1月16日は薮入りです。
平成生まれの方々がもうバリバリ働いているんですねえ。
この間まで昭和だったのに気がつけばもう平成も24年。
早いひとは結婚して子供がいる年代ですよ。
子供も平成、孫も平成生まれじゃ昭和も遠く感じるわけです。
さて、薮入りですが平成生まれのひとにはちょっと何のこと
だか判らないかも知れません。
そもそも昔、商家に住み込みで働いていた丁稚や小僧さんが
お店から休みを頂き、お仕着せの着物やお小遣いをもらって
実家へ帰るというのを薮入りといい、正月と7月、半年に一回
ありました。正月では16日がその日にあたります。
明治生まれの父親の言っていたのは、実家が遠い小僧さん達は
親元へ帰らずに、浅草あたりで映画や芝居を見て美味しいものを
食べて一日を過すひとが多かったのだとか。無論戦前の話です
けども戦後もこういう傾向は残っていたそうです。
薮入りの時期には、縞の着物に鳥打帽子を被っている小僧さん
たちが多かったそうで定番スタイルなんでしょうか。
もっとも僕なんかは鳥打帽子というと大昔の刑事のスタイル
などをイメージしてしまいます。片岡知恵蔵なんかも映画で
鳥打帽子を被っていたような記憶があります。探偵役とかね。
知恵蔵はちょっと古いか!
このひとです↓
明治あたりからこっちは帽子は市民の服装必須アイテムで
帽子の形は中折れやらパナマやら様々あれど、和服洋服に
関わらずほとんどのひとが外出するときには被っていたと
あります。昔の写真なんか見ても帽子を被っているひとは
たしかに多いですね。その中でも鳥打帽子はあらゆる階級に
使用されたとあります。現代は一番帽子を被らない時代か
も知れません。
僕は釣りに行く時に必ずキャップを被りますので、ついついそ
のまま普段でも被るようになりました。ヘアスタイルは元々ショ
ートカットが好きでアメリカ海兵隊の髪の毛の短さです。尤も
この頃は年齢からか大分薄くなってきましたから短いと目立た
なくて良いのですが、すぐ法界坊みたいになっちゃうので頻繁に
床屋さんに行かないといけませんから散髪代がかさみます。
さらに髪の毛が短いと冬場は頭が寒いので帽子は必需品です。
従って真冬は通常のキャップより暖かい鳥打帽子を被って
いますが、2日と3日に着物を着たときはマフラーに鳥打を
被っていました。「なんだか薮入りのスタイルだな~」なんて
思いましたけど。こんな風に思うこと自体がトシかもね。
落語でも「薮入り」というのがあります。三年ぶりに実家へ
戻ってきた子供に会えた親は食べ物を用意して子供を湯に
やりますが、身分不相応な15円の金を持参して来たため子供
を疑い怒り出してしまいます。泣く子供がいうには、ネズミを
捕らえては報奨金をもらいそれを一生懸命貯めたのだ、と。
親は子供を疑ったことを詫びるのでありますが、薮入りに
関わる親が子を思う人情話というところでしょう。
年齢でいえば小学校高学年で年季奉公に出てこき使われて
のやっとの薮入り休暇。親にして見れば心配でしようがない
子が家に帰って来る日ですから、久しぶりに我が子の顔を
見るのを楽しみにしているわけです。可愛い子には旅をさせよ、
なんて言いますが、親の気持ちが良くでた落語で三代目の
三遊亭金馬の得意な噺でした。
余談ですが、この金馬師匠は釣りが好きである時千葉に釣りに
行った際に鉄橋を歩いていて列車に跳ねられてしまいました。
命拾いはしたものの正座が出来なくなり、その後は講釈師が使う
見台を使用するようになりました。
昭和29年のことで新聞で報道されたのを覚えています。
薮入りから話しが逸れてしまいました、
「かくばかり 偽り多き世の中に 子のかわいさは誠なりけり」
平成生まれの方々がもうバリバリ働いているんですねえ。
この間まで昭和だったのに気がつけばもう平成も24年。
早いひとは結婚して子供がいる年代ですよ。
子供も平成、孫も平成生まれじゃ昭和も遠く感じるわけです。
さて、薮入りですが平成生まれのひとにはちょっと何のこと
だか判らないかも知れません。
そもそも昔、商家に住み込みで働いていた丁稚や小僧さんが
お店から休みを頂き、お仕着せの着物やお小遣いをもらって
実家へ帰るというのを薮入りといい、正月と7月、半年に一回
ありました。正月では16日がその日にあたります。
明治生まれの父親の言っていたのは、実家が遠い小僧さん達は
親元へ帰らずに、浅草あたりで映画や芝居を見て美味しいものを
食べて一日を過すひとが多かったのだとか。無論戦前の話です
けども戦後もこういう傾向は残っていたそうです。
薮入りの時期には、縞の着物に鳥打帽子を被っている小僧さん
たちが多かったそうで定番スタイルなんでしょうか。
もっとも僕なんかは鳥打帽子というと大昔の刑事のスタイル
などをイメージしてしまいます。片岡知恵蔵なんかも映画で
鳥打帽子を被っていたような記憶があります。探偵役とかね。
知恵蔵はちょっと古いか!
このひとです↓
明治あたりからこっちは帽子は市民の服装必須アイテムで
帽子の形は中折れやらパナマやら様々あれど、和服洋服に
関わらずほとんどのひとが外出するときには被っていたと
あります。昔の写真なんか見ても帽子を被っているひとは
たしかに多いですね。その中でも鳥打帽子はあらゆる階級に
使用されたとあります。現代は一番帽子を被らない時代か
も知れません。
僕は釣りに行く時に必ずキャップを被りますので、ついついそ
のまま普段でも被るようになりました。ヘアスタイルは元々ショ
ートカットが好きでアメリカ海兵隊の髪の毛の短さです。尤も
この頃は年齢からか大分薄くなってきましたから短いと目立た
なくて良いのですが、すぐ法界坊みたいになっちゃうので頻繁に
床屋さんに行かないといけませんから散髪代がかさみます。
さらに髪の毛が短いと冬場は頭が寒いので帽子は必需品です。
従って真冬は通常のキャップより暖かい鳥打帽子を被って
いますが、2日と3日に着物を着たときはマフラーに鳥打を
被っていました。「なんだか薮入りのスタイルだな~」なんて
思いましたけど。こんな風に思うこと自体がトシかもね。
落語でも「薮入り」というのがあります。三年ぶりに実家へ
戻ってきた子供に会えた親は食べ物を用意して子供を湯に
やりますが、身分不相応な15円の金を持参して来たため子供
を疑い怒り出してしまいます。泣く子供がいうには、ネズミを
捕らえては報奨金をもらいそれを一生懸命貯めたのだ、と。
親は子供を疑ったことを詫びるのでありますが、薮入りに
関わる親が子を思う人情話というところでしょう。
年齢でいえば小学校高学年で年季奉公に出てこき使われて
のやっとの薮入り休暇。親にして見れば心配でしようがない
子が家に帰って来る日ですから、久しぶりに我が子の顔を
見るのを楽しみにしているわけです。可愛い子には旅をさせよ、
なんて言いますが、親の気持ちが良くでた落語で三代目の
三遊亭金馬の得意な噺でした。
余談ですが、この金馬師匠は釣りが好きである時千葉に釣りに
行った際に鉄橋を歩いていて列車に跳ねられてしまいました。
命拾いはしたものの正座が出来なくなり、その後は講釈師が使う
見台を使用するようになりました。
昭和29年のことで新聞で報道されたのを覚えています。
薮入りから話しが逸れてしまいました、
「かくばかり 偽り多き世の中に 子のかわいさは誠なりけり」
人組の当代はちょっと。
歯切れが良くて明瞭。何より話がわかり易い
し間が良いです。トントンと話が進み聞きや
すいですね。三代目の金馬は名人と言っても
良いんじゃないですかね、落語を大衆に広め
た功績も大きいです。
若い時に吉原通いなんかもしていてベタつく
話もサラッとやっちゃう。
尤も金馬師匠の頃はまだ合法でした。
「居残り佐平次」みたいなこともやったみた
いです。講釈師上がりだから口跡も良いし、
第一にあの顔を見てるだけでもう可笑しいで
すね。
あの風貌ですからね。これで可笑しくない
わけがない。
「高田馬場」は最近どなたか演じているんで
しょうか?
この話のサゲは何か「猫の皿」と共通してい
る感じもありますねえ。
「孝行糖」も面白い話です。人気役者の名前
の後に「飴」の字をつけて「~飴」とやるの
は昔からあります。現在の関西歌舞伎の坂田
藤十郎がかつて扇雀を名乗っていたときに
「扇雀飴」を売り出したことがありました。
テレビでもCMで見たものですが近頃はトンと
見ません。平らな丸い缶に入っていた記憶が
あります。「ノーベル賞飴」なんてのも
ありましたね、今じゃ考えられないネーミン
グです。時代まで呑気なものでした。
僕も「林家」は彦六までの正蔵止まりです。
これからこっちはあんまりどうも面白くない
んです。何かオーソドックスじゃ無くなっち
ゃった。
落語家さん同士でも相性とか反りの合わない
ひととかあるでしょうから、そうなるともう
こりゃ始末が悪い。仲良くやりゃ良さそうな
もんですけどねえ。
ある楽屋で師匠連中が話しをしていたんだ。
そこへ金馬師匠が入って来たんだ。
すると皆静かになっちゃう。で、着替えて
金馬師匠が「じゃ、お先に」とか言って高座
へ上がると途端にまた賑やかになっちゃう。
金馬師匠は知識が豊富で薀蓄がたくさんある
んだ。で、この薀蓄を聞かされるのが嫌や
らしいんだな、どうも。師匠たちは。だから
って邪険にするわけにはいかない。それでつ
い黙っちゃうんだ。ツー。ンー。金馬ワール
ドっつかね。
ま、金馬の世界なんだな。存在感あったね。
プライドもね。
何処だったか(多分イイノホール)談志が
マクラに振っておりました。
そうそう。「ハンチング」ってのが良いで
すね。これは「ハンティング」じゃいけま
せん。何だか別のモノになっちゃう。
昔は「ベレー」を被っている方も多くいらっ
しゃいましたが、この頃はとんと見かけな
くなっちゃいました。アメリカの映画なんか
で良く軍関係の特殊部隊の連中がこの「ベ
レー」みたいのを被っていますが、何で彼
らはああ絵になるんでしょう。格好良い
なあ、サマになっていて。なんて憧れますよ。
当代の金馬さんも悪くはないが、やはり金馬と言えば三代目ですよね。代表的な『目黒のさんま』『居酒屋』『孝行糖』などは凄く好きですし、わけて『高田馬場』などのがまの油売りの口上はたまりません。講演をされるお姿を見たことはないので想像だけではありますが、あの禿げた頭と出っ歯で、お姫様や、老女、馬鹿な殿様などどのように演じておられたのか考えるだけで可笑しくて、三日にあげず聴いております。
あまりお好みではないのですが林家三平さんのカミさん(海老名香葉子)を、釣りがご縁で養女にして三平さんに娶せられたのも金馬さんだそうですね。
彦六さんの林家正蔵までは大好きですが、その後の林家一門はつまらない。好みなのでしょうけれど・・・。
ああ、そうだ「藪入り」からそれてしまった。
個人的話題で恐縮ですが、わたしの小さい時分にもそれらしいものはありました。丁稚奉公などという言葉はもうあまり聞かれなくなっていましたが、労働形態はそんな不自由なものだったようでした。
うちにも番頭さんだとか女中さんと呼ばれるお人がいましたし、そのお方とずいぶん後年にお話をすることがありまして「あの頃のことは“坊っちゃん”はご存じないでしょうけれど」とことわって、労働条件が悪かったこと、こき使われたことなどを打ち明けられましたね。「藪入り(らしきもの)」が待ち遠しかったとか、月一休みがあれば良い方だったこととか、お話を伺って身が縮むほど厳しい思いをしたものです。田舎だったからでしょうかねえ。
そもそものテーマは「鳥打ち帽子」でしたか?
わたしは頭がでかいし、髪が硬く多いので帽子がかぶるのが苦手で似合いませんので、学生帽すらあまりかぶりませんでした。親父は商売人でよくかぶっていたようです。
ところで「鳥打ち帽子」って、片仮名で「ハンチング」と言っていたようですが、ここが英語風に「ハンティング」とならないところが和風で好きな響きです。
和服に鳥打ち帽をおかぶりになった姿が、とてもお似合いでちょっとノスタルジックなよき時代を感じさせます。