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大雲寺の池

2005-03-28 17:10:01 | 釣り
 都内江戸川区の瑞江の近くに大雲寺という名前の寺があります。
かつてこの寺の裏手には大きな池がありました。釣りをするひと
たちの間では大雲寺の池と呼ばれていて、休日ともなると子供や
大人が釣りに来て賑やかでした。

寺の中を抜けてちょいとばかり低い土手を降りると、すぐに視界
が広がり大きな池が目の前に開けていたのです。
足場が悪く釣り座を確保するのに、長靴の中に水が入らないよう
にするのに苦労したものです。池の反対側は足場が見つからない
ため。誰もいない池の向こう側に行って釣りをしたい、と思えど
も回り込む道筋がないため長四角形の池の二辺でのみしか釣りが
できませんでした。
そのため少しでも足場の良い場所を確保するために、朝一番で駆
けつけたものでした。

当時私は高校生で深川の自宅を朝4時頃に出て、自転車に釣り道具
をくくり付けて大雲寺の池まで来ていたのです。
大雲寺は今井橋に近く、今井橋を目指して出かけたものですが、
現在の今井橋はちょっと位置が違うような気がします。架け替えで
もしたのでしょうか。

橋の近くにはバスのターミナルがありました。かつてはトロリー
バスだったような記憶があります。このすぐ近くに東條釣具店が
あり、当時このあたりの相之川、欠真間、行徳といったあたりは
野池やら川が多く、フナや鯉、セイゴ、フッコなど良く釣れてい
てその釣り情報を提供してくれていたのです。新聞の釣り情報欄
などにも東條釣具店は記事を出されていました。
その東條釣具店は今でもあるはずです。
 
大雲寺には、いかにも古そうな、しかし立派な門がりありました。
自転車でそこを通るときには、早く池に行きたいという気落ちを
抑えながらも、何か歴史の重さを感じざるを得ませんでした。
その門を見上げるとそういう気持ちになったことを良く覚えてい
ます、何か不思議な門でした。
地下鉄東西線の開通する前のことですから、昭和30年代の終わ
りのことです。今から思うとずいぶん前のことですねえ。
 
この大雲寺の池にはタナゴがいっぱいいました。その他にも大き
なレン魚や1メートルはあろうかという鯉が時折跳ねていました。
へら鮒はあまりいませんでしたが、たまに釣れるのでフラシを降
ろしておくとそこへタナゴが集まることがありました。綺麗な魚
でキラッキラッと光り観賞用には持って来いです。当時タナゴは
珍しいものではありませんでしたから、何とも思いませんでした
が今となってはタナゴ釣りは難しいでしょう。
道具も竿も漆で塗られ江戸時代からの高級品ですが、釣る相手が
いなくてどうしようもありません。(土浦のドックはタナゴ釣り
場で有名だったのだけど。。)
 
ある時レン魚の入れ食いになって困ったことがあります。もうす
でにグラスロッドでしたので竿の腰が抜ける心配はなかったので
すが、へら釣りをしていてレン魚の入れ食いは嬉しいものではあ
りません。
 
先日大雲寺がテレビに出て来ました。何でもこの寺は昔から歌舞
伎役者との縁があり、別名役者寺というほどの古刹なのだとか。
高名な歌舞伎役者の墓が現存しているのだそうです。現存という
のも可笑しな言い方ですが、それほど由緒のある寺だったとはつ
いぞ存じ上げませんでした。
この地に移って来たのは昭和に入ってすぐで、それまでは押上
あたりにあったらしい。ともあれ江戸時代からの由緒ある名刹で
歌舞伎との縁が深いのはその頃かららしい。

テレビを見ながら非常に懐かしく、青春時代のまだ時間のゆっ
くり流れるノンビリしたひとコマを思い出しました。
貴重な思い出のある大雲寺の池でした。

もう大きな池のあったことなぞ覚えているひとのほうが少ない
かもしれませんね。

(注)「武江年表」によると、宝暦13年(1763年)に、
「3月9日より押上大雲寺観世音開帳」と記されている。
この時代にはすでに大雲寺は押上にあったものと思われます。
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