正月にだけ羽織袴と着ていましたが、それ以外の普段に着る和装着は持っていません。
男性でも着物というと、それに併せて小物、下着履き物と取りそろえるものが多くて、しかも普段は使いませんものばかりで、噺家や芸人さんでないとそろえることが大変でしょうし、物入りですよね。
何より洋服と違って、所作や似合う似合わないが難しいですから、私にはちょっと不釣り合いでできませんね。
せめて煙草入れの根付けくらいは送って差し上げたい気分ですけれど・・・、気分だけで勘弁して下さい。

ああそうだ、茶箱ですけれど箱の“中村製茶”ってネットで見る限りは今ではありませんね。見つけた同名の“中村製茶”さんは屋号のロゴが違ってますし、場所も違うようでした。
この茶箱やお着物のたとう紙に描かれて「白木屋」や製茶屋さんの屋号のロゴマーク(昔はこんな言い方しませんでしたが)が大好きです。小さい頃からなぜか惹かれるものの一つでした。
いやあ、素晴らしいものをお持ちです。
それから“江戸褄”の柄も素晴らしい。少しお写真を拡大して拝見させていただきましたが、おめでたい柄で実に美しい。丸帯なども華麗で豪華ですね。別の桐の葉か何かの柄?のものは、これまた色合いが大胆で派手で素晴らしい。日本人のデザイン力は凄いものだと感心します。
これらのものをお召しになっていたお母様は、
とてもお美しく粋なお方でしたことと拝察します。
江戸を感じさせる粋なものを拝見して、目の保養をさせていただきました。
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