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大川端毒婦伝

2007-03-17 16:57:50 | 江戸由縁東京旧聞
隅田川は今でこそ高いコンクリートの護岸で川岸を固められて
いますが、東京オリンピックの前までは川面が見渡せるほど低
く、川岸に面した料理屋や、昔で言う待合の二階からは隅田川
がすぐ目の前で、まだまだ昔の面影を残した風情のある川岸で
した。今やこうした光景はすでに無く、もはや夢の話となりました。

両国橋から浜町河岸にかけては昭和30年代まで船による新内
流しなどもあり、かろうじて昔の雰囲気を留めていた一帯でした。
川のほうから二人引きの新内三味線が聞こえてくると、二階の
窓越しからお声がかかるなどという光景がまだ見られたのでしょう。
通常、新内流しは盛り場の路地周りですが、大川端には川岸に
料理屋や待合が多く、船で流す新内はこうした事情から生まれた
のでした。

柳橋や浜町河岸、と言えばすぐ待合や芸者さんを連想し、大川
端と言えば歌舞伎や新派の出しものを思い出します。 三人吉三
や白波五人男と芝居の情景には必ず登場し、最近では上演回数
のめっきり減った新派でも大川端は欠かせないものでした。

水谷八重子や花柳章太郎、大矢市次郎などの名優がかつては
演じた「明治一代女」。作者川口松太郎がこれを基に書いたとい
う実際にあった事件、「大川端箱屋殺し」が今回のお題、橋モノを
書いていたらつい大川端から連想して思い出しました。

絵は当時の新聞。絵がまだ江戸の文化の名残りを示しています。

下総の佐倉藩士花井専之助の娘として明治維新の5年前に生ま
れた花井梅は頭も良く、勝気で気前も良くてさらに美人と評判の
芸者として柳橋や新橋で有名になり、念願適って当時の第三十三
国立銀行頭取河村電衛の援助で独り立ち、24才で浜町河岸のす
ぐそばの浜町2丁目12番地に待合「酔月」を持ちます。

ところが店を任せた父親と、若い頃から目をかけ世話してきた
箱廻し(三味線を入れる箱を持って芸者等に付いて歩く付き人)
の八杉峯吉とお梅の三人の仲が悪くなり、ついには出刃包丁で
旧細川藩邸近くの路上で峯吉を刺殺、そのまま久松警察署へ出
頭します。明治20年6月9日の夜のことでした。

頭が良くて美人として名が通っていた花井のお梅の事件は一夜
にしてセンセーションを巻き起こし、「大川端箱屋殺し」稀代の毒婦、
花井お梅として騒がれます。麹町八重洲の東京裁判所へ押し寄せ
た傍聴人は2千余人と空前の人出に雑踏。裁判の公聴録まで出る
ほどの人気(?)でした。

お梅は死刑こそまぬがれたものの、無期懲役になり当時の市ヶ谷
監獄へ収監され服役。15年後の明治36年(1903年)4月10日
特赦により出獄したのです。


特赦出獄後のお梅40才のとき。淋し気ですが、若い頃のちゃんと髪を
結った時はもっと器量が良かったんでしょう。娘の頃の洋装の写真は
美人です。島田で結い上げたら綺麗な芸者さんになるのは容易に想像
できます。大川端の浜町の、待合の二階から見る隅田川。美人の芸者の
三味線でさしつさされつしっとりと。こりゃ、繁盛するわいな。


この時でもまだ世間は花井お梅のことを忘れず、東京新聞の前身
である都新聞は11日付けでお梅の出獄の様子を報じております。
都新聞のみならず、服役中のお梅の状態などを報じている新聞は
他にもあり、世間は美人のお梅のことを放っておきません。
出獄の様子を記事にしようと記者が詰めかけるのを予想してか、
お梅は深夜に出獄したのでした。

この事件は当時大変な騒ぎでついには舞台化されるまでになり、
後になってお梅自らも自分の役を演じることもあったようですが、
結局後年はみじめな生活となり大正5年12月12日蔵前片町の
精研堂病院で54才でその人生を終えています。

歌舞伎作者の河竹黙阿弥はこの事件をもとに「月梅薫朧夜」とい
う狂言を作り、当時の菊五郎や福助が中村座で演じ大当たりを取
っております。この演目が舞台にかけられたのは最近聞きません。

後年この事件をモチーフに川口松太郎が書いたのが「明治一代女」
です。♪浮いた、浮いたの浜町河岸に~♪ で御馴染みですが、
新派でもうあまり演じられなくなりました。昔はそれこそ地元の明治
座で演じられたものでしたが。

市ヶ谷監獄は、小伝馬町の牢屋敷が移ったものでかつて江戸時代
にどこぞの藩の下屋敷があったところを明治維新で刑務所になり、
明治8年に市ヶ谷監獄として開設され明治12年に廃止されました。
その後中野に移転し中野刑務所となりましたが、これも昭和58年に
廃庁となっております。

果たして花井お梅を毒婦と言って良いかどうか判りませんが、明治
の新聞の多くはこの言い回しを好んで使用していました。

「毒婦」とか「不見転」とかねえ、もう死語化してるかも知れません。
若いひとにゃあ馴染みのない言葉だし、うかうかしてっと差別用語だ
なんて言われかねないわ。ぴったりした表現だと思いますけどね。

今や、すでに忘れ去られた花井お梅の「大川端箱屋殺し」の一席は
ちょうど時間となりました。


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