NORIKO HIRANO ひらののりこ  

Composer, Arranger, Pianist
作・編曲家、ピアニスト
 

台湾 第十二話

2013-10-26 12:37:02 | 旅行
9月26日(木)。

昨日、宿に着いたのは夕方だったのでわからなかったのですが、朝起きると山の景色がとても美しく、空気も澄んでいます。





私が泊まった部屋。ベッドが10個もありました。


ここに来た時、テレビのある部屋と無い部屋のどちらが良いか訊かれたので、ある部屋にしました。
なぜかというと、台湾の16chの「原住民族電視台」が見たかったのです。この局は一日中、原住民族の紹介をしています。興味のある方はYouTubeにもアップされているので見てみてくださいね。


空気の良い場所にいると本当に気分が良く、体調も絶好調になるのですが、唯一困ったことが起きました。声が、声が出ないのです。頑張って出してもかなりハスキー。こんなことは生まれて初めて。昨夜のカラオケとビールがいけなかったのか・・・。


さて、昨夜もらったドラゴンフルーツの食べ方がわからなかったので、レストランに持っていくと、カットしてくれました。ジューシーでとても美味しかったです。よくガイドブックで見るドラゴンフルーツは中が白いのですが、これは熟しているからこんな色なんでしょうか。



朝食後、Loviさんが滝を身に連れて行ってくれました。ここは観光用パンフレットにも載っている雙龍瀑布。




この吊り橋を渡るには30分かかるそうです。


手前に見えるのは、何年か前の台風で山崩れを起こしたところです。亡くなった方もいるとのこと。


以前は向こう側まで歩けたそうです。



その後、昼食に立ち寄ったお店はLoviさんの妹さんのお店。お金を払おうとすると「親族だからいらない」と言われてしまいました。こういうところが山の人のアバウトで太っ腹なところかも知れません。


こうして見ると、布農族(ブヌン族)の人たちは皆がっしりしてますね。Loviさんが「なんでこんなに細いんだ」と私の肩を両手ではさんで大笑いしていました。




道中、Loviさんはあちこちの畑を指差して「これは日本時代の畑だよ。日本人が開墾して畑にしたんだ。そのお蔭で後々原住民たちが食べていけるようになったんだ。」と言いました。また山から流れてくる水を溜めておく貯水槽を指差して「これも日本時代に作られたものだよ。これのお蔭で今でも皆が山の水を家で使えるんだ。」と言いました。

日本時代、確かに原住民は抵抗したけれど、こうして後々役に立つものがたくさん残ったことで、日本人に対してとても感謝しているとのことでした。それを聞いて、私は少し安心したのでした。



Loviさんが、「友達を呼んでもいい?」と言うので「はい」と言うと、「ここイシンガン(雙龍)は何もないから、タマルアン(達瑪巒)へ行こう。ここより都会だから。」と言われました。
でも行ってみると、特に都会とは感じませんでした。というか、ここも何もない山の中の。

そして連れて行かれたのはカラオケ。またカラオケ?もう私、声が全然出ないよ~と思いましたが、どうやらこのあたりではカラオケが唯一の社交場のようです。
お昼御飯を食べたばかりだというのにまたご馳走が目の前に並び、ビールが置かれました。


そしていろんな人が集まってきました。
この子はお孫さんだそうです。若いじいちゃん、ばあちゃんですねえ。


向かって左から、Demo(テモ)さん、Tiyan(ティヤン)さん、Ivi(イビ)さん。


Tiyan(ティヤン)さんは布農族(ブヌン族)ですが、Demo(テモ)さんは賽徳克族(セデック族)です。
二人はここより少し北へ行った埔里(プーリ)の病院で一緒に働いていたそうです。
Demo(テモ)さんは40代後半で退職し、今は台湾南部の高雄(Kaohsiung)で貿易関係の仕事をしています。普段は台湾、マレーシア、シンガポールと飛び回っているそうですが、たまたま故郷の霧社に帰っていたので、今回呼ばれてここへ来たとのこと。


実は私は、映画「セデック・バレ」の舞台である霧社にも行けたら行きたいと思っていたのですが、日程とルートの関係で諦めることにしたのでした。それなのに向こうから霧社の人がやってきてくれたというのは、何というめぐり合わせでしょう。

映画の主題となった「霧社事件」は、日本統治に抵抗する賽徳克族(セデック族)の人たちが、当時日本によって禁止されていた首狩りの風習を復活させて日本人を襲った事件です。映画の中で、彼らが裸足で山を駆け巡りながら、蛮刀でバッサバッサと日本人の首を狩っていく様は美しいとさえ感じました。なぜならそこに彼らの気高い誇りを感じたからです。男は首狩り、女は機織りができて一人前と認められ、顔に刺青を入れます。そうしてようやく死ぬ時に虹の橋を渡ることができます。虹の橋を渡れないことは、死よりも惨めなことなのです。

彼らにとって首狩りは決して野蛮な行為ではなく、とても神聖な行為だったのです。例えば雨乞いの為にできるだけ強い男の首を狩り、その霊力を借りて祈っていました。首狩りは神事と言っても良いのではないでしょうか。

南米のマヤでは生贄の風習がありましたが、きっとそれも神聖な行為として行われていたのでしょう。
このような首狩りや生贄は、人の命の軽さを物語っているのかなと以前は思っていたのですが、恐らくそうではなく、彼らにとっては生と死の境界があまり無いのかも知れません。死というものが忌み嫌われることではないのでしょう。


私は思い切ってDemo(テモ)さんに、「セデック・バレという映画を見ました。」と言ってみました。すると彼は「私はあの映画はあまり好きではありません。」とのこと。理由を訊くと「あれが真実の全てではないから」ということでした。霧社には親日と抗日がいて、自分たちは日本人と本当に仲が良かったと言うのです。彼は映画「セデック・バレ」に出てくるテモ・ワリスの親族だそうです。テモ・ワリスは霧社事件を起こしたモーナ・ルダオと敵対していたタウツァ蕃トンバラ社の頭目でした。

彼は私の目をまっすぐ見て言いました。
「私達、賽徳克族(セデック族)は日本人と心が一つです。そのことを本当に信じて下さい。」
そう何度も言うのでした。それで私は「わかりました。ちゃんと日本人に伝えます」と答えました。


私の中のひっかかりも取れて、宴会も盛り上がってきました。布農族(ブヌン族)は日本人のように他の人のグラスに注ぐことはしません。自分で注ぐのが礼儀だそうです。そして目の前にビール瓶がポンと置かれ、「布農族(ブヌン族)は1人で1本全部飲むんだ。それが礼儀だ。」と言うのです。本当かしらと思いながら、「わかった!」と言って頑張って飲みました。


Demo(テモ)さんはかなり酔っ払ってきて、歌を歌いだしました。
それは千昌夫の「星影のワルツ」でした。

♪別れに星影の ワルツをうたおう♪

の部分だけを、何度も何度も。彼は歌詞がわからず、♪ラララ~♪で歌っていたので、私はそれに合わせて日本語で一緒に歌いました。

この歌は彼が子どもの頃、お母さんがよく歌っていたそうです。
歌いながら、もう亡くなったお母さんを思い出して、時折涙を流していました。


その夜は彼もLoviさんの宿に泊まりました。




今回はここまでにします。




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