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遥かなる釣りへの想いー21

2011-06-05 13:17:02 | 釣り

写真はコキガエル、もともとはプエルトリコにしかいなかったが、ハワイ島に

持ち込まれて、夜になるとコキーッ、コキーッと鳥が鳴くようなうるさい声で鳴くので

社会的な問題になっている。 カエルで思い出した。

  

前回懐かしいプラマーズフロッグのことを書いたので、ついでにもう少し

彼の名誉のために書き足しておきたい。

 

そもそもこのあまりにも有名なプラマーズフロッグの原点は日本にある。

1957年のことだった。バス釣りが大好きで何年か前にフックのパテントまで

持っていたビル・プラマーは当時マサチューセッツに住んでいたが、彼の5才

になる娘のべスが歯医者に行くのに泣かない約束をして、カエルのオモチャを

手に入れた。昔良く見かけたポンプ式で空気を送るとピョンピョン羽跳ねる例の

ゴム製のカエルだ。 これでお風呂で遊んだひとも多いと思う。

これを見たプラマーは「こりゃ凄いルアーになるぞ!」と娘からそのカエルを

「借りて」、パテント済みのウィードレスフックを付けて早速バスを釣りに勇んで

出かけたのである。そして彼の思惑通りに見事にバスは釣れたのだった。

プラマーはこのカエルが日本製であることを知り、かなりの数量を日本のメーカー

にオーダーした。もちろんルアーに作り直すためである。

 

当時彼は航空関係の仕事でフライトインストラクターをしていた。 毎朝3時に起きて

5時までフロッグルアーを作り、また釣りに行きそれから地元のウエストボーロ空港へ

働きに行くという生活を続けた。 フライトの教官だったため彼の生徒は点在する

池の上の辺りを低く飛ばされたようだ。もちろん仕事のついでに池の様子や形状を

上空からチェックするためだった。 仕事の後や週末にはあちこちのタックルショップ

に出向き彼のルアーを販売してくれるよう頼んで歩いた。

当時ロングアイランドにあったハリソン・ホージの会社からフロッグを含む彼のルアー

を販売しても良いというオファーが来たのはそれから2年後のことであった。

プラマーには無論売り上げのコミッションが入ることになる。 週ベースの売り上げと

プラスボーナスの契約だったが、プラマーの努力が実る時が来たのだ。

1968年にハリソン・ホージのカタログにはプラマーのボトム用のルアーが初めて

加わり1973年にはスピナーベイトも追加されたが、何と言っても爆発的に売れた

のはスーパーフロッグと称した彼のカエルのルアーだった。ウィードを恐れずに

大胆に投げられるこのルアーは大当たりを取った。

 

プラマーはお金が出来て生活の余裕が出たため毎日バスを釣りに行けることに

なったが当時のことを振り返り、1978年のスポーツ・イラストレイテッド誌のインタ

ビューでこう言っている。 「全くオレの母親でさえオレが何をしているか判っちゃくれ

なかったね、何もしないで毎日釣りばかりしている、って。こいつは仕事なんだからさ、

釣りにいってはルアーを作るってのがさ」 と。

夏も冬も一年中毎日釣りに出かけていた。プラマーのこういう生活はその後30年ほど

続いたが、恐らくは生涯で釣ったバスの数は全米でもトップクラスではなかったかと

言われている。5ポンドを越えるバスだけでも年間1000匹以上は釣ったと言う。

しかも釣ったバスは必ずリリースした。

トーナメントを嫌い次々と開発されるバシングテクニックやタクティックスには見向き

もせず、クルマの屋根に載せる12フィートのボートに3馬力のエビンルードだけで

釣りに行った。エレクトリックモーターを嫌いオールで漕ぐことを好んだのだった。

ルアーも彼のスーパーフロッグを含む、スピナーベイトやらボトム用のジグくらいで

4種類しか使用しなかったと言う。 

 

「地元の池でやるのに大きなバスボートは要らないよ、魚に目立つしエンジンの

大きさで競争しているワケじゃないんだから」

 

2006年にビル・プラマーはFresh Water Fishing Hall of Fame(釣りの

殿堂)にLegendary Anglerとして殿堂入りを果たしている。(ここにはバスプロ

として有名だったアングラーはほとんど殿堂入りしていて最近ではあのケヴィン

ヴァンダムもその名を刻んでいる。)

 

彼は1年後の2007年3月30日に85才で永眠したが、彼の有名なスーパー

フロッグは形を変えハリソン・ホージにより”SUPERIOR FROG”として今も販売

されている。ボートやスポーツグッズを扱っていたハリソンホージ社はスピナーで

有名なパンサーマーチンのオーナーでもあるが、一時社長をしていたCECIL HOGE

も1999年の2月13日に85才でこの世を去った。現在は息子が跡を継いでいる

はずだ。

 

 

 

 

 

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4 コメント

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イタズラ書き? (nnakazawa)
2011-06-09 21:22:58
後に「ドゥードゥリングデクニック」の
名人だったりして・・・ビーズとワーム
の組み合わせでバスを誘うとか何とかって
記憶にありますが。こんなバスプロもいた
ような・・・
返信する
その通りで… (猿も出でず)
2011-06-07 23:41:32
その通りでございます。
授業は上の空で、釣りの事ばかり考えていました。
返信する
教科書? (nnakazawa)
2011-06-07 22:12:19
ビルプラマーの奥さんはまだ健在なら
マサチューセッツにいるはずですけど・・・

エピソードは知れば何でも面白いものですね。
そのうちにまた何か取り上げてみましょう。

「高校の教科書には、ザラやラッキー13・トピドゥが泳ぎ回っていました」

はてどういう意味でしょう? 教科書にイタ
ズラ書きでも?

返信する
日本にルーツが有ったとは!! (猿も出でず)
2011-06-06 20:01:45
 日本に関係があったとは、大変興味深いお話でした。
 ご多分に洩れず私のバスフィッシングバイブルは、「ブラックバス釣りの楽しみ方」(昭和53年)でした。その230ページにハリソンスーパーフロッグは、紹介されていましたが、ビルブラマーの設計で2度のモデルチェンジがあって…そんな情報しか知りませんでした。当時、普通に手に入れることができたのはもう3代目でした。
 なるほど初代の足は、長くて折れ方が「ピコピコカエル」のようです。
 ちなみに、この本のおかげで高校の教科書には、ザラやラッキー13・トピドゥが泳ぎ回っていました。
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