もう随分と昔のことになる。東西線の通る前のことだから1960年代の
終わり頃だろうか。千葉県の行徳の海の近くに大きな釣堀があった。
大きな池が4つありその周りを細い流れが囲んでいる造りで、大きな
池は浅くへら鮒を放してあり真ん中にボサが入っていた。
そこにへらが集まるので2間半、約4.5メータ以上の竿でないと届か
なかった。大きなレンギョや雷魚もいた。釣り好きな大人の天国だった。
この通称田所の池の近くに、もっと大きな釣堀(丸浜養魚場とかいった)
があり、松が多く自転車で回るほどの面積があったが、池鯔でリールに
よる練りえさの団子でブッコミ釣りで3,4本並べて浮きを眺めながら
木陰で寝転んで、魚がかかるのを待つというのんびりしたところだった。
海に隣接していたから潮も入ってきていた。
このすぐ近くにあった御猟場は今でもあるが、あの回りはもう建物だらけ
で昔の面影が全然ない。
当時は今井橋を渡り左折し、欠真間のあたりで右へ曲り海の方へ行けば
すべて畑か湿地帯で見渡す限りの野原だった。
真鮒が随分と連れる池があちこちにあった。
当時の事を知るひとも少なくなった。
因みに丸浜養魚場は新浜にあったが1967年頃に埋め立てられてしまった。
終わり頃だろうか。千葉県の行徳の海の近くに大きな釣堀があった。
大きな池が4つありその周りを細い流れが囲んでいる造りで、大きな
池は浅くへら鮒を放してあり真ん中にボサが入っていた。
そこにへらが集まるので2間半、約4.5メータ以上の竿でないと届か
なかった。大きなレンギョや雷魚もいた。釣り好きな大人の天国だった。
この通称田所の池の近くに、もっと大きな釣堀(丸浜養魚場とかいった)
があり、松が多く自転車で回るほどの面積があったが、池鯔でリールに
よる練りえさの団子でブッコミ釣りで3,4本並べて浮きを眺めながら
木陰で寝転んで、魚がかかるのを待つというのんびりしたところだった。
海に隣接していたから潮も入ってきていた。
このすぐ近くにあった御猟場は今でもあるが、あの回りはもう建物だらけ
で昔の面影が全然ない。
当時は今井橋を渡り左折し、欠真間のあたりで右へ曲り海の方へ行けば
すべて畑か湿地帯で見渡す限りの野原だった。
真鮒が随分と連れる池があちこちにあった。
当時の事を知るひとも少なくなった。
因みに丸浜養魚場は新浜にあったが1967年頃に埋め立てられてしまった。
田所の池は、旧行徳街道の欠真間、湊新田辺りでバスを降り、歩いた記憶がございます。バス停からさほど歩かない場所にも、水路が沢山あり、金魚藻が群生した中、メダカが沢山いましたね。蓮田?水田の畦道をダラダラ歩いて行った時、田所の池が有りました。現在の妙典、塩焼辺りだったのしょうか?帰りは江戸川の土手を歩いた記憶があります。
返事が遅れてしまいました。ごめんなさい。
いや、本当に懐かしいですね。田所の池は通称で
仙松園とかいうのが正式な名前ではなかったかと
記憶しています。
そこにたどり着くまでに結構細流(ホソ)があり
小鮒を釣って歩くのには静かで趣きのあるところで
した。田所の池まで行けばもうその先は海でした。
明け方に自転車で家を出て明るくなるころに着いた
ものでしたが、軽自動車で行けるようになってからは
足繁く通ったものです。
まだ地下鉄東西線の通る前ですから、水田や湿地帯
のあるところで風情がありましたねえ。
いや実に懐かしいです。
思い出を共有できる方とめぐり合えて大変嬉しく
思います。