今年の秋 T大学N教授のお手伝いで
山村に住む方々の御意見を聞きに川場村を訪ねました
私たちが訪れた9月
群馬県北部に位置する川場村は今収穫の秋を迎えようとしておりました
川場村は平成の大合併に応ぜず自立の道を選びました
財政状況が厳しい中、自立の道を選ぶのはなかなか大変なことです
なぜ、自立の道を選んだのか 前村長の横坂太一さんに聞きました
前村長 横坂太一さん
「川場村は鉄道も国道もネオンサインも無く恵まれない地域だった。貧しい地域だからこそ、知恵を出すしかなかった。
また多少のことは我慢もできた。 山村振興に思案して福田赳夫先生に相談すると、独り言のように都市山村交流の話が出た。
そんな方法もあるのかと感心していると世田谷区が保養施設の建設地を探していると言う話があり、当時の永井村長が熱心に勧めた。
自分は当時村議であったが、当初ハイヒールを履いたお姉ちゃんに村中を歩かれたんじゃ仕事にならないと反対であったが村長の熱意に負け誘致に賛成した。
世田谷区との交流で大きかったのは、こんな小さな村でも世田谷区の持つ人材を活用できたことだ。
今、年間75万人も訪れ人気ナンバーワンの道の駅「田園プラザ」も後に世田谷区民健康村社長となった鈴木教授のおかげだ。
スキー場の誘致もしたが、スキー場経営が行き詰まったとき村会議員は皆百万円づつ出し合って運転資金に充て、民事再生法適用1号のものとなった。
村会議員が本気で取り組んだことで村民の信頼を得ることができた。村づくりの基本はリーダーとなるものは夢を語り本気で取り組むことだ。
合併したのでは夢は語れない。
自分が村長をした4期16年間に無給で助役の様に相談相手になってくれた宮田光雄という男がいる。
自分の考えはこれに教わったものが殆どだから宮田光雄の話を聞くと良い」
という訳で宮田光雄さんの話を聞きました
宮田光雄さん
宮田光雄さんは、昭和29年頃周囲の反対を押しきって村で初めてリンゴ栽培を始め
今では川場村特産のブルーベリーも最初に栽培し、現在日本ブルーベリー協会理事などをされています
横坂前村長によれば16年間無給の助役(知恵袋・相談相手)だった様です
「中学生のころ両親は無くなり、病気の祖父と妹4人を自分が養う様になった。幸い反対を押しきって始めたリンゴがあたり借金を返して生活できるようになった。
昭和40年代に川場でも盛んだった養蚕が駄目になると、ハワイアンセンターの様な保養施設やゴルフ場開発の話が業者から持ち込まれ仲間と徹夜で是非について話し合った。
最初は推進派であったが、自分たちが土地を失えばこの地を出ていかねばならないことに気づき反対に回った。
その頃にはお金の力で地域の90%位が賛成派になっていたが、自分たちが同額で買い取る(実際にはそんな金は無かったが)と主張し何とか阻止した。
川場村は標高が500m位で水質も良いので農業に向いた土地柄。農業や林業で生きるのが良いと思った。
道の駅田園プラザの後ろに虚空蔵山というのがあるが、ここを東京の大手観光開発会社が買おうとしたことがあった。
それは、沼田の岩本にダム計画がありダムができればここがダム湖の湖岸で一番の眺望の地となるはずだった。
しかし、沼田ダムの計画が無くなるといつの間にか手を引いていた。進出するときも撤退するときも地元には殆ど説明無し、このとき大企業の怖さを思い知った。
この時以来、川場村は企業や利権に群がらない村政が続いてきたと思う。川場村が生きる道は農業+観光である。
永井村長時代に農業+観光ということが言われ始めたのだが、すばらしい発想であったと思う。
実際は観光の方が勝っているが当時、観光+農業と言ったら潰されてしまったろう。
これからの川場村も「農業+観光」が基本だ。
観光の面では川場村のファンを作り、リピーターを増やすことだ。
今、田園プラザには年間75万人の人が来ると言われているが、川場村のファン(リピーター)は50万人くらいでも良い
100万人来るとコントロールできなくなる。
現在、田園プラザにブルーベリーを5千本植えて無料で摘み取りをさせている。
無料と言うことに、近隣の観光農園からクレームが来たが、無料だから田園プラザの客が増え滞在時間が延びる。
2時間以上の滞在時間があれば必ず飲み食いが始まりお金が落ちる。5千本の実を摘む手間や販売額を考えればこの方が経済効果は高い。
村中を公園の様にして空間を売ることを考えたい。それには世田谷区の知恵を現場(川場村)の知恵に変えていく必要がある。
これからは老人が増えるが、福祉の基本は如何に生き甲斐を持たせるかと言うことだ。
田園プラザの直売場は年寄りが小遣い稼ぎに少量でも出荷でき生き甲斐を与えている。
これからは年寄りにでもできる農業と言うことで桑の葉の利用やブルーベリーの花や葉の利用を考えている。
自分は年も取ってきて段々隠居の身になって来たが、一生勉強・一生青春 でありたい」
物静かではあるが村づくりに掛けた情熱が伝わって来ました
宮田光雄さんは世田谷村に訪れた子供達や都会の学生に地域づくりに役立つように旧宅や蔵を無償で開放しています
村政について夜中まで議論した居間、気分転換にここでカラオケをするそうだ
(今 無償で提供している)
蔵を利用したギャラリー
学生は各集落毎に手分けで戸別訪問しアンケート調査
夜は遅くまで昼間聞いてきた話の報告会です
田園プラザでは観光に関するアンケート調査も行いました
今回も群馬県高崎市立高崎経済大学の
西野教授の御厚意でお供をさせていただきました
今日12月19日は共に歩いたゼミ3年生の
中間発表会でした ゼミ生は皆頑張りました
初めて知らない人の家を訪ね話を聞く
とても勇気のいることです
つらかったこともあると思いますが
頑張りました
何度も何度も川場村を訪ねた学生もいました
頭が下がりました
ゼミ生の中から 第2の宮本常一が出ることを
祈りつつ
気に入っていただいたら ボタンを押してください
山村に住む方々の御意見を聞きに川場村を訪ねました
私たちが訪れた9月
群馬県北部に位置する川場村は今収穫の秋を迎えようとしておりました
川場村は平成の大合併に応ぜず自立の道を選びました
財政状況が厳しい中、自立の道を選ぶのはなかなか大変なことです
なぜ、自立の道を選んだのか 前村長の横坂太一さんに聞きました
前村長 横坂太一さん
「川場村は鉄道も国道もネオンサインも無く恵まれない地域だった。貧しい地域だからこそ、知恵を出すしかなかった。
また多少のことは我慢もできた。 山村振興に思案して福田赳夫先生に相談すると、独り言のように都市山村交流の話が出た。
そんな方法もあるのかと感心していると世田谷区が保養施設の建設地を探していると言う話があり、当時の永井村長が熱心に勧めた。
自分は当時村議であったが、当初ハイヒールを履いたお姉ちゃんに村中を歩かれたんじゃ仕事にならないと反対であったが村長の熱意に負け誘致に賛成した。
世田谷区との交流で大きかったのは、こんな小さな村でも世田谷区の持つ人材を活用できたことだ。
今、年間75万人も訪れ人気ナンバーワンの道の駅「田園プラザ」も後に世田谷区民健康村社長となった鈴木教授のおかげだ。
スキー場の誘致もしたが、スキー場経営が行き詰まったとき村会議員は皆百万円づつ出し合って運転資金に充て、民事再生法適用1号のものとなった。
村会議員が本気で取り組んだことで村民の信頼を得ることができた。村づくりの基本はリーダーとなるものは夢を語り本気で取り組むことだ。
合併したのでは夢は語れない。
自分が村長をした4期16年間に無給で助役の様に相談相手になってくれた宮田光雄という男がいる。
自分の考えはこれに教わったものが殆どだから宮田光雄の話を聞くと良い」
という訳で宮田光雄さんの話を聞きました
宮田光雄さん
宮田光雄さんは、昭和29年頃周囲の反対を押しきって村で初めてリンゴ栽培を始め
今では川場村特産のブルーベリーも最初に栽培し、現在日本ブルーベリー協会理事などをされています
横坂前村長によれば16年間無給の助役(知恵袋・相談相手)だった様です
「中学生のころ両親は無くなり、病気の祖父と妹4人を自分が養う様になった。幸い反対を押しきって始めたリンゴがあたり借金を返して生活できるようになった。
昭和40年代に川場でも盛んだった養蚕が駄目になると、ハワイアンセンターの様な保養施設やゴルフ場開発の話が業者から持ち込まれ仲間と徹夜で是非について話し合った。
最初は推進派であったが、自分たちが土地を失えばこの地を出ていかねばならないことに気づき反対に回った。
その頃にはお金の力で地域の90%位が賛成派になっていたが、自分たちが同額で買い取る(実際にはそんな金は無かったが)と主張し何とか阻止した。
川場村は標高が500m位で水質も良いので農業に向いた土地柄。農業や林業で生きるのが良いと思った。
道の駅田園プラザの後ろに虚空蔵山というのがあるが、ここを東京の大手観光開発会社が買おうとしたことがあった。
それは、沼田の岩本にダム計画がありダムができればここがダム湖の湖岸で一番の眺望の地となるはずだった。
しかし、沼田ダムの計画が無くなるといつの間にか手を引いていた。進出するときも撤退するときも地元には殆ど説明無し、このとき大企業の怖さを思い知った。
この時以来、川場村は企業や利権に群がらない村政が続いてきたと思う。川場村が生きる道は農業+観光である。
永井村長時代に農業+観光ということが言われ始めたのだが、すばらしい発想であったと思う。
実際は観光の方が勝っているが当時、観光+農業と言ったら潰されてしまったろう。
これからの川場村も「農業+観光」が基本だ。
観光の面では川場村のファンを作り、リピーターを増やすことだ。
今、田園プラザには年間75万人の人が来ると言われているが、川場村のファン(リピーター)は50万人くらいでも良い
100万人来るとコントロールできなくなる。
現在、田園プラザにブルーベリーを5千本植えて無料で摘み取りをさせている。
無料と言うことに、近隣の観光農園からクレームが来たが、無料だから田園プラザの客が増え滞在時間が延びる。
2時間以上の滞在時間があれば必ず飲み食いが始まりお金が落ちる。5千本の実を摘む手間や販売額を考えればこの方が経済効果は高い。
村中を公園の様にして空間を売ることを考えたい。それには世田谷区の知恵を現場(川場村)の知恵に変えていく必要がある。
これからは老人が増えるが、福祉の基本は如何に生き甲斐を持たせるかと言うことだ。
田園プラザの直売場は年寄りが小遣い稼ぎに少量でも出荷でき生き甲斐を与えている。
これからは年寄りにでもできる農業と言うことで桑の葉の利用やブルーベリーの花や葉の利用を考えている。
自分は年も取ってきて段々隠居の身になって来たが、一生勉強・一生青春 でありたい」
物静かではあるが村づくりに掛けた情熱が伝わって来ました
宮田光雄さんは世田谷村に訪れた子供達や都会の学生に地域づくりに役立つように旧宅や蔵を無償で開放しています
村政について夜中まで議論した居間、気分転換にここでカラオケをするそうだ
(今 無償で提供している)
蔵を利用したギャラリー
学生は各集落毎に手分けで戸別訪問しアンケート調査
夜は遅くまで昼間聞いてきた話の報告会です
田園プラザでは観光に関するアンケート調査も行いました
今回も群馬県高崎市立高崎経済大学の
西野教授の御厚意でお供をさせていただきました
今日12月19日は共に歩いたゼミ3年生の
中間発表会でした ゼミ生は皆頑張りました
初めて知らない人の家を訪ね話を聞く
とても勇気のいることです
つらかったこともあると思いますが
頑張りました
何度も何度も川場村を訪ねた学生もいました
頭が下がりました
ゼミ生の中から 第2の宮本常一が出ることを
祈りつつ
気に入っていただいたら ボタンを押してください
この言葉私も大好きです。
相田みつをの言葉ですよね。
川場村がますます発展していきますように♪
何だかしっかり読ませてもらいました。
興味深い面白い内容でした。
昔30年前、 山村の奥地・龍神村に夏休みに1週間、医大の統計学の講師の先生の募集にのって疫学調査に参加した時のことを思い出しました。
きっと、学生さんにとって有意義な時間だったのだと思います。
若い頃に色んな経験をするって言うこともとっても宝になりますよね。
がんばれ!若ぞう・・・。
「人傑地霊」という言葉があるそうです
これは「優秀な人材はその土地の霊気にによって生まれる」という意味だそうです
川場村には人材を生む地霊が住んでいるのかもしれません
危機的状況にある山村で愚かな政争なんかしている余裕はないはずなのに困った地域もあるようです
お供した先生とは10年以上のお付き合いですが いまどき珍しい熱血教授です
一所懸命さが見られない学生は人前でも構わず怒鳴りとばしますが、それだけに面倒見も良い人で学生の調査の下準備には自ら手間暇を惜しまずにやられております
最近はゼミの厳しさを承知で入ってくる学生が増えたようで倍率の高い人気ゼミにもなっているようです
遊び放題だった自分の学生時代 反省させられます
お話の内容に感動しました。
宮田さんのご自宅の写真を拝見して太田部の新井さんを思い出していました。
川場村・・・行ったことがるのですが印象に残っていません。
今度は違う目で歩いて見たいです。
お褒め頂恐縮です
話を聞くだけでなく自分でなにができるか
考え実施しなければならないのに聞きっぱなしの自分が情けなくなります
太田部の新井さん?
パソコンがウイルスにやられてしまい
古いのを持ち出しとりあえず返信だけしています
御用納め後にナオしたいと思っていますが気が重いです