ほぼ不定期日記

散歩ばかりしている男の嘘日記

スパゲティーミートソース喰って青春時代を思い出す朝

2017年12月20日 | ほぼ嘘日記

午前6時に起床する 

今朝も嫌々布団から抜け出た 始ったばかりだというのにもう冬が辛くなっている 

合い挽き肉と微塵切りにした玉ねぎとニンジンとトマトでミートソースを作りスパゲティーに垂らす 


上京するまでミートソースのスパゲティーは喰ったことが無かった 

それはその存在を知らなかったのではなくて高校を卒業するまで喫茶店に入ったことは1度だけだったし 

家族で出かけてレストランで食事することも無かったからだ 行くとしたら和食か中華だった 

だからスパゲティーといえば母がトマトケチャップで作るナポリタンっぽいものくらいで 

あとは弁当のすみっこにグルグルッと巻いて詰め込まれたただのケチャップスパゲティだけ 

ミートソースのスパゲティーがあってそれがどういう味なのかということなど考えることも無かった 


仕送りを遣り繰りして家賃を払い画材を仕入れ通学定期を買った残りを食費とする暮らしをするうちに 

業務用のスパゲティーが安いことに気がついて3キロ入りや5キロ入りのものを買ってきて 

最初のうちはそれをただ茹でてケチャップ味に炒めて底知れぬ空腹を満たしていたがやがて飽きて・・・ 

挽肉と玉ねぎを買いトマトケチャップを使い見よう見まねでミートソースを作ってみることにした 

喫茶店のスパゲティーミートソースはすでに経験済みだった 

金も無いのに友人たちと入った店で喰ったミートソースは驚きの美味さだったが 

立ち喰いそばなら4杯は喰える値段では続けて通うなどは夢のまた夢だった 

喰って判ったのは使うスパイスが胡椒だけでは無さそうだということで 

スーパーマーケットのスパイス売り場で探したら「挽肉料理に」と書いているオレガノがあった 

あとは赤さがケチャップのとは違っていたからとチリペッパーを買った どちらも安いスパイスで助かった 

薄暗い共有の台所で玉ねぎを微塵切りにしているとお隣の部屋のお婆あさんが覗き込んできた 

おにいちゃん「何を作ってるの?」と東北訛りで聞いてきた 

廊下で会えばあいさつはしていたがお婆あさんとちゃんと会話をするのは初めてだった  

スパゲティーの「ミートソースです」と答えたら「知らん」と首を左右に振って部屋に戻った 

玉ねぎを炒め挽肉を加えさらに炒め塩胡椒にオレガノにチリペッパーを振りさらに炒めたところに 

トマトケチャップをぶりぶり垂らして煮込み「色が違う」とチリペッパーを追加で振った 

出来上がったスパゲティーミートソースを小さめの皿に装いお隣にお裾分けした 

喫茶店で喰った味には全然ならなかったけれどとにかく空腹は満たした 

次の日学校から帰るとお隣のお婆あさんがラップのかかった鉢を持って待ち構えていた 

おにいさん「お返しだよ」と渡してくれたのは秋刀魚を筒切りにした醤油煮だった 

何度もお礼を言って部屋に入りラップを剥がすとふんわりと家庭料理の香りがした 

久しぶりのまともな料理だったが米が無かったのでスパゲティーに乗せて喰った 

ちょっぴり塩辛い三陸の味付けだったが心がほっこりと温まった 美味かった 

次の朝洗った鉢を返そうとお隣に声をかけたら頭にラップを巻いたお婆あさんが顔を出した 

これから髪を染めるので鉢はそのへんに置いておけば良いと言ってお婆あさんは部屋に戻った 

通学の準備をしてバッグを肩に提げ部屋を出たところで・・・ギャァ〜!と悲鳴がした 

お隣りのお婆あさんだった「おにいちゃん助けて!髪染めが目に入ったよ!」「目が見えないよ!」 

私はお婆あさんの手を引いて台所の流しまで連れて行き蛇口を捻り目を洗わせた 

もう大丈夫だよと言うお婆さんに「学校に行きます」と言ってアパートを出た 

学校から帰り部屋にバッグを置き台所に行くとお隣りさんがやってきてお礼を言った 

呼び名は「おにいちゃん」から「学生さん」に替わった 

それから何度か煮魚や野菜の煮付けをお裾分けしていただいた 

年が変わって私は田無に引っ越した 

思えば「お婆あさん」とはいうものの今の私くらいの年齢だったかもしれない 

そういえば名前も聞いていなかったしどんな仕事をされていたのかも知らなかった 

だが少し世間というものに触れた気がした 

新小岩のアパートの近くの八百屋でモヤシを買うとおじさんがひと掴み追加してくれた 

米屋で配給米を2キロ買うと茶色い紙袋が閉じなくなるまでおまけしてくれた 

どの店でも「学生さん!お勉強がんばってよ!」と声をかけられた 

洗濯物を干したまま学校に出かけて雨が降り「濡れたな・・・」とがっかりして家に帰ると 

部屋の前に綺麗に畳んだ洗濯物が濡れないようにビニールに包んで置いてあったこともあった 

引っ越した田無ではそういうことは無かった 

アパートの隣人は顔も判らず道を歩いても誰もあいさつせず 

銭湯には全身に彫り物を入れたお爺さんもいなかった 

田無の街に慣れた頃には私のミートソースは流行らない喫茶店くらいの味にはなっていたが 

日当りが悪い部屋に嫌気が差して隣町の東伏見に引っ越すことにした 

それから大船に引っ越し秦野へ引っ越し今は寒川に住んでいる 

生まれてから何度引っ越したか数えたら16回だった 

引っ越しは面白いし新しい街を探り歩くのはもっと面白い 

そろそろ最後の住処を見つけねばならぬ 

次はどこに? 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 合い挽き肉で自由軒のインデ... | トップ | 辛子明太子をスパゲティーに... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
何だか (Blue Wing Olive)
2017-12-20 20:27:50
とてもいい話ですね。
人と人との関わり方が、ずいぶん変化したものだと、改めて感じます。
今度、久し振りにミートソース作ってみようかなぁと思いました。

返信する
電子機器に阻害されて? (ほぼ不定期日記管理人)
2017-12-20 20:53:48
Blue-Wing-Olive様
コメントありがとうございます
今ならお隣さんといろんな話が出来るのにと悔やまれます
お礼を言いたいけれど40年前の出来事なので・・・
それにしても
人と人が電子機器や電波で繋がる時代になってしまいましたね
返信する

コメントを投稿

ほぼ嘘日記」カテゴリの最新記事