ほぼ不定期日記

散歩ばかりしている男の嘘日記

おでんの残りを温め直してうどんに並べる朝

2017年12月04日 | ほぼ嘘日記

午前7時に起床する 

おでんの季節は朝飯作りが楽だ 

麺を茹でておでんの汁をかけ残った具を乗せるだけだから 

今朝はうどんに乗せてみた 簡単だね〜♪ 


子供の頃の母が作るおでんの出汁は鶏ガラと鰹節と昆布で引いていた 

父が好きだからということで必ず牛筋も入っていた 

鶏ガラと牛筋の脂甘さが鍋の底に沈んだジャガイモをいっそう甘くしていた 

父は広島で生まれたがすぐに養子に出されて成人するまで大阪で育った 

いつも美味そうに母の作る食事を食べていたが 

時には育った大阪の味を懐かしむことがあった 

そのひとつは自由軒のインディアンカレーである 

母が作ったカレーのルウの残りにご飯を良く混ぜて皿に装いその天辺に卵の黄味を乗せるのだ 

そこにウスターソースをかけ黄身を潰して混ぜながらご機嫌な声で大阪の街を語り出すのだ 

そのうち法善寺横丁や織田作之助の話に移り変わってさらに映画の夫婦善哉の話になり 

火鉢で塩昆布を焙る所作をしながら森繁久彌の名台詞「頼りにしてまっせ おばはん」と言うと 

母が笑いながら父の背中をポンと叩くというのが毎回お馴染みの流れだった 

常に笑顔が絶えないように気遣っていた父ではあったが 

あの夫婦善哉のエピソードの真似をしたのは自分が森繁になることで 

母を淡島千景に例え持ち上げていたのだということは私が大人になるまで判らなかった 

そういう父の絶え間ぬ努力のおかげか両親とも亡くなるまで仲良く暮らしていた 

人という字は支えあっている形をしていると言ったのは坂本金八だっただろうか? 

しかしよく見ると向かって右の棒が左の棒を支えていて左はただ寄りかかっているだけだ 

そういえば我々が住んでいる社会も支える人と寄りかかっているだけの人で構成されていて 

たとえば・・・日本の街はゴミひとつ無くて清潔だというのは大いなる勘違いで 

夜明け前にはゴミが散乱している道も掃除している人がいるから綺麗になっているのだし 

ほんの少し前のことではあるけれど繁華街の歩道は吐き捨てたガムだらけだったのを 

こびりついたガムを剥がす道具を開発しそれを使ってこまめに取り除いた方がいるからで 

それで思い出したのは江戸の街が清潔で美しかったのは 

その頃の日本人のモラルのおかげだと信じさせている輩がいることで 

事実はそうではなくてゴミを拾って商売にしている人が多くいたからなのに 

さらにありもしない江戸仕草などというモノまででっちあげて「日本万歳!」と 

自国の歴史を美化しているのは何か良からぬことを企てているのからに違いないと疑いたくなる 

私が子供頃・・・昭和40年くらいまでにはゴミ屋さんを良くみかけた 

背中に竹籠を背負いゴミばさみを手に持って道の端を歩き小さなゴミまでこまめに拾っていた 

もうひとつは「要らないものはありませんか?」と家に訪ねてきて引き取っていくゴミ屋さんで 

そういうゴミ屋さんが拾ったゴミは紙や布やガラスや鉄くずに仕分けして再利用していたのだったが 

そんなことはすぐに忘れられてしまうので上記のような輩のつけ込む隙を産んでいるのだろう 

忘れてはいけないことなのだ 

伝えていかねばならないのだ 

そこで古典落語の「紙くず屋」である 

放蕩息子の若旦那が紙くず屋で働くことになって紙くずの仕分けをする 

ひとつひとつ紙の種類を見分けているうちに恋文を見つけて一人芝居が始る・・・という噺だ 

この噺を得意にしているのがこの度めでたく真打ちに昇進された女流落語家の柳亭こみちさんで

女流というのは噺家に限らず画家でも棋士でも・・・どの世界でも立場が厳しいけれど 

二つ目のころから変わらぬ真っ正直な噺をし続ければきっと名人と呼ばれるようになるだろう 

インターネット寄席が全盛だった頃に良く観た二つ目の若手落語家さんたちも皆真打ちになられた 

かくいう私はご隠居の齢になり毎朝役に立たないことをブツブツつぶやく小言幸兵衛になっている 

人はなりたいものになれるのだ 夢は叶う 

感冒薬とビタミンC を服んでコーヒーを淹れる 

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