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上之橋 - 仙台堀川

2007-06-09 16:31:28 | 江戸由縁東京旧聞
清洲橋と永代橋の間、深川側のほうの川に沿った道を佐賀町河岸通り
と言います。中央区側から清洲橋を渡れば右へ、永代橋を渡れば交番
のところを左へ曲がりすぐ佐賀町河岸通りです。

この道は商店街もなくやや寂しい道です。クルマの通りもあまり激し
くありません。左側はすぐ隅田川ですから遊歩道テラスの川っぷちを
歩いたほうが景色が楽しめて良いかも知れません。

大昔の通学の時には、佐賀町河岸通りなんて呼んでいたかな、って思い
ますが、良く歩いていた割りには記憶がありません。

ほぼ中間に高速道路がかかっていて、この橋の名前は隅田川大橋とい
い箱崎に抜けます。この橋はクルマのために架けたようなもので、ただ
交通の便のためにのみ造られたような感じがして、あまり文化的には興
味のない橋です。まあ、永代橋と清洲橋の間にある橋という印象です。
便利にはなりましたが昔はこの橋はありませんでした。

この橋の下を通り抜けまっすぐ行きます。と、まもなく右に仙台堀川が
見えて来ます。右、というのは永代橋側から行って、ということです。
つまり清洲橋から来れば当然左側です。川が見える、と言っても、もと
もとそんなに大きな川ではないので、そう言われないと分かりません。
地図的に言えば小名木川の一本南に位置している川です。

この川はかつては隅田川に繋がっていたのですが、隅田川に繋がるこ
の道のところだけが今は埋められて水門と連なっています。かつてこ
の下は仙台堀川が流れていたのでした。もちろん今でも途中まで流れ
てはいますが隅田川には直結しておりません。

しかしこの道に架かっていたかつての橋の橋柱は残されております。
うっかりしていると通り過ぎて見落としてしまいそう。

見出しの写真がそうです。普通の道ですからぼーとして歩いていると
見落としちゃいます。背景右手に清洲橋が見えますが。

上之橋、と言います。ということは下之橋もあったわけです。中之橋と
いうのもこの辺にありました。三つの橋は、埋め立てによりもう存在し
ません。しかし有り難いことに、その中でもこの上之橋だけは親柱がい
まだに4基残されております。かつては油堀という名称もあったのです
が埋められて道路に変ってしまい、橋も無くなって記憶から消えていき
ます。

この辺は昭和の初めあたりに著名な作家達が歩いてその感想を今に
残しています。代表的なところではまず永井荷風でしょう。

彼は中央区の中洲のあたりに馴染みの医者がいましたから、よくそこへ
通って来ていました。あのころはまだ中州ですから、現在の箱崎インタ
ーあたりには土州橋があり、そのついでに隅田川を越え足を延ばして深
川あたりを散策しています。江戸を懐古しながら変わりつつある東京に
苦虫をつぶしながらも杖を引きずり歩いている様子が目に浮かびます。

また泉鏡花やら芥川竜之介あたりも意外に散策記を残していてそこから
古い東京を感じることができます。吉井勇あたりも古い東京を描いてお
ります。意外なところでは、若き日の伊藤左千夫も錦糸町あたりで牛乳
搾取業を営んでいます、要するに牧場の牛乳屋さんですね。正岡子規
に出会う前のまだ20才代のことでした。文豪谷崎潤一郎も蛎殻町の生
まれ。佐賀町あたりは彼の小説に出てきます。

この仙台堀川に沿って右へ曲がります。そうすると仙台堀川の清澄の排
水場の設備がすぐ目に入ります。ここから先は普通の川になっておりま
す。何故ここに排水場があるのか良く判りません。ひょっとすると地下
でどこかに繋がっているのかも。今度聞いときます。そう言えば変だ。

このまままっすぐ行くと、まもなく左手に清澄公園のこんもりとした茂みが
見え深川図書館が目の前。公園と道路ひとつ隔てて斜め左向こう側に
名園として名高い清澄庭園の林が壁越しに見えて来ます。ここは有料です。

紀伊国屋文左衛門、岩崎弥太郎と所有者が変わり今は公共の所有であり
ます。奇岩巨岩を配し池や散歩道を持つ、大きな庭園ですがダイナミック
です。コマゴマと手入れをしてある繊細な庭先の庭園というイメージでは
ないですね。でものんびり池の周りを見て回るのには良いかも知れません。
個人でこのくらいの大きさの庭園を持ってみたいもんです。手入れ代やら
固定資産税なんかすぐ心配しちゃうは、貧乏人は。はは。

今は許されないでしょうが、子供時代に裏からそっと中に入り玉網をもって
トンボやら池の鯉やらを取りに行ったもんでした。それもすばやくやらないと
すぐに見つかって怒られるので、いつもヒヤヒヤしながら忍び込んだもんで
す。トンボや野鳥や魚がいっぱいいて子供のあこがれの世界がありました。
木の壁なんてね、今や何処行ってもないね。見た目には分からないけど、仕
掛けをしてクルンって回るようにしといたもんです。それでさっと忍び込めた。

公園が終わりまもなく清澄通りに出ます。渡った斜め前が江東区の老人福祉
センターですが元は深川警察署でした。ここのところにあるのが下の写真です。



滝沢馬琴誕生の地、平野町に入ります。ここは実にお寺の多いところです。
あっち向いてもこっち向いてもお寺だらけ。生まれてこのかた、この近くに
住んでいても、こんなにいっぱいお寺があったっけ、と思うほどです。

多い、って言えば、この清澄通りの交差点の角に、伊勢屋って甘味処があり
ます。江戸に多いものは、「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」ってくらいで
すから、この角に伊勢屋があっても不思議じゃあないのだけど。個人的には、
スアマが好きですねえ。餡子モンよりゃいいかなあ。あ~、ちょいと疲れた。
お茶にしよ。濃いやつがァいいな。煮花に赤のスアマで。ねえ、色合いが良い
やね。どっこいしょ、と。今日はここまでです。LET'S CALL IT A DAY !





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