隅田川界隈の橋のことをいくつか書いて来ましたので、ここらでや
はり日本橋に戻り十軒店あたりの名店のひとつを取り上げてみま
しょう。
江戸の昔からあの辺りは名代の老舗の大店が並びます。日本橋
には魚河岸がありましたから、海苔や鰹節など海に関係のある食品
を扱う商店もあり薬種問屋等も繁盛しておりました。また雛人形など
土地に由縁のある店もありましたが、なんと言っても数ある名店の中
で規模や一般的な知名度から言えばやはり三越が一番です。
日本橋の三越デパートの前身は江戸時代の越後屋呉服店で長い
歴史を誇る老舗です。その前の道を室町方向に少し歩くと老舗の
村田眼鏡舗があります。そこら辺にあるただの眼鏡屋さんじゃあり
ません。こちらは三越よりもさらに長い歴史を誇ります。
今回はこのお店のお話。
村田眼鏡舗は遠い昔、京都で御鏡師をしていましたが、その後徳川
家康の江戸開府に伴い、御用鏡師として江戸に移り将軍家に鏡を納
めていました。明治に入り四代前の長兵衛は日本初の眼鏡専門店を
室町に開きます。
当時から夏目漱石や松井須磨子など各界の著名人の贔屓筋が多く、
現在も皇室御用達であり、そこには脈々と続く伝統と暖簾の持つ重
さが存在します。村田眼鏡舗へ何代にも亘り通う顧客は多く、それは
つまり、名店としての歴史に裏打ちされた技術と質の高さが存在する、
ということなのでしょう。私がお邪魔したときもさる著名な小説家の先
生がお見えでした。
「明治・大正・昭和の東京人名録」の明治編に、この本は明治43年
2月30日、交旬社発行の「第15版 日本紳士録」が底本になってい
るもので、「東京に居住し所得税21円以上を納入し」ている人たちが
対象となっていますが、その中に、眼鏡商として日本橋区本町の村田
長兵衛の名前が見受けられます。電話番号も記載されていますが、
4桁の数字の前に「本局」と書いてあるところが如何にも時代を感じさ
せて面白いです。
村田眼鏡舗は「三代、百年、同業で継続し現在も盛業」という、入会
には厳しい条件のある、昔からの名店の集まり「東都のれん会」の会員
でもあります。変わりつつある日本橋で長い歴史の暖簾を誇る数
少ない大店のひとつなのです。
こちらは昭和天皇がご愛用していたのと同型の眼鏡。ショウケースの
上に出してもらいました。ちょっと反射していますが。もちろんオーダー
メイドです。ツルの部分が特徴で、鼻当てのない、一山(いちやま)と
言うのだそうです。昭和天皇と言えば、眼鏡の良く似合う印象がありま
したが一山と言うのは初耳でした。
持たせてもらいましたがその軽いこと! すべて手作りだそうです。
職人のひとが丹精込めて作るのでたいそう時間がかかるのだとか。
老舗というは伊達じゃあありません。匠の技術は長い歴史からゆっくり
と醸し出されるんですね。
はり日本橋に戻り十軒店あたりの名店のひとつを取り上げてみま
しょう。
江戸の昔からあの辺りは名代の老舗の大店が並びます。日本橋
には魚河岸がありましたから、海苔や鰹節など海に関係のある食品
を扱う商店もあり薬種問屋等も繁盛しておりました。また雛人形など
土地に由縁のある店もありましたが、なんと言っても数ある名店の中
で規模や一般的な知名度から言えばやはり三越が一番です。
日本橋の三越デパートの前身は江戸時代の越後屋呉服店で長い
歴史を誇る老舗です。その前の道を室町方向に少し歩くと老舗の
村田眼鏡舗があります。そこら辺にあるただの眼鏡屋さんじゃあり
ません。こちらは三越よりもさらに長い歴史を誇ります。
今回はこのお店のお話。
村田眼鏡舗は遠い昔、京都で御鏡師をしていましたが、その後徳川
家康の江戸開府に伴い、御用鏡師として江戸に移り将軍家に鏡を納
めていました。明治に入り四代前の長兵衛は日本初の眼鏡専門店を
室町に開きます。
当時から夏目漱石や松井須磨子など各界の著名人の贔屓筋が多く、
現在も皇室御用達であり、そこには脈々と続く伝統と暖簾の持つ重
さが存在します。村田眼鏡舗へ何代にも亘り通う顧客は多く、それは
つまり、名店としての歴史に裏打ちされた技術と質の高さが存在する、
ということなのでしょう。私がお邪魔したときもさる著名な小説家の先
生がお見えでした。
「明治・大正・昭和の東京人名録」の明治編に、この本は明治43年
2月30日、交旬社発行の「第15版 日本紳士録」が底本になってい
るもので、「東京に居住し所得税21円以上を納入し」ている人たちが
対象となっていますが、その中に、眼鏡商として日本橋区本町の村田
長兵衛の名前が見受けられます。電話番号も記載されていますが、
4桁の数字の前に「本局」と書いてあるところが如何にも時代を感じさ
せて面白いです。
村田眼鏡舗は「三代、百年、同業で継続し現在も盛業」という、入会
には厳しい条件のある、昔からの名店の集まり「東都のれん会」の会員
でもあります。変わりつつある日本橋で長い歴史の暖簾を誇る数
少ない大店のひとつなのです。
こちらは昭和天皇がご愛用していたのと同型の眼鏡。ショウケースの
上に出してもらいました。ちょっと反射していますが。もちろんオーダー
メイドです。ツルの部分が特徴で、鼻当てのない、一山(いちやま)と
言うのだそうです。昭和天皇と言えば、眼鏡の良く似合う印象がありま
したが一山と言うのは初耳でした。
持たせてもらいましたがその軽いこと! すべて手作りだそうです。
職人のひとが丹精込めて作るのでたいそう時間がかかるのだとか。
老舗というは伊達じゃあありません。匠の技術は長い歴史からゆっくり
と醸し出されるんですね。
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