上野でもなければ浅草でもなく静かに桜を楽しめるところは、
拙宅の裏側、歩いて3分くらいの西側寄りを大横川が南北に
流れています。北は小名木川、南は仙台堀川につながる川で、
この岸辺が遊歩道となっており両側の川沿いには桜の木が植
えられています。
毎年今頃になるとこの両側の土手の桜が一斉に咲き、それは
それは見事なものです。この桜の木はまだ大きくなりそうで毎
年少しずつ成長している感があり、桜を満開にした枝が来年あ
たりには、それこそ水辺に届くのではと期待をするほど立派に
なってきました。
綺麗でしょう!
幾つか架かる橋の上には見物人が次から次へと訪れ、「綺麗!
綺麗!」と感嘆の声。毎年ここの桜を見に来る人が増えている
ようで、知られざる桜の名所としておくのも、時間の問題かも
知れません。まあ、隅田川の桜のミニ版とでも言うところですが、
宴会をやるようなスペースは無く、静かに桜を楽しむのが好きな
ひとには嬉しいところです。。水の上には、普段は船など通らな
い大横川なのに、何時に間にか桜見物のエンジン船がどこから
ともなく現れゆったりと抜けていきます。
人のいない時の桜もまた見事です。「しずこころなく花の散るらん」
この辺り、江戸の昔は、東亥乃堀河岸、西亥乃堀河岸と呼ばれ、
その名残りを残す橋が現在の亥の堀橋であり拙宅から一番近い
橋です。
子供の頃、この亥の堀橋は木の橋でした。四角い欄干に銅の擬
宝珠のようなものが嵌めてあったのを憶えています。何となく京
都の橋のようでした、もっともその下にはまだいっぱい太い筏が
浮いていた時代で、川並さんたちが筏を操っていた頃の話です。
魚もフナムシもいて夕方にはギンヤンマや鬼ヤンマが飛んで来る、
子供の絶好の遊び場でしたが、現在のように味気ないコンクリ護岸
ではなく、低い石垣のような土手で、中間に船に板を渡すための段
になった降り口があり、筏のある水面まではすぐに行けました。
子供には危険な場所ですので、太い筏の上で遊んでいると良く怒ら
れたものです。落ちて筏の下に入ると出て来られなくなり溺死する
ので、それで怒鳴られるのですが、そんなことをいちいち気にしてい
てはこの辺の子供をやってられない。そりゃ、ヤンマや魚を目の前に
してあっさり引き下がる訳にはいきません。大人の目を盗んでは、筏
で遊んでいたもんです。子供の目から見ると、大人の方が返って危な
かっしい。下町の子は憎たらしいもんですな。懐かしい日々です。
楽しかったですね。あの頃はこんな綺麗な桜などありませんでしたが。
現在の桜の大横川もそれはそれで良いのですが、昔の川は風情があ
りました。まだ周りにはいくらか木と土の香りがありましたね。
今無いものとすればこれかなあ。
「風さそう花よりもなお我はまた春の名残りをいかにとやせん」なんて。
これはちょいと淋しくてお花見には向きません。でも昔は誰でも知って
いる歌でしたが今はいい大人でも知らない。知らなくてもどうってことァ
ありませんけど、知らなきゃ恥ずかしいよ、って言っていた時代のほうが
感性も知性も遥かに高かったと思う。いつの間にか世間全体が軽佻浮
薄になってしまったようだ。はは、永井荷風みたい。
今は感性も知性も昔に比べると無いですね、案外これも無いもののうち。
ともあれ、こうして桜はまた散って行きます。
拙宅の裏側、歩いて3分くらいの西側寄りを大横川が南北に
流れています。北は小名木川、南は仙台堀川につながる川で、
この岸辺が遊歩道となっており両側の川沿いには桜の木が植
えられています。
毎年今頃になるとこの両側の土手の桜が一斉に咲き、それは
それは見事なものです。この桜の木はまだ大きくなりそうで毎
年少しずつ成長している感があり、桜を満開にした枝が来年あ
たりには、それこそ水辺に届くのではと期待をするほど立派に
なってきました。
綺麗でしょう!
幾つか架かる橋の上には見物人が次から次へと訪れ、「綺麗!
綺麗!」と感嘆の声。毎年ここの桜を見に来る人が増えている
ようで、知られざる桜の名所としておくのも、時間の問題かも
知れません。まあ、隅田川の桜のミニ版とでも言うところですが、
宴会をやるようなスペースは無く、静かに桜を楽しむのが好きな
ひとには嬉しいところです。。水の上には、普段は船など通らな
い大横川なのに、何時に間にか桜見物のエンジン船がどこから
ともなく現れゆったりと抜けていきます。
人のいない時の桜もまた見事です。「しずこころなく花の散るらん」
この辺り、江戸の昔は、東亥乃堀河岸、西亥乃堀河岸と呼ばれ、
その名残りを残す橋が現在の亥の堀橋であり拙宅から一番近い
橋です。
子供の頃、この亥の堀橋は木の橋でした。四角い欄干に銅の擬
宝珠のようなものが嵌めてあったのを憶えています。何となく京
都の橋のようでした、もっともその下にはまだいっぱい太い筏が
浮いていた時代で、川並さんたちが筏を操っていた頃の話です。
魚もフナムシもいて夕方にはギンヤンマや鬼ヤンマが飛んで来る、
子供の絶好の遊び場でしたが、現在のように味気ないコンクリ護岸
ではなく、低い石垣のような土手で、中間に船に板を渡すための段
になった降り口があり、筏のある水面まではすぐに行けました。
子供には危険な場所ですので、太い筏の上で遊んでいると良く怒ら
れたものです。落ちて筏の下に入ると出て来られなくなり溺死する
ので、それで怒鳴られるのですが、そんなことをいちいち気にしてい
てはこの辺の子供をやってられない。そりゃ、ヤンマや魚を目の前に
してあっさり引き下がる訳にはいきません。大人の目を盗んでは、筏
で遊んでいたもんです。子供の目から見ると、大人の方が返って危な
かっしい。下町の子は憎たらしいもんですな。懐かしい日々です。
楽しかったですね。あの頃はこんな綺麗な桜などありませんでしたが。
現在の桜の大横川もそれはそれで良いのですが、昔の川は風情があ
りました。まだ周りにはいくらか木と土の香りがありましたね。
今無いものとすればこれかなあ。
「風さそう花よりもなお我はまた春の名残りをいかにとやせん」なんて。
これはちょいと淋しくてお花見には向きません。でも昔は誰でも知って
いる歌でしたが今はいい大人でも知らない。知らなくてもどうってことァ
ありませんけど、知らなきゃ恥ずかしいよ、って言っていた時代のほうが
感性も知性も遥かに高かったと思う。いつの間にか世間全体が軽佻浮
薄になってしまったようだ。はは、永井荷風みたい。
今は感性も知性も昔に比べると無いですね、案外これも無いもののうち。
ともあれ、こうして桜はまた散って行きます。
お近くにこんな素晴らしい所があることも羨ましい限りです。
今日も深川の地図とにらめっこしながら、本文を読ませていただいて何となく江戸の春を味わう気分にひたっています。
私も少し桜の写真を撮りました。
見事さにおいて、見劣りがしますが、やはり春を感じさせる日本人の大好きなものの一つでしょう。
お写真、拝見させて頂きました。いやいや実に綺麗に撮れていてお上手ですねえ。
観察力が鋭くて。。色が綺麗に出ていて。
春には花に関するフェスタが多くて良いですね。
大きな健康ランドも東京などは高くて気楽に行けません。
もう少しでやっと新緑の五月。一番好きな季節ですが
やってきます。
もう、寒いのは苦手で。。。。