長崎の街は 整った素敵な街なのに
でも それは 今のこと
かつて
ここに 原爆が落とされました
詳しくはここに
昭和20年8月9日早朝 B29は 小倉の上に着きました
でも 天候不良のため 視界がきかず 第2目標の長崎へと変わりました
運悪く雲の切れ目に 三菱長崎兵器製作所の巨大な工場群を 発見しました
高度9000mから落とされた原子爆弾は
午前11時2分 長崎市の北 松山町の上 500mで
天を裂くような閃光を伴って 爆発しました
現在(平成30年8月9日)
原爆死没者名 奉安数
179,226人
ここに
左は 原子爆弾が落とされる 2日前
右は 原子爆弾が落とされた 1が月後
なにもない広さが 目に沁みます
なにも 残っていないのです
これは 落とした国が作った資料です
森のような美しい場所に この銅像
70年 何も生えないと言われたところに
この青々とした森
銅像が見えます
近寄ってみましょう
この日 この時間
たくさんの赤ちゃんも 亡くなったということです
ここにも残った 建築の残骸
写真の浦上天主堂の →↓の部分です
爆心地から 500mだったそうな
のち 新しい天主堂建設のため ここに移設したそうです
原爆資料館は このあたり
修学旅行の学生さんが たくさんみえます
中に こんな白壁が
オランダのナマ・オリさんの鶴
幅15cm・長さ150mの 1枚の紙で 折られています
綺麗な色の 折鶴
この写真の前で 止まってしまいました
敬礼した 凛とした はだしの男の子
背負った後ろの弟が
亡くなっていることを知っていた とか
弟を 焼き弔う時を 待っていたんでしょうか
(なぜって 題名が「焼き場に立つ少年」です)
男性が 長いこと立っておられました
原子爆弾の 内部分解模型です
名前は
長崎型原爆:ファットマン
このような原子爆弾が
アメリカ 6450 個
ロシア 6850 個
使えば 世の終わり
6000個も どう使うのでしょう
丁寧に折られた たくさんの折鶴
奉納した人は どんな人でしょう
懐かしい3輪車
ミゼット って言ってたかも
乗っていた人はみんな 亡くなってしまったかも
学生さんや 外国の人を たくさん見かけます
ここに立ってみたら
いろいろ 考えますね
目の前のものは みんな本当にあったもの
瞬間に止まった 壊れた掛け時計
爆心地から800m だった
堤郷子さんの お弁当
爆心地から700m
生後8か月の 赤ちゃんの服
爆心地から 1100m離れていたのに
瓦が 溶けて泡立つ
溶けるはわかるけど 泡立つは理解できない
溶けた6本のビン
爆心地から400m
載せたくなかった この写真
でも 載せなくちゃ
この人に 申し訳ない気がする
本当のことよ と言われている気がする
少し離れたところに
平和公園
足が不自由でも エスカレーターで上がれます
上がり切ったところに
二つに分かれた噴水
だれの ことばでしょう
向こうに 大きな像が見えます
見たことある青年の像
天をさす右手は 原爆を!
水平の左手は 平和を!
台座は 流れる水で 清められているようです
あの少女も
こんなきれいな水が
飲みたかったのでしょう
今 日本には 戦争はないけれど
ニュースでは あちこちで戦争
天変地異は しかたないけど
爆弾で死ぬのは いや!
生きたかった人が たくさん住んでことを
忘れないようにしなくちゃ
生きているうちに 広島・長崎に行ってくださいね <(_ _)>
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