前回の5月から約4か月ぶりの更新だ。
その間に季節は春から夏へと移り、気がつけば今はもう秋。
思い返せば今年の夏の暑さはハンパなかった。
そして、そんな記録的な猛暑のさなか
我が家の愛猫ティーティーウーは天国へと旅立っていった。
享年11歳。
北海道の室蘭で生まれ、生後2か月でペットショップで娘と出会い
その後、彼女とともに室蘭から函館へと移り住み
そして2010年12月、小樽港から舞鶴行きの日本海フェリーに乗って
はるばる北海道から岡山の我が家にやって来た道産子のオス猫。
あれから7年8か月…その移動距離もさることながら
とてもただ者とは思えない強烈な個性と圧倒的な存在感で
いつしか私たち家族の重要な一員となり
まさに波乱万丈なネコとしての人生行路を歩んできた。
ティーウーはとても愉快なネコだった。
いろんな面白いポーズをして私たちを笑わせてくれた。
毎朝、ベッドの枕元で私の顔を手でチョンチョンと突いて起こそうとした。
そして必ず私の両手をペロペロと舐めてくれた。
私が階下に降りるのを階段で待ち構えていて一緒に降りようとした。
キャットフードを食べるところを傍で見守って欲しがった。
時々ジーッと人の目をのぞき込んで何か言いたげだった。
そんな彼が今年の夏の始め頃、突然体調を崩した。
動物クリニックで糖尿病と診断を受け、インシュリン注射が始まった。
そこからは病気と暑さとの闘いの日々だった。
少しでも涼しく過ごせるかと思い、山荘にも連れて行った。
風の音や小鳥の鳴き声、突然の雷鳴に耳をそばだてたり
小さな虫を目で追いかけたりしながら
久し振りに山の自然の中でゆったりと過ごした3日間。
今から思えば、ティーウーが最期の挨拶に来てくれたようだと夫は言う。
それが亡くなる10日前のことだ。
そしてその1週間後、山に居た私のもとに娘からラインが届いた。
ティーウーが昨夜から嘔吐を繰り返しているという。
そこで、すぐさま山を下りて病院へ連れて行くことにした。
ところがその日はお盆の11日でかかりつけ医は休診。
ネットで運良く開いている動物クリニックを見つけ受診した。
待合室で娘の腕に抱かれ、不安げな表情のティーウー。
これが生きている彼の最後の姿となってしまった。
緊急入院の翌々日の朝方に容体が急変し
家族の誰にも見守られることなく一人で病院で息を引き取ったのだ。
生きて我が家に戻って来てほしいという家族の祈りも届かず
あっという間に天国に旅立ってしまったティーウー。
生後2か月からティーウーとともに青春の日々を過ごしてきた娘が
万感の思いを込めて造った棺の中で
山のガーデンの花とともに、娘のデザインしたスカーフにくるまれ
まるで眠っているかのようなティーウーの亡骸。
8月14日の朝、ペットの火葬場で荼毘に付されたティーウーは
こんな小さな骨壺に収まって我が家に帰ってきた。
何ともあっけない終わり方に茫然自失の私たち家族。
あれよあれよという間にこの世から姿を消してしまったティーウー。
誰もが気持ちの整理がつかないまま、この現実に驚き、悲しみ、そして戸惑っていた。
「それにしても、見事な死に際だったよね。」
「私たちに最期の苦しむ姿を見せず、ホントにあっぱれだよね!」
「入院期間も最短で済ませ、お金の心配までしてくれた。」
「天国でお母ちゃんと会えるといいね!」
「家族全員とお別れをするために、お盆の最中に逝ったのかもね?」
こんなたわいもない会話を繰り返すことで
私たちは必死に彼の死を前向きに受けとめようとしていた。
そして、ティーウーの残したメッセージを探ろうとした。
そんな中、思いついたのがティーウーのペット用品を
西日本豪雨災害の被災地のペット支援物資として総社市に届けること。
今回新しく買ったペットシーツやフードとともに
まだ十分使えそうなトイレ用品や新品のままのキャリーバッグ等々。
被災地のネコたちに使ってもらえたら
きっとティーウーも喜んでくれるだろうと思って届けた。
そして私は、ティーウーの写真立てをステンドグラスで作った。
このガラスは、彼が最後に山の私のアトリエに来た時に
傍で製作していたランプシェードの残りガラスだ。
記念になると思った。
あれから3週間余り経ったが、いまだに悲しみは癒えない。
たかがペット、されどペットだ。
日常生活に当たり前のように存在していたものが
ある日突然いなくなる喪失感は計り知れない。
今さらながら、ティーウーの存在の大きさを思い知る。
久し振りにブログを書こうと思ったのは
この一連の悲しい出来事を振り返り
気持ちの整理をして前を向いて歩こうと思ったから。
ティーウーの肉体は滅んでも、魂は生きていると信じている。
たくさんの笑いと癒しを与え続けてくれた彼の思い出は
いつまでも私の心の中に生き続ける。
ありがとう!ティーティーウー。(合掌!)