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セドリックバン

2011-12-10 08:32:16 | その他
茶箱から出て来た新聞の宣伝。何と懐かしいセドリック。当時735,000円ですぞ。
大卒の初任給が2万円くらいの頃だったかな。


こないだの日曜に物置きから茶箱を出しました。

奥のほうに2つばかり放り込んでおいたのですが何十年も放置しっ放し

で中身も忘れかけて来ました。だけど男物の和服をしまった記憶だけは

ありました。


この年末は和服でも久しぶりに着てみようかと思ったので、こういう

ことでもないと面倒でもう茶箱を開ける理由が見つかりません。

それで物置の掃除がてら茶箱のご開帳とあいなったのでした。

ところがこれがちょいと大変な労働で腰が痛くなった。片付けと掃除は

疲れる。中腰作業が堪えるのであります。


茶箱の中身の多くは圧倒的に和服でした。主に母親のものだが僅かだが

男物もあった。茶箱を引っ張り出した目的はこの男物の和服の存在の確認

でしたが、残念なことにかつてのお気に入りの和服一式はありませんでした。

すでに処分してしまったのかも知れない。ともあれ着られるのであればこの

際和服なら何でも良い。男物が出て来ただけでも有り難い。

ざっと見たところ虫も喰ってないのでなんとか着られそうですがウールっぽい。

セルかな。



茶箱の中から新聞が出て来た。何と昭和34年と39年の産経新聞だ。

今の家に建て替える何十年も前からこの茶箱に入っていたことになる。


銀座の老舗ウルワシの女性求人募集広告。「君もウルワシか、
僕もウルワシだ」っていうキャッチフレーズがあった。
昔はOLのことをBGと言っていました。ビジネスガールの略。日本語英語です。
ひでえもんだ。

写真に「2010」なんて打ち込むようじゃボケ始めだね。「2011」の間違い!


現代の太陽の光を浴びた途端に字でも消えて行くかと思ったが、

それほど神秘的ではなかった。まあ、それでも昭和34年じゃ充分

時代がかっている。茶箱なんざ昭和18年だから戦時中だ。

良い時代のモノですね。この茶箱自体がお宝になる時代かも。


女物の和服ってもピンからキリまでみんな茶箱に収められていた。

昔なら日本橋の富沢町か神田川沿いの柳原土手あたりの古着屋に

でも持ち込むってところだろう。富沢町は今の馬喰町あたりで今でも

繊維問屋が多くある。タオルなんかを扱う商店も多い。


最近じゃ和服のリサイクルがまた復活して来たらしい。浅草あたりでも

中古和服の店が結構あるしネットでも新中古の和服が売られている。

昔なら呉服屋の売れ残りが払物として値段を落として売られていたもの

だけどね。払物、ワケあり、傷物。良く見なきゃ判らないなら安いほう

が良いさ。リサイクルは昔のほうが上手で情がある。和服なんか特に

バラバラにすれば何にでも作り直せる。


そう言や「呉服」ってのも日常であまり聞かなくなってきた。そのうち

「洗張」を「せんちょう」なんて読むんじゃなかろうか。昔ならその辺で

いくらでも見られた光景だけどねえ。

昭和の時代を感じるな。




帯でも見に浅草でも行って来るか。行けば買っちゃいそ。また出費か!

フライロッドが一本買えるのにな。死んだ父親も同じことを言うかも

知れない。青ギスかへら竿の良いのが買えるのに、って。親子だから

考えることは一緒だ。もっとも明治生まれだったから帯なんざ良いのを

しこたま持っていたかもしれないけど・・・

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4 コメント

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懐かしいなあ、本当に。 (光ちゃん)
2011-12-16 16:37:08
車好きにとってはやはり懐かしくて、コメントを差し上げたい新聞広告です。
1960年に発表されたセドリックは、親父に連れられて見に行きましたね。父親が観音開きのクラウンに乗っていたので、招待状をいただいたらしく、偉そうに出かけていったのを覚えています。
当時高級車でしたので、今でいう車の営業マンさんに子供ながら下にも置かぬ持てなしをされて、気分良くいろんな土産をいただいた記憶があります。私が車を見に行った初めての思い出ですから懐かしい。
多分このお写真は初代30型系の後期モデルですね。バンなんていかにも商用車的名前ですが、現在だとステーションワゴンとでも言うのでしょう。

6日から東京モーターショーに4日間くらい潜り込んでいまして、それから千葉の美術館を巡って12日帰ってきました。
今回から東京ビッグサイトだったので、美術館巡りは元の幕張の方が都合が良かった気がしました。なかでも『ホキ美術館』は気に入ってしまいました。
返信する
本当に懐かしいですねえ (NN)
2011-12-17 15:36:34
観音開きのクラウンも懐かしいですね。
良く見かけたものです。当時の高級車ですね。
セドリックはよく覚えていますよ。何かデザ
インがすごく新鮮で、ええなーこのクルマ!
なんてショックを感じたものです。

60年代半ばは自動三輪か軽自動車に乗って
いたかも知れません。はじめはミゼットで
あとでスバルのビートルタイプ、自動三輪は
始めはバーハンドルで方向指示器はベローン
と出るタイプ、クロガネでしたかね。
モータリゼーションなんて洒落た言葉なんて
ない時代でしたね。軽も三輪車があった頃
でした。ユーターンし損ねるとひっくり返る
んですよ。これが。空冷でね。まあ二人も
いればヨイショって起こせました。

ホキ美術館、HPを拝見しました。
良い美術館ですねえ。良いご訪問をなされ
ました。今度機会があったら行ってみようと
考えております。ご紹介有難うございました。
返信する
「60年代半ば」って?? (光ちゃん)
2011-12-19 20:37:26
“60年代半ばは自動三輪か軽自動車に乗って
いたかも”・・・うううう~ん?
もしかしたら私は勘違いをしていたのかも知れませんが、私より若干お兄様でいらっしゃるのでしょうかねえ。
全く欠礼をしてしまったようです。礼儀もわきまえず、言葉遣いまで生意気で・・・。
というのが、私は68年に免許証いただきましたので、60年代半ばにはまだ車には乗れませんでした。
こちらに書かれた車は懐かしく、凄くカワイイ車たちでしたね。ビートル型のスバル360は、前開きのドアでしたね。バーハンドルのことをつのハンドルとも言っていましたが、これは田舎だけのことだったですか?
それにしても時代が共有できるっていいですよね。
私は69年に最初の買って貰った車がスプリンターで、それも学生だったので地元に帰った時にのみ乗れるというほとんど車庫入りの愛車でした。
私は50歳手前で会社を辞めてしまって、田舎に引きこもり、一年ちょっと前に完全に仕事を辞めたものですから、何となく老成してしまったのか申し訳ありませんでした。
でも多分これからも変わらないですけれどお許しを。

で、「ホキ美術館」、HPをご覧になったそうですけれど良かったでしょう。建物もユニークでしたし、展示物が写実と限定されていて感激でした。
他にも浅井愼平さんの「海岸美術館」なども素敵でした。房総半島は結構いろんな美術館があって文化的なところでした。
最後に学生時代のバイト先で、この浅井愼平さんや、伊丹十三さん、野坂昭如さまといろんな方をお見かけしたので、この美術館は思い出がよみがえって来て、少し涙目に。
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いえいえ (NN)
2011-12-22 21:03:07
ほとんど同じ世代じゃないでしょうか。
いつくで自動車免許を取ったっかなんて
たいした問題じゃないですよ。ねえ。

それより仰るとおり時代の感覚をシャア
出来るほうのがずっと嬉しいです。

今じゃ良く見ると周りは同い年か或いは
年下でちょっと意外ですね。まあそういう
年齢になったってことですけど・・・

あの頃はマツダの軽の水冷キャロルに憧れて
いましたが、その後間もなくホンダのN3が
出てあのキュイーンって音に惚れ込んで
いた頃です。

その後今じゃ室町の某有名眼鏡店の親父に
収まっている同級生がイスズのベレGに
乗っていて随分助手席に乗せて貰ったもの
です。マージャンばかりやってました。

美術館巡りは僕も大好きで大昔にパリに
行った頃毎日美術館に通っていたのを
思い出しました。

懐かしい思い出です。
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