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新大橋

2007-06-08 07:13:15 | 江戸由縁東京旧聞
見出しの写真は万年橋側から見た夕方の新大橋です。
ちょっと遠いですけれどこういう感じに見えます、と雰囲気は出ている
とは思いますが。夕方の空が良い感じです。自ら夕陽ウオッチャーと
称するカミさんが撮りました。

独特のデザインで支柱のオレンジ色が遠くからでも良く目だちます。基本的に
縦のオレンジ色と横の白が目立つ橋です。


近くで見るとこんな感じです。船のマストみたい。

これはかつての橋のレリーフ、橋に埋め込まれています。


新大橋なんて言っていますけどちっとも「新」じゃありません。
この橋は大変歴史のある橋で、江戸時代に上流にあった両国橋を大橋と
呼んでいました。「江戸名所図会」には、「両国橋の旧名を大橋と云ふ。
故にその名によって新大橋と号けなるるとなり。」とあります。
その前の文章では、「両国橋より川下の方、浜町より深川六間堀へ架す。
長さ凡そ百八間あり。この橋は元禄6年癸酉、始めて是をかけ給ふ。」
とあり、元禄時代からある、ずいぶん古い「新」大橋だってことがわかり
ます。由緒がありますね。

永代橋が架けられるのはこれより5年後のことです。新大橋は架橋された
当時隅田川の最も下流に位置していた橋ということになり、深川方面に行き
来することがこれによって容易になり、交通の便が向上して人々に喜ばれた
のではないでしょうか。「江戸名所図会」には、先ほどの新大橋の紹介の後
に、「元禄五申年の冬深川大橋なかばかかりけるとき、初雪やかけかかりた
るはしのうえ  芭蕉  同じく橋成就せし時、ありがたやいただいて踏む
はしの霜  同 」と 芭蕉の句が続いております。

因みにこの後は、「三派(みつまた)」 と題し、 「新大橋の下分流の所を
云ふ。浅草川と箱崎の間の流との分れ流るる所なればなり。この所は月の
名所なり。云々。」と芸者を乗せた船が集まり賑やかである、等など、この辺り
の紹介が続きます。

前述の句には、新大橋の架け始めから工事終了まで目の前にし、完成を楽し
みにしていた芭蕉の気持ちが良く表れています。新大橋の架橋はやはり庶民
には嬉しかったものと見えます。芭蕉の句はそれを代表していますね。  

隅田川に架かる橋は今や15以上ありますが、新大橋は千住大橋、吾妻橋、
両国橋、永代橋とともに江戸時代からの由緒ある橋です。過去何回か架け替え
られておりますが、明治45年に現在の位置で鉄橋となり、そのアールヌーボ
ーデザインはかなり斬新でした。いまだにその一部は明治村に保存されてい
ます。

現在の橋は昭和53年の改架であります。この橋を江東区側から渡るとすぐに、
清洲橋通りと交差します。この浜町中の橋の交差点を右へ行くと明治座、左は
清洲橋。直進すれば左に箱崎ターミナル、ロイヤルパークホテル、水天宮、右に
は人形町、堀留と江戸時代の馴染みの町に入って行きます。大昔は芝居小屋
や旧吉原などがあったところです。ここまで来ると室町や日本橋も目の前。
水天宮の交差点をさらに直進すれば、蛎殻町に出て右へ行くと三越方面に出
ます。富沢町、小伝馬町、本石町と昔からの町名が多く残る地域です。

新大橋・清洲橋は江戸時代へのタイムスリップブリッジですねえ。
この近辺は江戸時代からの熱がまだ冷めずにひっそりと残っているのを感じま
すね。





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