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九州の旅ー黒川温泉と阿蘇と熊本城 その四

2008-09-23 21:36:05 | 旅行
からりと晴れた9日の火曜日。7時45分頃ホテルで
朝食。今日は東京へ戻る日。さっさと支度を済まし
熊本城へ。

ホテル前の祇園橋から健軍町行きの市電に乗り
熊本城前で下車。9時25分に熊本城着。

この城は戦国時代の名将加藤清正が築城したのは
今更言うまでもないが、加藤清正は築城の名手で
この城のみならず他の幾多の城も手がけている。
豊臣秀吉の命を受け朝鮮出征の際、現地でも築城を
していて今なおその石垣の跡が見られると聞く。



二度に亘る朝鮮出兵で、清正を始めとする各国の武将
たちは痛手を受けて帰国したが、秀吉の力は既にこれ
なく、徳川家康による支配が始まろうとしていた。

出征軍の多くは石田三成と与せず、清正も関が原の
戦いで家康側につきその後の論功行賞では54万石
を与えられている。家康死後、家光の時代になると
公家諸法度、武家諸法度、江戸勤め、いわゆる参勤
交代の制度が続々と行われて諸藩の武将たちの力は
衰えて行く。

清正は病死をしてすでにこの世になかったが、その子
の忠広の代に徳川幕府によって改易を命じられる。

家康を支えてきた加藤家も例外ではなく、幕府によって
力をそがれてしまったのだ。後に国入りした細川藩は
加藤家の気持ちを察し敬意を払っての城入りであった
という。










武家社会の決まりごととは言え、もはや大きな戦もない
時代での改易は、豊臣、徳川と尽くしてきた加藤家に
とってはあまりにも冷たい仕打ちとしか受け取れなかった
のではないだろうか。地下で眠る清正公はこの改易を
なんと受け取ったのだろう。

前書きが長くなってしまったが、この大きな城を見上げ
ながらそう考えた。大きな城は武将の力の象徴であり
心の拠り所でもある。従ってこの城には清正の城に対する
考え方が処々に伺われる。

築城というものはそういうものなのだろう。戦国の世の中
では攻め落とされない城こそ名城なのだ。攻め手としては
篭城されては、火も放つことも出来ず水攻めも出来ずただ
見ているだけでどうしようもない。食糧がつきて引き下が
るしかないのである。攻めあぐんでしまうのだ。火にも
水にも強く半年や一年篭城のできる蓄えのある城は易々と
陥落することがない。

まさしく難攻不落の名城である。





良い天気で暑い。城見学も楽でない。内部の階段が急勾配で
汗をかいた。

お昼にホテルにもどり昼食。少し休憩。

バスで熊本空港へ行く。13時48分発。空港着14時40分。
ANA644便。15時45分発羽田行きに乗る。
空港でお土産モノを少々購入。朝鮮飴という求肥のような柔ら
かい飴を買う。ボンタン飴のようだ。

もう暗くなりはじめた羽田に着いたのは17時25分だった。

今回の旅もこれにて終わりです。




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2 コメント

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ご堪能なさいましたでしょう。 (光ちゃん)
2008-09-24 19:21:28
九州も良いところでしょう。
熊本、阿蘇と回られると、意外な大きさと広さ、そしてのどやかな風土を感じます。
都会とは違うゆったりとした旅を満喫されて、十分な保養と英気を養って都会へお戻りでしょう。

たまに日常と違う世界へはいるのも有意義なものですよね。
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遊び過ぎました! (nnakazawa)
2008-09-24 21:28:59
久しぶりの九州でした。

雄大さを改めて認識して参りました。
時間の流れものんびりとしていて
また人間も親切で、良いところですね。

風土の違い、文化の違いを感じますが、
(もちろん、良い意味でです)忙しい
生活を余儀なくされる都会の生活からは
想像できないゆったりさを味わって
来ました。

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